幸せの過程について (3/3)
巨船では小回りが利かないからと、どうやらサッチ達は小型船で慌てて追いかけてきてくれたらしい。
ナマエが攫われたところを見ていた子供がいたようだ。膝を怪我していた魚人の子供だったと言うサッチの言葉に、ナマエは痛みに泣いていた子供を思い出した。
すでに人攫い屋達の船を連れて改めて魚人島へと入ったところで、『人魚』を攫った人攫い屋達はそのままネプチューン軍の近衛兵へと引き渡されていった。
それなりの大きさの船には白ひげ海賊団のクルー達が群がっていて、あれやこれやと積み荷を運び出している。
それを眺めてから、ナマエは向かいへ視線を戻した。
「宝、いいのか?」
「いーんだよ、おれは」
ナマエの問いに答えつつ、サッチの手が器用にナマエの体に包帯を巻いていく。
痛んだ床の上を這っていたせいでついたナマエの傷は、それぞれが丁寧に手当てされていて、塗った薬にそういう成分が入っていたのか、今は痛みもあまり感じない。
最後に拘束されていた尾びれの先を手当てして、しばらくは泳げねえな、と人魚や魚人専用であるらしい薬の入った貝を閉じたサッチは、それから軽く頭を掻いた。
「この際だし、甲板にお前が入れるくらいの水が溜められる場所でも作るか」
「え? いや、そこまでしてもらわなくても別に」
「泳げねェ間、ずっと水の中でじっとしてんのか?」
しねえだろ、と言葉を零しつつ視線を向けられて、う、とナマエの口から声が漏れる。
確かに海の中へ入ったなら、ナマエは泳がずにはいられないだろう。
海底でじっとしていてはモビーディック号を見失ってしまうし、何よりナマエはすっかり泳ぐことが好きになったからだ。
言わずともナマエのそれを理解していたらしいサッチの手が、優しげにナマエの膝にあたる部分に手を当てて、それから深く深くため息を零した。
「あの、サッチ?」
「おれのこと一発殴っとくか、ナマエ」
「え?」
寄越された低い囁きに、ナマエがぱちりと目を瞬かせる。
そちらをちらりと見やって、サッチは苦々しそうに言葉を紡いだ。
「あれだけ大口叩いといて、こんな目に遭わせただろ」
唸るサッチの言葉に目を瞬かせたナマエが、目の前の彼と交わした会話を思い出して、慌てて首を横に振る。
「いや、だってあれは、俺が勝手にサッチから離れたからだし」
こっちこそ教えてもらったのにごめんな、と言葉を続け、頭を下げると、何でお前が謝るんだよとサッチの方から不満そうな声が漏れた。
触れて来た手が無理やりナマエの顔を起こさせて、その目が間近からナマエを睨む。
すぐ近くにその顔があるという事実にぶわりと顔が赤らんだのを感じて、ナマエは慌てて身を引いた。
逃げ出したナマエの顔から離れた手を降ろしたサッチが、眉を寄せたままで言葉を紡ぐ。
「詫びるのはおれの方だろ」
「いや、でも」
「だから」
「サッチー!」
互いに譲らず不毛な会話を交わしたナマエとサッチのそれを遮ったのは、離れた場所から声を掛けてきたハルタだった。
呼ばれた海賊が視線を向ければ、あの人攫い屋達の船の上に乗り上げたハルタが、注意を引くようにぶんぶんと手を振っている。
「そっちの戦利品にばっか構ってないで、運び出すの付き合ってよ。あいつら、お宝っぽいのめちゃくちゃ積んでてさあ」
人に好かれそうな笑顔で略奪に誘う海賊に、たサッチがため息を零した。
「おれは今回取り分いらねェって言ってんだろ」
「一個で満足しちゃうわけ? めっずらしいの」
言い返されたそれにハルタがけたけたと笑って、うるせェよとサッチが言葉を返す。
仕方ないなあと声を漏らしたハルタはサッチを誘うのを止めたらしく、他の『家族』に声を掛けている。
まったく、と言葉を零すサッチの向かいで、ナマエはぱちりと目を瞬かせた。
それからその目できょろりと周囲を見回してみるものの、サッチの身の回りには薬箱があるくらいで、ハルタのいう『戦利品』は見当たらない。サッチが持っている薬だって、もともと白ひげ海賊団の船に乗っていたものなのだから、『戦利品』にはなりえないだろう。
それなら一体何が、と首を傾げたナマエの耳に、ふと誰かの声がよみがえる。
『助けてくれた恩人を戦利品扱いにするって? オヤジに怒られろい』
独特の語尾を混ぜたそれは、恐らくは一番隊隊長をやっている不死鳥と呼ばれた海賊の声だった。
いつ聞いた台詞だったろうか、と悩んだナマエの頭が記憶を揺り起し、初めてモビーディック号へと乗せられた時のことだ、とすぐに思い出す。
そういえばあの海賊がそれを言ったのはサッチに対してで、そしてあの日サッチを助けたのは、ナマエの記憶違いでなければ『ナマエ』だった。
「…………あれ」
そこまで思い至り、ぶわりと顔が熱くなったのを感じて、ナマエの両手が自分の顔を押さえる。
白ひげ海賊団にはいくつかのルールがあるらしい。
まだ新入りの枠を出ないナマエはすべてを把握してはいないが、そのうちの一つである『見つけた宝は見つけた奴のもの』を教えてくれたのは、ナマエの目の前に座るサッチだった。
『宝』というのはつまり『戦利品』で、あの日も今も共通してサッチの傍に『いる』のは、ただ一人だ。
まさか、と胸の内で声を漏らしても、馬鹿な妄想が抑えきれずに、ナマエの顔へ更に熱がこもる。
「………………」
「ん? どうした、ナマエ」
そっと顔を逸らしたナマエに気が付いて、サッチがそんな風に声を掛けてくる。
顔が赤いぞ、熱があるんじゃねェのかと少し心配そうな声を出したサッチに、ナマエが返事をするには随分と時間が掛かってしまった。
『俺をサッチの『戦利品』にしてほしい』とどうにかナマエが口に出来たのは、それからまたしばらく後のことだ。
end
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