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晴れのちハリケーン
※主人公は有知識トリップ主



 どうして自分がここにいるのかと、そんな哲学みたいなことを考えなくなったのは、つい最近のことだ。
 普通に寝て起きて仕事に行く毎日だったはずなのに、ある日ふと気づいたら見知らぬ街角にいた。
 明らかに現代日本とは違う様子に、最初は残業続きでついに頭がおかしくなったのかと思って、それから、でもこの世の中が妄想の類ではないようだと納得して。
 それなら生きていく為には働かなくてはと考えて、賄いで食費が浮かないかなという打算もあって選んだこの飲み屋で、俺はどうやらここがただの『異世界』ではないらしいということも理解した。
 巨人も海軍も海賊も、どこかで聞いたことがある。

「いらっしゃいませ」

 ましてやアフロ頭に眼鏡の『海軍元帥センゴク』なんて、まさかこの目で見ることがあるなんて思いもしなかったことだった。
 マリンフォードにいくつもある飲み屋のうち、程よく海兵と民間人が混じっているこの店に、ひょっこりと大男が現れた。
 後ろには他にも何人か一緒にいるから、『今日の飲み会』としてこの店が選ばれたんだろう。
 何なら後ろにいる人影にすらも見覚えがある。
 同い年くらいの声が大きい男性と、二人と並ぶととても小柄に見える年配の女性はなんという名前だっただろう。
 しかしそれにしても大きいな、と見上げた俺は、『海軍元帥センゴク』がまるで身動きをしないのに気が付いた。

「……お客様?」

 こちらを見下ろして、何故だか動きを止めている相手に、どうかなさいましたかと声を掛ける。
 そこではっと我に返ったのか、その双眸が無理やりこちらから逸らされた。

「すまないが、できれば個室を頼む」

「かしこまりました。それでは、どうぞこちらへ」

 この店の奥まった場所にある部屋を示しているのだと気付いて、俺は案内の為に先導することにした。
 個室を使いたいという予約は入っていなかったが、海軍のお偉い方が普通のカウンターに座っていては、他のお客様の中に混じっている海兵の人達が安らげないだろう。分かっていてやっているなら、この人は良い上司かもしれない。
 店長にはある程度好きに案内していいと言われているので、好きに案内することにする。
 こちらです、と促して、大きな二人と小柄な一人を一部屋へ送り込む。
 最初に入ったはずの『海軍元帥センゴク』がどうしてだか手前に座り、後の二人は向かい側に陣取った。
 よくわからないがとりあえず一番近くなった彼にメニューを渡して、ベルを鳴らしてほしいと声を掛ける。

「ああ……分かった」

 こくりと頷いた相手がこちらをじっと見ているような気がしたが、見やったところで視線は合わなかったので、気のせいだったのかもしれない。







 店長の料理を気に入ったのか、それとも店の雰囲気を気に入ったのか。
 『海軍元帥センゴク』は、よくうちの店を使うようになった。
 一人で飲みに来るときもあれば、先日の二人や、他の部下らしき大男を何人か伴ってくることもある。
 毎回俺がそのテーブルの担当につくわけではなかったけど、目が合った時には軽く会釈をするくらいには顔見知りになったし、向こうも多分、何となく俺を認知しているんじゃないだろうか。
 今日の彼は二人で来ている。
 もう片方は最初に来た時も一緒だった、声の大きい海兵だった。最近思い出したが、確か主人公のお爺ちゃんだ。ガープさんと言うらしい。

「こちら、お熱いのでお気をつけください」

「ああ」

 運び込んだ料理をテーブルへ置くと、センゴクさんが軽く頷いた。
 ぐつぐつ煮られているなべ焼きうどんはそれはもう美味しいが、普通に食べると地獄のように熱い。熱を逃がさない特殊な器を使っているので余計だ。

「うまそうじゃのう」

 置いた二つのうちの一つを自分の方へと引き寄せて、ほう、とガープさんが顎を撫でている。
 親しみやすいその顔を見たら、何となく、美味しいですよと反応してしまった。
 お、と声を漏らして、相手がこちらを見る。

「兄ちゃんも食べたことがあるか。そんなら信用できるわい」

「人の好みはあると思いますが、店長の料理はどれも美味しいですよ」

「ほほう。特にお勧めはあるのか?」

「今日のお勧めは自分が選んだので、それとかですかね」

 聞かれたことに答えたら、なるほど、と呟いた相手が近くにあったメニューをくるりと裏返した。
 表側には『本日のお勧め』が表示されている。そこに載っている酒と肴は、どれも俺が選んだものだ。

「らしいぞ、センゴク」

「酒は先程注文しただろうが」

「なんじゃ、お前だって気になっとるくせに」

 じゃあわしだけ注文しちゃうもんね、と子供みたいなことを言った相手が俺の方を見ながらメニューを示す。
 本気らしいと受け取って、俺はその注文を受け付けた。

「自分が勧めたものを選んでもらうと、嬉しいけどちょっと照れちゃいますね」

「素直じゃのう」

 笑った俺の前でガープさんも笑って、それから、ぽんと手を叩く。
 まだ何か注文があるのかと視線を向けると、こちらを見下ろした相手が自分のことを掌で示した。

「わしはガープじゃ」

「え、あ、はい」

「向かいのそこの仏頂面はセンゴク」

「はあ」

 向かいの、のところで人を指さした相手に、よくわからないものの、存じ上げてますと頷く。
 俺のそれを見て満足そうな顔をしたガープさんが、その人差し指をこちらへ向けてきた。

「それで、お前さんは?」

「え……あ、なるほど」

 寄こされた問いかけに、名前を聞かれているのだと気付くのに数秒かかった。
 それからすぐに、ナマエです、と短く答える。
 一年近く店員をしてきたが、お客様から名前を聞かれたのは初めてだ。

「ナマエか。なるほど、いい名じゃのう、センゴク」

 何故か言葉の続きをセンゴクさんへ放り投げたガープさんに、思わず俺もそちらを見やる。
 俺の視線を受けて、少し身構えた様子をしたセンゴクさんは、しかし怒ったりすることもなく、そうだな、と肯定した。

「な……なんか、照れますね」

 名前を褒められるなんていつぶりだろうか。
 この世界はところどころ日本的だが、こういうところは海外仕様なのかもしれない。
 軽く頬を掻いてから、とりあえず屈んでいた姿勢を戻す。
 視線をガープさんの方へ戻して注文を確認して、それでは、と俺は厨房へ注文を伝えるために移動した。
 少し離れたところでぱん、と何かを叩く音がして、驚いて振り向いた先で、なぜかガープさんとセンゴクさんがあつい握手を交わしているのがちらりと見えた。
 どうやらお二人は、ずいぶんと酔っぱらっているらしい。







「いらっしゃいませ、本日も個室でよろしかったですか?」

「ああ、頼む」

 そんな会話をするくらいには、『海軍元帥センゴク』は店の常連になった。
 最近では一人で来ることも多くなって、夕食代わりに何かの料理と、それから酒を飲んで帰る。
 来ていると耳にしたら担当についていなくても一度くらいは皿を下げに伺ったし、何度かそれをやっていたら『海軍の人が来てるよ』と担当を回してもらえるようになった。
 毎回顔を合わせるようになった俺に恐らく気付いてはいただろうけど、センゴクさんは別に気にしてもいないだろう。
 もちろん毎日顔を合わせるわけじゃないし、明け方近くまで開いている店で働く俺とセンゴクさんでは、そもそもの生活リズムも違う。
 だから、まだ早朝と昼の間に当たるこの時間に、その大きな姿を見つけてしまって、あれ、と思わず声を漏らしていた。

「センゴクさん?」

 店先で何かを選んでいる様子の相手が、俺の声に気付いてその視線をこちらへ向ける。
 少しだけ目を丸くして、それから体も丸ごとこちらへ向けてくれた相手が、ナマエか、と俺の名前を呼んだ。

「おはようございます、珍しいですね、この時間帯にお買い物ですか?」

 彼は勤め人だから、普通なら仕事中の時間だ。
 尋ねた俺に、今日は非番だからなとセンゴクさんは答えた。
 休みと言うのはとても大事なものだ。
 なるほど、と一つ頷いて、彼の方へと近寄る。

「何を買うんですか?」

 尋ねつつ見やった先のガラスケースの中にあったのは、お菓子の包みだった。
 少し高級そうなリボンが掛かっているそれらは、遠い島からこのマリンフォードへ移動してきたという有名店のものだ。
 美味しいと噂を聞いているから一度は食べてみたいなと俺も思っているのだが、なかなかに金額が高く、『自分へのご褒美』として買うのも少し躊躇っている。
 店員は少しこちらを気にしているようだが、好きに選んでほしいと思っているのか近寄ってこない。

「……人に贈り物をと考えていたんだが、相手の好みを知らない。せめて消え物なら受け取ってもらえるかと思うんだが」

 こういうものは選んだことが無くてな、と少し困った声を出すセンゴクさんに、贈り物ですか、と声を漏らす。
 この有名店は女性人気が高いと聞いているから、もしかしたら誰か女性に贈るのかもしれない。

「甘いのが好きな方なんですか?」

「勧めてくる料理に甘い味付けのものが多かったからな。恐らくは甘党だろう」

「勧めてくる……」

 ひょっとして、デートもする仲なんだろうか。
 それならもう少しちゃんと相手の好みもリサーチした方がいいんじゃないかとも思ったが、もしかするとセンゴクさんは俺が思うよりもサプライズが好きなのかもしれない。

「甘党なら、こっちのが甘そうですよ」

 ガラスケースの中で、ひときわ甘いお菓子が入っている箱を指で示す。
 クッキーやチョコレートや良く知らないものが混じっていて、どれも美味しそうだ。
 そして書かれている金額が高い。
 もう少し下がらないものかとケースの中身を見つめてから、はた、と気付いて視線を上げた。

「あ、でも、センゴクさんがピンとくる奴が一番だとは思うんですけど」

「いや、それにしよう」

 けれども俺の言葉を気にすることなく、そう言ったセンゴクさんが店員を呼ぶ。
 笑顔で近寄ってきた店員に先ほどの一箱を購入する旨を伝える相手に、俺は少し慌てた。

「ほ、本当にいいんですか?」

「ああ。ナマエの勧めは信用している」

「いや、俺だってこの店のは食べたことないんですけど!」

 店長の料理なら自信をもって勧められるが、今回の俺はただ単に『俺も食べたいな』くらいの気持ちで勧めたのだ。
 慌てる俺をよそに、なるほど、とセンゴクさんが笑っている。

「それはいいことを聞いた」

「いや、何にも良くないですよ?!」

「悪いようにはならないだろう、気にしなくていい」

「センゴクさん!?」

 はははと楽しそうに笑ったセンゴクさんは俺の言葉など気にもせず、さっさと購入手続きを済ませてしまった。
 数日後、店に来たセンゴクさんから全く同じ箱を渡されたのだが、うまくいったのかそれとも行かなかったのか、怖くてまだ聞けていない。
 お菓子に罪は無いのでありがたく頂いたが、箱の中身はどれも美味しかった。



end


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