じごくのそこ (3/3)
サカズキにとって、ナマエと言うのは不愉快な男だ。
あの日サカズキを生かして逃がしたくせに、サカズキのことを覚えてもいなかった。
サカズキのやりたいことを感知して、見透かしたような行動をする。
海兵としての誇りを背負いながら、それを簡単に落として歩く。
そして、誰かとサカズキを重ねていて、サカズキがそう指摘するまで、気付かれているとも思っていなかった。
ナマエは迂闊で不愉快な男だ。
しかしもしも、ナマエがサカズキの前から姿を消すという選択をしたなら、サカズキは今度こそ確実に、ナマエをその手で焼き殺すだろう。
「今日はもう終ろう」
予定以上に進んでいるよと、海軍元帥の執務室でナマエが言う。
その言葉にじろりと視線を向けたサカズキは、片手に持っていたペンで最後のサインを記した。
そのまま書類を机の端へ追いやれば、近寄ってきたナマエがそれを回収していく。
見やった時計は、いつもならまだ仕事をしている時刻だ。確かに海兵達の就業時間は過ぎているが、サカズキの感覚で言えばまだ早い。
そのことを確かめてもう一度視線を向けると、口を開かなくともサカズキの言いたいことが分かったらしいナマエが、丁寧に書類を整えながら口を動かした。
「最近遅い時間まで頑張りすぎだ。今日こそ定時で帰らせようと思っていたのに」
失敗したじゃないかと言われて、サカズキの眉間には皺が刻まれた。
「わしの知ったことじゃありゃあせんわ。おどれの気概が足らん」
「なんで俺が非難されるんだ?」
理不尽を言われた顔をして、ナマエが首を傾げる。
ふん、とそれを鼻で笑い、サカズキは手元にあったペンを片付けた。
そのまま帰り支度を始めるサカズキを見て、動き始めたナマエもそれに倣う。
サカズキの仕上げた書類も仕舞われ、身支度も整えて戸締りも終われば、すぐに二人して帰宅できる姿になった。
「ナマエ」
そのまま帰るためにナマエが執務室の出入り口へ手を掛けたのを見やり、サカズキがその名を呼ぶ。
それだけで動きを止めたナマエが、どうしたんだ、とサカズキへその視線を寄こした。
『人目』があるときは示しがつかないからと、外では敬語を崩さないナマエがそうやって気安くサカズキへ言葉を寄こすのは、二人きりになった場所くらいのものだ。
ボルサリーノも似たようなものだから構わないだろうとサカズキは言ったが、副官と海軍大将では違うと言い置かれた。
それならナマエを海軍大将へ据えればよいのかとも思ったが、それはさすがに馬鹿馬鹿しい理由だ。ナマエは拒否しないだろうが、海軍大将では海軍元帥の副官にはなれないのだから、そこにナマエを置くことなどあり得るはずもなかった。
ナマエはかつて、サカズキの同僚だった。
サカズキと同じく海賊を憎み、サカズキよりも海賊を殺し、この世の悪を屠り続けるにふさわしい男だった。
その背中から正義を取り落とそうとも海賊を殺すその姿に、何度サカズキは自分の迷いを捨てられただろうか。
その背中があまりにもちっぽけな世界のものだったと気付いた時の足元が崩れるような感覚は、サカズキを地獄へ突き落した。
奈落でのたうち、やがて、それならばと引き寄せた男は、今、サカズキの前にいる。
「……今日はわしの家で飯を作れ」
「またか。自分の家なんだから、たまにはサカズキが作ってくれてもいいんじゃないのか?」
「場所を提供しちょるけェのォ」
「俺も広いところに引っ越すかな……」
サカズキの言葉にそんな風に言いながらも、ナマエからは楽しそうな気配がする。
だからそれを気にせずに、さっさと行くぞと言葉を落として、サカズキはナマエの傍を通り抜けた。
執務室から抜け出せば、後ろからそのまま付いてくる男の気配がある。
それを受け入れ歩き出して、サカズキはナマエを伴って帰路についた。
end
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