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じごくのそこ (2/3)


 ボルサリーノの知るナマエは、おおよそ海兵らしくない海兵だった。
 南の海に随分強い海兵がいるとは噂に聞いていて、それが本部へ配属されたと聞き、様子を見に行ったのが一番最初だ。
 ちょうどナマエは教官と模擬戦をしているところで、離れた場所から様子を見下ろした。
 全力でかかってこいとでも言われたのだろうか、必死に、ひたむきに教官へ襲い掛かり攻撃を避ける動きは、どこででも見るものだろう。
 しかしそこに混じる殺意は、まるで目の前にいる男を殺さなければならない相手だとでも考えているかのようだ。
 執拗に関節を狙い、体格の差を利用して立ち回り、相手を行動不能にする術を探る。
 ためらいもなく目潰しを仕掛け耳を狙う様子は模擬戦と言うより乱闘のそれで、それを笑っていなす教官は相変わらず化け物だが、徒手である理由はそこにあるのだなとボルサリーノは考えた。
 何か獲物を持たせたら、それを使ってナマエは教官を殺しにかかるだろう。殺せはしないだろうが、地獄でもがくように、がむしゃらに振り回すに違いない。

『オォ〜……こわいねェ〜……』

 本当にあれは、海兵だろうか。
 呟いたボルサリーノが、ナマエが海賊を殺す姿を見届けたのは、それから数週間経ってからのことだ。
 合同の任務で、今まで見た海賊船の中で一番血まみれになったあの船に、生きた海賊は残らなかった。
 血だまりの中にコートを落としたナマエは、泥汚れがついたかのような顔をしてコートを拾い上げて、血まみれの正義を折りたたんで片付けた。
 その仕草はとても自然で、よくそうやってコートを落としているんだろうと思わせた。恐ろしいことをしでかすが、少々抜けている男なのかもしれない。
 そのうち、似たようなことをしていたもう一人の海兵と親しくなり、二人で並べば丸みを帯びた形に収まって見えるようになった。
 それが欠けたのは、たった一度きりのことだ。

「おっとォ〜」

 ぴん、と指ではじいたコインが回る。
 そのまま飛んでいったそれにボルサリーノが手を伸ばしたところで、飛んでいった先にいた人影が片手でそれを受け止めた。
 かちんと硬い音がしたのは、コインを受け止めたその手が義手であるからだ。
 受け止めたそれを手に振り向いたのは、ナマエと言う名前の海兵だった。

「よく受け止めたねェ〜」

 声を掛けつつ、足を動かしたボルサリーノがそちらへ近付く。
 それを見上げ、何かを考えるようにその目を少しだけさ迷わせた相手が、少しの沈黙の後で口を動かした。

「……危ないですよ、黄猿殿」

 咎めるような言葉だが、声には苛立ちも感じられない。
 少しだけ年下の相手に近寄って、悪かったねェ、とボルサリーノは謝罪を口にした。

「まさか前に飛んでっちまうとは思わなくてねェ〜」

「通路でコインを弾きながら歩くのは、目的が無いのであればお控えになってください」

 つる中将に叱られますよと言葉を紡ぎながらコインを差し出されて、そいつはやだねェと笑ったボルサリーノがそれを受け取る。
 その手の中でぱきりと小さく音がして、おや、とボルサリーノは自分の手元を見下ろした。
 広げた掌の上で、丸みを帯びたコインが二つに割れている。

「オォ〜……」

「……自分が原因ですね……申し訳ありません」

 目を丸くしたボルサリーノの前で、その様子を見たナマエが謝罪を口にする。
 掌の上の二欠片を一つになるように押さえてみながら、いや、とボルサリーノは言葉を紡いだ。

「さっきわっしが一発当ててきたからねェ〜……その分痛んでたに違いねェよォ〜」

 ボルサリーノの手の上にあるそのコインは、『光人間のレーザーを反射する物質』だとかなんだとか言いながら、戦桃丸が持ち込んだものだ。
 試してみたいからと言われて、わざわざ練習場でレーザーを打ち込み、確かにその反射性を確かめたのだが、どうやら内部にはガタが来ていたらしい。
 これは後で教えてやらなくてはと執務室へ戻った後の行動を一つ決めたボルサリーノの目の前で、ナマエが不思議そうに首を傾げる。
 どういう意味だと尋ねるでもなく視線を注がれて、ボルサリーノはコインを握り込むように緩く拳を握った。
 それから片手の人差し指を立てて、少しばかり自分の唇の端に当てる。

「内緒のことなんでねェ〜……知りたいんなら、詳しくはサカズキに聞きなァ〜」

 軍備を強化することは、海軍元帥となったサカズキが主張していることだ。
 いつの間にかマリンフォードから姿を消していたクザンとの決闘の結果は、そのまま海軍の方針を決めた。
 人員が大勢減ったことで世界徴兵も行われ、近いうち、二つも空いた海軍大将の席が埋まることも決まっている。
 兵器の開発は海軍の機密に相当するが、もしもナマエが訊けばサカズキは答えるだろうという確信が、ボルサリーノにはあった。

「サカズキ元帥がお決めになったことなのですね」

 しかし、ボルサリーノの考えを気にする様子もなく、それなら、とナマエが言う。

「自分に心当たりが無いということは、自分には知る必要のないことなのでしょう」

 あっさりと興味を失ったらしい男の手が、片手で運んでいた資料を両手で持ち直す。
 あまりにも素早く退いた相手に、ボルサリーノは胸の内でだけため息を零した。
 ほんの少し年下にあたる、目の前の海兵は、ボルサリーノの同僚だった海軍元帥の部下だ。
 海賊を憎み、海賊を殺し、けれども不祥事を起こして左遷され、そして今は本部へ戻った。
 正義を刻んだ白いコートを汚れるままに汚して海賊を殺す目の前の男は、相変わらず海兵らしくない。
 けれどそれでも、ナマエはボルサリーノの可愛い後輩の一人で、そしてもう一人の同胞が自分の手元へ求めた相手だった。

「まァ、ナマエがいいんならいいけどねェ〜」

 だからそう告げて、ボルサリーノの片手が握りしめていたコインをそのままポケットへ入れる。
 ポケットの中でころりと転がったそれを指先で挟むと、かち、と小さく音を立てたコインが丸い形に収まった。うまくかみ合ってくれたらしい。

「それでは、自分はこれで。黄猿殿のお部屋にも書類を届けてありますから、あとでとりに伺います」

「仕事熱心だねェ〜」

「今日こそ定時に帰らせなくてはならないので」

 誰をとは言わなかったが、ナマエが誰のことを言っているのかはすぐに分かった。最近のサカズキは、海軍元帥となってからの雑務に負われていて、遅くまで本部にいるのだ。
 頑張ってねェと気の抜けた声で応援をすれば、はいと答えたナマエがすたすたと歩いていく。
 その背中を見送って、ボルサリーノは軽く肩を竦めた。

「…………まァ、いいかァ〜」

 呟いて、その手がポケットの中のコインを緩く握りしめた。
 一度は二つに割れて離れたが、今はまた同じ形に収まっている。
 それならば、それがどこにあろうが、何の問題もないのだ。





 


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