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じごくのそこ (1/3)
※『こどくのおり』からつづく話の続編
※捏造が多め



 ナマエと言う名前の海兵がいると、クザンが耳にしたのはいつだっただろう。
 とんでもない海賊嫌いで、海賊を殺すことを第一にしている節のある海兵で、あの荒れた南の海から海軍本部へと配属されたという男。
 似たような『先輩』がすぐ上にもう一人いて、派手にやらかす海兵と言うのはどこにでもいるもんだなと考えた。
 一度か二度は、ナマエと同じ任務に就いたこともある。
 どこまでも海賊を追い、甚振るのではなくひたすらに殺して、上官にため息を吐かれていた。

『お前の能力は便利だな』

 海賊達の船を押さえるために凍らせた海上で、肩から落としたコートもそのままに、氷で転ぶでもなく器用に立ちながらそう言った男の足元には、そこで仕留めたのだろう海賊の死体がいくつか転がっていた。
 圧倒的な悪魔の実の能力を持つクザンに対して阿るのでもなく、ただ無感動にありのままの利便性を褒めた相手に、何か寒いものを感じた覚えがある。
 ナマエは明らかに、海賊を殺すために生きている海兵だった。
 だから、その片手が同じ海兵の手によって失われたと知った時、そしてそれが人質にとられた『民間人』を殺そうとしたからだと聞いた時、あの冷たい目をした男は死んでしまったのだろうと、そう思った。
 そうでなかったと分かったのは、それから何年も後のことだ。

「……ナマエさん」

 ゆっくりと歩いた、マリンフォードの外れ。
 彼方へ続く海を見やったところで見つけた人影に、思わずその口から名前が漏れる。
 呼ばれたそれに気付いて足を止めた人影が、そのままクザンの方を振り向いた。
 クザンより低い位置にある頭を見やりながら近寄れば、それに合わせて首の角度を変えた男がほんのわずかに瞬きをする。
 何度か見たことのあるその動きに、クザンはあららら、と言葉を零した。

「さすがに普通、この顔は忘れねェでしょうや」

 クザンって言うんだけど、とその顔を見下ろして言うと、ああ、と声を漏らした男が少しだけその目を動かした。

「黒髪は大勢いますからね。いつものスーツでもいらっしゃらないし」

 その視線は、どうやらクザンの髪を見ているらしい。
 相変わらず髪や服で判別してるのかと、クザンは軽く首裏に手を当てる。
 幾度か接していて分かったが、この年上の海兵は、人間の顔を覚えるのがあまり得意ではないらしい。
 『海賊以外の』と注釈がつくその欠点の例外は、つい最近クザンに大怪我を負わせた海兵だけだとクザンは思っている。

「義足はまだ出来ていないと聞いていましたが」

 もう島を出るんですか、と尋ねてくる相手に、まあ、とクザンは手を降ろして肩を竦めた。
 体中に残った火傷は、今もじくじくと痛む。
 一つの島を使って行われた決闘は、海軍大将赤犬と海軍大将青雉による、海軍元帥の座を賭けた戦いだった。
 苛烈さを加速させる男に海軍を任せては、一方の方向に振れた正義が執行されていく。
 海軍大将の座には魅力を見いだせなかったが、周りが赤く黒く染まっていくことを押しとどめたくて、恩ある海兵の後押しを受けたクザンは決闘に挑んだ。
 海軍最高戦力の戦いに終わりが来るのには時間がかかり、けれどもそうして結局、敗北したのはクザンの方だ。

「もうただの『クザン』なんで、そう扱ってもらわねえと。これ以上海軍の技術を使ってもらうのもね」

 敗北した後運び込まれたのは海兵の為の病院で、そこで受けた治療がクザンを回復させた。
 あとは義足を作ってリハビリをする、と言い出した医者に待ったをかけて無理やりに退院したのは、クザンの中の矜持によるものだ。
 海軍に残ることも出来ただろうが、クザンが選んだのは退役だった。マリンフォードの外れから、そのまま海に出ていくつもりだ。
 クザンの言葉に納得したように頷いたナマエの目線が、クザンの顔からその足元へ向かう。
 じっと注がれたそれにクザンが軽く片足を差し出すと、無遠慮にナマエの手がクザンの足に触れた。

「なるほど、氷か」

 触れた温度を確かめて、男がその視線をクザンの方へと戻す。言葉から敬語が外れたのは、クザンを『ただのクザン』と認めた証だろうか。

「お前の能力は便利だな」

 手を離しつつ紡がれたそれは、いつだったか聞いたことのある台詞だった。
 向けられる視線も、あの時と何も変わらない。

「まァ、便利っちゃあ便利だね、どこかがちぎれてもすぐに代わりが出せる」

「自然系能力者の特権だが、サカズキがやったら大変なことになりそうだ」

「あァ〜……マグマはねェ……」

 自分と同じことをするマグマ人間を想像してみたが、周囲に甚大な被害が起きる未来しか見えない。
 ただでさえあちこちでマグマを零しては物を焦がしているのだ。本人がそうしようとしても周囲の人間が却下するだろう。

「義手にすれば海賊を簡単に殺せそうだけどな」

「…………」

「でもそれなら、ちぎれた体の部位をマグマに変化させた方が意表をつけるか? 上に投げて降り注げば……」

 少し思案したナマエが口にしたのは何とも不穏な台詞で、白昼堂々道端で交わす会話とは思えないそれに、クザンの視線が向けられた。
 ちょいと、と思案を止めるように声を掛けると、はっと思考を引き上げたらしい男がクザンの方へ視線を戻す。

「いくら能力者とは言え、そこまでするような状況に持ち込ませるのは無能だな」

 忘れてくれ、と続いた言葉は、先ほどの自分の発言をなかったものにするそれだった。
 『自分がいるのにそんな状況が訪れるはずがない』と、その顔にありありと書いてある。
 ナマエのその顔を見て、クザンの眉間には皺が寄った。
 ナマエは相変わらず、クザンには理解することの出来ない海兵だった。
 先程クザンの足から離れたのと逆の手には、義手が装着されている。
 その片手を奪ったのはクザンの足を奪ったのと同じ男で、今もナマエが傍にいる相手だった。
 片手を奪われてしばらく、ナマエはマリンフォードから程よく離れた春島へ配属されていた。
 本部から外される、いわば左遷だが、そうされて遠のいた場所からナマエを呼び戻したのもまた、やがて元帥の座に就く苛烈な海兵だ。
 その話を最初に聞いた時、何を考えているんだ、とクザンは眉を寄せた。
 あれだけ海賊を殺す海兵が、その術を奪われて左遷されていたのだ。
 その原因に対して憎しみ、恨み、畏怖、それ以外のなにがしかの複雑な感情を見せるのだろうと思ったし、そんな相手をわざわざ側へ呼び寄せた大将赤犬の考えが読めなかった。
 けれどもクザンのそんな考えをよそに、サカズキの傍に控えた副官たるナマエに、クザンが危惧したような感情はまるで見つけられなかった。

「……自分の片手を奪った奴に、そこまで尽くせるもんなの?」

 海が近いために、強い潮の香りが風によって吹き抜けていく。
 肩にかけたままだった鞄を軽く背負い直しながらクザンが紡いだのは、しばらく前、目の前の相手へ投げたのと同じ問いかけだった。
 クザンの言葉に、ぱちりとナマエが瞬きをする。
 詳細は知らないが、今はもはや自前の指の一本も無くなった片手には、はっきりそれと分かる義手が填められている。手袋をしてそれを隠す努力すらもしないのは、そこに仕込みの武器があるからだ。
 あの日と同じようにその片手の利便性だけを説くのかと思いながら見下ろした先で、ナマエはクザンの前でその片手を動かした。

「……俺が正しくないと分かったら」

 少しばかり鉄同士が擦れる音を零して、ゆるく拳を握ったナマエはそこから剣を引き出した。
 仕草はあの時と同じだが、放たれる言葉が違う。

「サカズキが始末をつけてくれるんだ」

 言葉と共に音を立てて武器をしまい込んだナマエの目は、まるでクザンを見ていないようだった。
 奈落の淵を覗き込んだかのような、背中を冷やす感覚に襲われて、クザンの口からは深く長くため息が漏れる。
 破れ鍋に綴じ蓋なんて言葉を聞いたことがあるが、どちらも割れていたら中身は一体どうなるのだろうか。
 年上の二人がこれからやるだろうことを考えれば、やはり自分は海軍を離れるべきだとも感じる。
 海兵でないのなら、裏を歩き回り、見逃せない『正義』を遮ることだって出来るだろう。
 奈落から引き上げてやることは叶わなくとも、それがクザンの行える悪逆だ。

「まァ……あー……あれだ、お元気で」

 あんまりコートを落として回らねェようにね、と言葉を落としたクザンに、そっちも海に落ちないようにな、とナマエが言う。
 歪な正義の使者をその場において、クザンはそうして、マリンフォードを離れていった。







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