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姫林檎が赤く染まる
※『ここまで約552時間』より続くシリーズ
※異世界トリップ主人公はただのマリンフォード住人
※戦争編以前で二人は付き合っている



 サカズキがその人間を認識したのは、もう随分と前のことだ。

『大丈夫?』

 昼下がりとはいえ人通りの多い町中で、転んだ子供が泣きだしたところへ、声を掛けている人間がいた。
 善人ではあるだろうが、別に珍しい光景でもない。
 だというのに、子供を助け起こし、泣きやんだ子供に『偉いぞ』と賛辞を贈りながら微笑んだその顔が、どうしてだか目をひいた。
 一度気にかければ警邏の最中でも姿を見つけるようになり、思い立って足を運んだ店で働いていた時にはさすがに少し驚いたが、それだけだ。
 何故だかサカズキの足はその店へ通うようになったが、それは料理を気に入ったからであって、別にそのよくいる善人の顔を見たいわけではない。
 胸の内で誰に言い訳するでもなくそう繰り返していたサカズキは、ある日入店した店内に彼の姿が無いと気付き、そして落胆した自分を、はっきりと自覚した。
 困惑だとか、自分への苛立ちだとか、そう言ったもので煮えたぎったマグマは演習場で発散したが、しかしそのせいで冴えた頭はサカズキに逃れようのない事実を突きつけた。
 甲斐甲斐しく給仕として働く男の名前が『ナマエ』だと知ったのは店に通いだして一か月ほど経つ頃で、名前を聞けたくらいで喜んでしまったのだから、もはや芽生えていたものからは逃れようもない。

「サカズキさん?」

 どうかしましたかと、サカズキの傍で男が首を傾げる。
 いつもの通りにすり合わせた休日、昼下がりのサカズキの家の中。
 不思議そうな顔をしている彼は、サカズキが得た『恋人』だった。
 半年の交流を経て、『嫌われてはいないようだ』という算段から告白したサカズキが、どうにか口説き落とした相手である。
 同性同士で年齢差もあり、何故サカズキの告白を受け入れる気になったのかは聞いていないが、ナマエは嘘が下手だということを、サカズキは知っている。

『……俺、貴方が好きみたいです』

 だから、あの日のその言葉も、その後に繰り返した断言も、すべて真実なのだろうと分かっていた。
 傍らに座る男を見下ろすと、ナマエの左手がサカズキの片腕へ触れた。
 触れようとしないもう片方の手は体重を支えるように床へ触れて、中指にはまった指輪がわずかに光をはじく。
 あまり装飾品を身に着けないナマエの指でひかるそれは、海楼石でできた指輪だった。
 もちろん、一般的に出回るような代物ではない。
 サカズキが作らせた特注品で、サカズキからナマエへの贈り物だ。
 今日もきちんとそれを身に着けているのだということを思い知り、サカズキの目が傍らの男から逸らされる。

「サカズキさんってば」

 そっちに俺はいませんよ、なんて言葉を紡ぐナマエの声に、責めるような響きは無い。
 どちらかと言えば笑みを含んだあたたかな声音は、ナマエがサカズキの傍でだけ出すものだった。
 それが分かるだけにこそばゆく、むっと眉間にしわを寄せたサカズキの目が、ナマエが来る前に室内へと運んだ、戸棚の上にある丸い鉢を射る。

「アレを見ちょるだけじゃァ」

 唸ったサカズキの視界にあるのは、黒い陶器の鉢植えだった。
 盛られた土にしっかりと根付いているのは、太い幹の上で枝を伸ばし、平たい葉をいくつも開いた植木だ。
 普段ならサカズキが買わない品種だが、室内で一番視界に入れやすい場所に置かれたそれは、サカズキの傍らに座る男が持ち込んだものである。

『誕生日おめでとうございます、サカズキさん!』

 にこにこと笑ったナマエがそれを差し出してきたのは、ほんの二日前のことだ。
 実がなるらしいですよ楽しみですねと、サカズキに贈ったくせに自分の方が楽しそうな顔をしたナマエがそう言うので、サカズキは改めてリンゴ盆栽の育て方を確認した。
 サカズキへの贈り物が気に入ったらしいナマエは、恐らくそれまで今までよりもサカズキの家へと通うことになるだろうから、素晴らしい色と形のものを実らせなくてはならない。

「もう」

 サカズキの言葉に小さく笑って、ナマエの手がそっとサカズキの手を離れる。
 するりと滑ったそれに気付いたサカズキの手が思わず相手を追いかけて、ナマエの指先をサカズキの指が挟みこんだ。
 何してるんですか、とそれを面白がるように声を漏らしたナマエが、強く手を引いてサカズキの指から逃れる。
 そのことにわずかに目を眇めたサカズキが視線を向けると、傍らに座っていた男がひょいと立ち上がったところだった。
 そのままサカズキの背中側を通って迂回した相手が、先ほどとは逆隣に座り込む。
 動きを追って顔を動かしたサカズキがわずかに怪訝そうな顔をすると、にんまりと笑った相手の手が、改めてサカズキの手を掴まえた。
 先ほどと座る位置が違うために、今度サカズキに触れてきたのはその右手だ。
 膝へ置いた手を撫でるような少しその動きが遠慮がちなのは、その指にはまるものがサカズキへどういった効果をもたらすか、ナマエが十分承知しているからだろう。
 サカズキの身に宿る悪魔の実の力は強力で、サカズキ自身の感情によって周りに被害をもたらす。
 だからこそ、サカズキはその指輪をナマエへ贈った。
 海楼石と悪魔の実の能力者の関係はもちろんナマエも理解しているらしく、とても困惑されたが、ナマエが持つべきだとサカズキが判断したのである。
 何せ、サカズキは幾度か、ナマエの傍らで物を焦がしたことがあった。
 自制が効かない男であると告げているようなもので羞恥も不甲斐なさもあるが、ナマエに怪我を負わせたいわけではないのだ。

「なんじゃァ」

「ここなら、ついでに俺のことも見れますよね」

 眉を寄せて尋ねたサカズキに、怯えることもなくナマエがそんなことを言う。
 言葉の意味をつかみかねて首を傾げたサカズキは、座り直したナマエの向こう側に贈り物の盆栽があることをその視覚で認識し、ぱちりと瞬きをした。
 意味を理解した次の瞬間、ぶわり、と身の底で熱源が湧き出たのを感じ、反射的にその手が自分に触れるナマエの手を掴む。
 ぐっと握り込んだ男の手はサカズキのそれに比べて小さく、けれどもその指についた小さな指輪が、サカズキの中で極端な暴れ方をする悪魔を抑え込んだ。
 そのことにわずかな安堵すら感じる己に眉を寄せて、サカズキはじとりと傍らの男を睨みつける。

「サカズキさん?」

「……今んは、おどれが悪い」

 サカズキの恋人は、時々むやみやたらと可愛いことを言う。
 楽しそうな顔をしていたり、照れていたり、真剣だったりとその時の様子は様々だが、年下の男に逐一翻弄される自分がいるだなんてこと、サカズキはナマエに出会うまで知らなかった。
 出会ってから何日も顔を見に通いつめ、告白をして拒絶をしないという言質を取り、ついには手に入れた恋人が可愛くないわけがないが、急に猛烈に可愛いことを言うのはどうにかならないのか。

『オ〜……恋は盲目、っては言うけどねェ〜……』

 正直に相談したらそう言って呆れた顔をした年上の同僚を思い出し、サカズキの目が傍らの男の方からそっと逸らされた。
 ナマエが座り込んでいるのとは逆へ向けられた視線の先には、良い日差しの差し込む縁側がある。
 いくつも盆栽が並び、すだれで日よけを作った台の一角にスペースがあるのは、そこに座っているべき盆栽が現在、室内にいるからだ。

「サカズキさん、そっち向いちゃったら俺が移動した意味がないじゃないですか」

 今度は非難がましくそんなことを言い出したナマエがぐいぐいとサカズキの手の内にある右手を引っ張ったが、残念ながらサカズキにその手を逃がしてやる選択肢はないのだった。



end


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