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ここまで約552時間
※異世界トリップ主人公はただのマリンフォード住人
※戦争編以前
※名無しオリキャラ注意




 俺はただの一般人だ。
 そりゃ少し世間知らずなのは否めないだろうけど、普通の人たちに比べたら挙動も少々怪しいだろうけど、それは俺が実は別の世界から来たというだけだし、それを言った事もない。
 俺は本当に、ただの一般人だ。
 だからこの目の前にいる海軍最高戦力のマグマ人間を誰かどうにかしてくれないだろうか。

「……あの、ご注文は……?」

「………………ああ。これを一つ、頼もうかのう」

「はい、かしこまりました」

 声を掛けると、それ一本で俺を殺せそうな指先がメニューを軽く叩いて、そこに記されていた文字を確認して頷いた俺はそそくさと眼前から撤退した。
 厨房へ軽く声を掛けてメニューを伝えて、狭い店内を軽く確認してから、大丈夫だと判断して俺も厨房へ入る。ラッシュが終わって溜まっているだろうし、皿洗いも手伝っておこう。
 決して、歩いても歩いてもついてくる視線にへこたれたわけじゃない。

「お、ナマエ?」

「手伝うよ」

 腕まくりしてそう言いながら、皿洗いをしている同僚の横に並ぶ。
 俺達がいるのは店内へ向かって対面式の厨房で、間にある高い壁のおかげで俺と視線の主は完全に分断された。
 少なくとも、身長が足りないから俺から向こうを伺うことは出来ない。つまり向こうからも俺は見えない。
 この世界にきて周りの高身長を呪ってばっかりだったが、こればっかりは自分の小ささに感謝だ。涙が出そうだけど。
 いや、俺は日本人の平均身長だ。ワンピースの世界がおかしいのだ。

「何か知らないが、大将、最近よくいらっしゃるなァ」

 傍らでがちゃがちゃと皿を洗いながら、俺よりはるかに高い身長を使って店内を見やったらしい同僚が、俺の隣でそう呟いた。
 そうだなと答えつつ、俺はせっせと洗い終わった皿を拭く。白い皿に指を滑らせて見るときゅきゅっと音がした。すばらしい磨き具合だ。

「今もこっち見てるし。料理してるところが気になるか、もしくは待ってる間暇か……ナマエ、後で雑誌でも持ってって差し上げろよ」

「来て三日目くらいにありったけ持っていったけど、一冊も読まなかったよ」

 寄越された言葉に、俺はとりあえずそう答えた。
 事実だ。
 せめてその視線を逸らせないかと、新聞と週刊誌と読まないだろうけど若年層向けファッション雑誌と、その為に自費で買ってきた園芸雑誌まで持って行ってみたが、赤犬はそれを一瞥しただけで要らないと言ったのだ。俺の570ベリー返せ。
 そして不要と言われた雑誌類を棚に戻すときにも、俺の背中には視線が注がれていた。
 何故こうも監視されなくてはいけないんだろうか。
 漫画『ワンピース』を読んでいた頃の俺にとっての大将赤犬は「強い奴」程度だったが、今の認識は「何故かこっちを見張ってくる怖い人」だ。
 眼光が鋭すぎる。
 赤犬が覇王色の覇気とやらを使えていたら、俺は確実に二十三回は気絶しているだろう。
 しかもこの恐怖が、視線を注がれていない同僚達には分からないのだというからたちが悪い。
 むしろ、俺以外のこの店の店員やオーナーは、有名人である赤犬が店に来てくれることを喜んでいるふしすらある。
 そりゃ、宣伝になるだろう。もうじき一ヶ月、これだけ通えば『あの大将赤犬が常連!』と銘打ったって詐欺にはならない。
 だがしかし、来るたび睨まれている俺の神経は磨り減りっぱなしだ。

「そうか……でもまァ、ここの料理が気に入ったって言うことなら嬉しい話だよな!」

 嬉しそうに言う同僚に、そうだなと心にもない相槌を打ちつつ頷きつつ次の皿を拭く。
 たわいもない仕事をしながら働くのは楽しいが、俺は給仕として雇われていた。
 それはすなわち、この愛しい壁ともすぐにお別れをしなくてはいけないことを意味している。

「ナマエ、上がったから運んでくれー」

 後ろから声を掛けられて、思わずため息を吐く。
 けれども働かないわけにはいかないので、はーい、と返事をして手を止めた。
 布巾を所定の場所へ戻して、オーナーが作ってくれた料理をトレイに乗せる。ついでに、またあのテーブルに近寄らないで済むように水差しも乗せた。
 万が一にも零したりしないように慎重に持ち上げて、そのままそれを注文主への元へと向かえば、席についた大将赤犬はまっすぐにこっちを見ていた。相変わらずの眼光も、正面から見ると迫力が三割増しだ。
 恐る恐る歩きながら、悪い意味で激しくなっている動悸をどうにか堪える。
 何だか、今なら同居の姑さんに家事を見張られているお嫁さんの気持ちが分かる気がする。奥さん、毎日大変なんですね。

「あ……すみません、お待たせしました」

「待っちょらん」

 声を掛けつつ辿り着いたテーブルに料理を置くと、ぶっきらぼうに赤犬がそう言った。
 気遣ってくれたのか事実だからかは分からないが、とりあえずいつものように『ありがとうございます』と言葉を落として、きちんと料理を置いてから、テーブルの上のコップへ水を注ぐ。
 もう二十三回も来ているのだ。水を継ぎ足してしまったら、大体赤犬は帰るまでこのコップを空にしないということくらいは覚えた。
 後はここを離れて、赤犬が席を立ったら会計して、送り出したら皿を下げるだけだ。
 それまではまた洗い場に引っ込んでいよう、と心に決めて、俺はそっと水差しをトレイに戻した。
 赤犬が来るのはいつも昼時のラッシュが過ぎたころだから、洗い場の皿は大変な量なのだ。
 おかげで手伝いに行っても変な顔をされないのはありがたい。

「……名前は」

 そのまま離れようとした俺は、けれどもふいに寄越された声にぴたりと動きを止めた。
 思わず視線を向ければ、いつものようにこちらを睨んだ赤犬が、低い声で言葉を紡いでくる。

「名前は、何ちゅうんじゃ」

「え……」

 名前。
 言われて、俺はすぐさま赤犬の目の前にある皿を確認した。

「ええと、こちらのメニューはエレファントホンマグロのソテーとナンゴクレタスのシーザーサラダ、ベジキューブのつけあわせと……」

「料理の話はしとらん」

 メニューを忘れたのかと思って羅列したところを途中で切られて、はァ、と間抜けな声が出た。
 じゃあ何が聞きたいんだ。
 よく分からないまま水差しの乗ったトレイを片手に少し考えて、じとりと注がれる眼光に冷や汗をかく。このまま求める回答が出来なかったら、まさか俺はこのまま連行されたりするんじゃないだろうか。
 せっかく身よりも無いこの世界で定職に就けたというのに、ようやく勝ち取った生活を崩されてはたまらない。
 だとすれば、今この場を何としてでも切り抜けなくては。
 さて、何と答えたものだろう。
 名前。
 そうだ、赤犬は名前を聞いたのだ。

「その…………俺は、ナマエです……?」

 恐る恐る、回答になりそうなものを口にする。
 俺の名前じゃなかったら、オーナーの名前か、まさかとは思うが店の名前か。
 もしかしたら同僚の名前かもしれないし、俺がトレイに乗せている水差しの名前かもしれない。もし水差しの名前なら、彼女はシェリーちゃんだ。今俺がそう決めた。

「…………ほうか」

 俺が脳内で数多の回答を準備している間に、赤犬はこくりと頷いて目を伏せた。
 その手がフォークを持ったのを見て、どうやら今の回答が当たっていたらしい、と気付く。
 つまり赤犬は、俺の名前を聞いていたのだ。
 だが、どうしてだろう。

「…………その、失礼します」

 よく分からないものの、とりあえずは一礼して、俺はそのまま赤犬の傍を離れた。
 厨房へ戻ろうとしたところで、タイミングよく他の客が席を立つ。

「おう、ご馳走様。会計頼むよ」

「はい、ただいま!」

 掛けられた言葉に返事をしてから、すぐにレジのほうへ移動する。

「1200ベリーになります」

「はいはい」

「そういえば、今日はちょっとゆっくりでしたね」

「いやー、立て込んでて時間がずれ込んじゃったから多めに休むっつって出てきたんだよ。今くらいの時間はやっぱり空いてるなァ」

「そうですねー……はい、おつりです。それじゃ、午後も頑張ってください」

「ああ、また来るよ」

 そんなたわいもない会話をして会計を終えた客を送り出してから、そのまま今の客が座っていた席へ移動した。
 テーブルの上に残された皿を回収して、洗い場へ運ぶ。

「追加ー」

「おう。なァナマエ、お前さっき、大将に話しかけられてなかったか?」

 皿を持ってきた俺へ同僚がそう言ってきたので、何か名前聞かれた、と正直に答えながら俺は水差しとトレイを片付けてその隣に並んだ。
 汚れた皿は隣へ回して、大量の洗い終えた皿を拭いて、さっさと片付けていく。

「へェ。そういや、結構長いこと通ってくださってるのに、ナマエに注文以外で話しかけるの初めてじゃないか?」

 俺の横で皿を洗いながら同僚に言われて、そうだな、と俺は頷いた。
 そういえば確かに、向こうから声を掛けられたのは初めてだった。
 全く、赤犬の意図がまったく分からない。
 海軍最高戦力の大将が、こんなマリンフォードの中の小さな店の一店員の名前なんて知ってなんになると言うんだ。俺に変な容疑がかかっているならともかくとして。
 いや、変な容疑が掛かっていたら名前だけじゃなくてもっと色々聞かれるか。ますますよく分からない。
 せめてあんなに睨まなかったらこっちから話しかけたりも出来るだろうけど、アレだけ睨まれて、他の常連客にやるような態度なんて出来るはずも無い。

「…………はァ……」

 来るなとは言わない。そこは個人の自由だ、侵害はしない。
 だが俺の心の平穏のためにも、こっちを見ないでくれ。



 俺のそんな心の訴えなんて当然相手へ届くことはなく、その日も翌日もその次も、来店なさる大将赤犬は俺のことを睨みつけていらっしゃった。
 それがまァ、『睨んでいた』んじゃなくて『見つめていた』んだと知ったのは、赤犬が俺に名前を聞いてから半年後のことだった。



end


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