こちら、プレゼントです
※主人公は無知識トリップ主
※クロコダイルは鰐が好きという妄想
※微妙にわにたん
「…………こういうのもあるのか」
思わず手を伸ばした俺は、つまんだそのペンをしげしげと眺めた。
万年筆のような形状のそのペンには、ペンの背中にしがみ付くような姿の飾りがついている。
恐らく同じシリーズなんだろういろんな動物がペン立ての中に並んでいるが、どれもこれも可愛いとは言えない生き物ばかりだ。
見れば見るほどリアルな形状をしている。いくつも並ぶそのいかめしい姿からして『世界の猛獣』シリーズとでも銘打ったものなんじゃないだろうか。男の子だったら喜ぶのかもしれない。
手元のイカのバケモノみたいな奴をペン立てに戻して、それから陰に隠れていた一本に気付いて、ひょいとそれをつまみ上げる。
ペンにしがみ付いたそれはどう見ても鰐だが、ただの鰐よりよほど凶暴そうだ。大きく開いた口には、丁寧に作られた牙が並んでいる。
「……あ、これバナナワニか」
そうして、頭の上の小さな突起に気が付いて、そんな風に言葉を零した。
なんとなく名前が分かる動物がいると、少し嬉しい。
何せ、『この世界』には、俺の知らないものがあふれているのだ。
俺の生まれ育った世界では、鳥は新聞を売り歩いたりしないし、船を襲う巨大な獣なんてそうそういなかった。
そして、船を襲う『海王類』とやらすら食料にすると噂のこの鰐だって、まるでお目にはかからない。図鑑で見た時に名前を憶えたのだって、俺が知っている動植物園と同じ名前だったからだ。
「……んー……」
声を漏らしてから、俺はもう一度ペン立ての中を覗き込んだ。
しかし、手元のバナナワニ以外に、鰐っぽいものは見当たらない。
それを確認してから値段を確かめた俺は、ひとまずそのペンを買うことにした。
もともとペンを買いに来たのだ。ちょっと飾りのついたものを買ったっていいだろう。
他にも必要なものを手にしてから、文具屋の店主に声を掛け、使い慣れてきた紙幣を支払って硬貨を受け取る。
『この世界』では包装してもらえることなんてほとんどないので、持ってきた鞄に買ったものをしまって、ペンは無くさないようにと胸ポケットに入れた。
ポケットからちらりとバナナワニの頭が覗いていて、ポケットに入った小さな鰐がこちらを威嚇しているかのような様子になったが、まあいいだろう。
店を出たら外は暗くて、さっさと帰ろうと足を動かす。
そうして、いつものように道を曲がり、家路につこうと細い路地の傍を通り過ぎかけたところで、急に何かに首を引っ掛けられた。
「うぐっ」
ぐいと引っ張られる力に抵抗できず、片手で首に触れたものを掴みながら暗がりへと引きずりこまれる。
手に触れたその冷えた感触はよく知っているもので、鉤爪だということはすぐに分かった。首の後ろが少し痛いので、とがった切っ先に引っかかれたに違いない。
路地の中に引っ張られたところで解放されて、思わず膝をついて首を押さえた俺の上に、クハハハと笑い声が落ちる。
「相変わらず警戒心の薄い野郎だ」
そうして続いた低い声に、ちらりと屈んだままで相手を見上げた。
「いや……普通に声掛けてくださいよ、クロコダイルさん……」
ごほ、と少し咳込みながら言葉を放った先には、葉巻をくゆらせた上機嫌なヤクザさんがいる。
いや、本当はヤクザじゃなくて海賊らしい。
確かに、顔の傷とその片手の鉤爪には海賊らしさも満ち溢れている。
今は『王下七武海』という海軍側と仲良しの海賊になったらしいが、昔の手配書というのを見せてもらったこともあった。
すごい金額が掛かっていたから、それだけ悪いことをしていたんじゃないだろうか。
片手を自分の首の後ろに当てて、それから見下ろした掌に少しだけ血がついているのを見てため息を零しつつ、俺はよろりと立ち上がった。
「暗がりから何が飛び出してくるかわかったもんじゃねェだろう。もう少し周りを警戒したらどうだ」
葉巻を咥えたままで言い放つ相手に、器用だなあと視線を向けて、そうですねと頷いた。
「海賊の人に暗がりへ引き摺りこまれたりしますもんね」
「あァ、その通り」
俺の放った言葉に笑いの含んだ声を零して、わざとらしくその片手が鉤爪を揺らす。
灯のある大通りから入り込むわずかな光を弾いて揺れるそれは、一度、二度と上下に揺れてから、とても素早くこちらへと振りぬかれた。
驚いて身を縮こまらせる暇すらなく、また首を引っ掛けられて、そのまま路地の壁へと押し付けられる。
首の後ろ側で少し酷い音がした。きっとよそ様の家の壁に鉤爪の先がめり込んだに違いない。
とりあえず鞄を肩から下げたまま、両手を上げて無抵抗を示すと、俺の様子を見ていた相手がまたクハハハと笑った。なんとも特徴的な低い笑い声だ。多分癖なんだろうと思う。
「少しは抵抗したらどうだ?」
「悪い人に襲われたら出来る限り反抗せず、求められたら金品を渡して隙を見て逃げるようにって習ったことがあるんです。抵抗なんてしたら余計に危ないからって」
「頭に花の咲いた理論だ。骨の髄まで毟り取られるだけだろうが」
「髄はさすがにやめてください……」
それは間違いなく死んでいると考えて壁に頭を押し付けたままで頼んでみると、人間を解体する趣味はねェな、と答えた相手が俺の体を解放した。
とりあえず姿勢を戻しながら、ちらりと壁を見やる。
やっぱり壁には穴が穿たれていた。家主も急な物音に驚いたんじゃないだろうか。
今度謝りに行った方がいいだろうか、その場合は菓子折りでも持って行った方がいいのかとその傷跡を眺めていると、おい、と声が掛かった。
それを受けて視線を向ければ、こちらを見下ろす海賊がいる。
「逃げねェのか?」
低い声が面白がるように紡がれて、それを受けて少しだけ首を傾げる。
「俺に酷いことするんですか?」
尋ねてはみたが、この人は多分そんなことはしないだろう、と思った。
わざわざ今ここでこの人が俺に暴力を奮うなんて、そんな無駄なことをするとは考えられない。
どうしてだか紛れ込んでしまったこの島で、初めて人が死ぬのを見たのは、すえた匂いのする路地裏で俺が行倒れていた時だった。
目の前で人間が砂になるという不思議現象に驚きすぎて声が出て、『死体じゃねェのか』と面倒くさそうに言葉を零したこの人は、あの時は多分俺を殺すつもりだったと思う。
向けられた視線は冷たく、踏みつけてきたその足は体重を掛けられてとても重くて、触れただけで人間を砂にしたその片手は恐ろしくてたまらないものだった。
それでも、俺がよろりと相手の掌へ向けて手を伸ばしたのは、それに触れたらもしかしたら、この『悪夢』から逃れられるんじゃないかと考えたからだ。
親も兄弟も友人も知人もいない、家も食料も金も仕事もない。浮浪者の体をした異邦人にあの島の人間は冷たくて、縋り付く相手すら見つけられなかったし、殴られて蹴られて怪我をして、持っていたものは全部奪われた。
飢えて死んで終わるにはまだまだ時間がかかるだろう状況で、思わず期待してしまったのは仕方がないことだろう。
けれども、俺がその手に触れたところで、俺を見下ろしていた相手はどうやら俺を砂にすることをやめたらしい。
それどころか、俺をこの島へと連れてきて、金と仕事をくれた。
やっている仕事はただの事務方で、俺の雇い主は何か直接の『仕事』を任されているようだが、俺はそうじゃない。
『サー・クロコダイル』はとても悪い人間なんじゃないかと思いはするが、それでも俺にとっては救い主みたいな相手だ。
少々乱暴なところがあるが、ヤクザだからと考えればそれはそれで仕方のないことでもある気がする。
「望むんならしてやるが?」
つまんだ葉巻を軽く握りしめ、煙を零していたはずのそれを目の前で砂に変えた相手に、望まないんでいいです、と返事をする。
俺の返事に気分を害した様子もない相手は、やっぱり機嫌がよさそうだ。
いつもはそれなりに厳しい顔をしているのに。何か良いことがあったのかもしれない。
よく分からないまま見上げていると、片手で懐中時計を取り出した『サー・クロコダイル』が、時間を確かめてすぐにそれをしまった。
「行くぞ、ナマエ」
「え? あの?」
言葉と共にコートを翻してこちらに背中を向けた相手に、思わず戸惑いの声を掛ける。
けれども、振り向きもしなければ足も止めない相手はどんどん路地の奥へと進んでいて、仕方なく俺もそれを追いかけた。
背の高い相手の歩幅に合わせて足を動かしながら、どうしたんですか、ともう一度声を掛ける。
それを受けて、こちらをちらりと見やった『サー・クロコダイル』が、その唇にあくどい笑みを浮かべた。
「『良い物』が手に入ったんでな。てめェにも見せてやる」
さらりと寄越された言葉に、その『良い物』がとても悪い何かの予感がしてしまう。
機嫌がいいのは、どうやらそれを手に入れたかららしい。
何だろう。なんだかものすごい兵器だろうか。
多分この島の近くで手に入ったからだとは思うけど、どちらかと言えば秘密主義に思えるこの人がわざわざ俺なんかを連れていくのだから、とても自慢したいのかもしれない。
こんなに楽しそうにしているなんて、どれだけ恐ろしいものなのか。
目の前で何か『実演』されても平常心でいよう、と胸の内で覚悟して、歩く『サー・クロコダイル』の後ろをほとんど駆けるようにして追いかける。
「…………きゃうぅっ」
そうして、俺が島の影に停泊していた船の中で目にしたのは、手のひらほどの大きさの鰐数匹が、卵から孵るところだった。
どれほど時間がかかるかは分からないが、とんでもなく大きくなるだろう、ということは分かる。
何せ、その鰐達の頭の上には特徴的な突起物が生えている。
きゃうきゃうと可愛らしい鳴き声を上げるそれらを見下ろして、とても満足そうな顔をしている海賊を思わず見やる。
『サー・クロコダイル』は、ひょっとして鰐が好きだったんだろうか。
「…………あの、これ、良かったら……」
はた、と思い至った俺は、胸ポケットから取り出したものを、恭しく相手へと差し出した。
買ったばかりのペンの飾りを相手の目に触れるように転がして、そっと様子をうかがう。
「何だ、安物だな」
俺のそれを鼻で笑いながら摘まみ上げた海賊は、しかしそれを俺の手に戻すことも砂にすることもなく、自分のコートの内側にしまった。
俺の中で『サー・クロコダイル』は鰐好きだという図式が決定し、これからは鰐グッズを集めようと決意させた瞬間だった。
そのペンが相手への誕生日プレゼントになっていたらしいと知ったのは、それから半年くらいあとのことだ。
教えてくれていたら、もっとちゃんとしたものを準備したのに。
end
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