蟲毒の澱 (6/7)
※
俺がサカズキに何も言わなかったのは、俺の知る『サカズキ』じゃなかったあの海兵が、その心を痛めるんじゃないかと思ったからだった。
気遣いだとか、心配りだとか、そんな言語でつづられるべきものなんだろうが、どうして俺自身からそんなものが発されたのかはよく分からない。
ただ、自分のその選択が間違いだったに違いないということは、帰り道でけたたましく鳴いた子電伝虫によって肯定された。
「おおっと、また増援か。どんどんわいてくるな、虫かテメェら」
にやにやと笑いながら汚らしい声を零した男が、その片手に持った刃をギラリと輝かせる。
風体からして汚らしく、そしてその顔には見覚えがあった。先日の遠征で潰した海賊団のうち、どこにも見かけなかった賞金首のうちの一人だ。
そして似たような風体の男連中が、港に並んだ資材を船へと運んでいる。
汚らしい海賊旗が掲げられたそれは、誰がどう見ても俺とサカズキ達が乗ってきた海軍の船だった。
『海賊が現れた』『人質を取って船を占拠しようとしている』。
そんな連絡を受けて駆け戻ってみればこれである。足が遅かったのでおいてきた後輩はまだ追い付いていないようだが、時間の問題だろう。
海賊達の内の数人が制服を着込んだ海兵をとらえていて、それぞれのサーベルがその首筋へ当てられている。
周囲をとりまく海兵が近寄ろうとするたび海賊が威圧するように人質へ刃を押し付け、それを見て『やめて』と悲鳴が上がるのは、俺達と同じく港に集まった島民の方からだ。
それも当然だろう。
海賊達に拘束されている海兵達は、ほとんどが名前すら憶えていない顔だ。
恐らく俺達がこの島へ来る前からこの島にいて、島民たちに尽くし、島民からすれば苦楽を共にしてきた別部隊の連中だった。
その中には何度か声を掛けてきたあの『同期』の姿もあり、ぎりり、とサカズキが歯を食いしばる音が聞こえる。
「こんの、卑怯モンがァ……っ!」
苛立たしげに唸るその拳からはマグマが滴ったが、サカズキはその拳を相手には向けなかった。
振りぬいてマグマを飛ばせば、縛られて人質になっている『海兵』を傷つける。それを考えてのことだということは、すぐに分かる。
しかしこれは、何という茶番だろうか。
ため息すら零してサーベルを抜くと、俺の動きに気付いた賞金首が、眉間にしわを寄せてこちらを睨んだ。
「おい、テメェ、この人質連中が見えねえのか!」
「生憎と、海の屑と言葉を交わす口は持っていないんだが」
反吐が出ると低く唸って、サーベルを収めるための鞘を捨てる。
むき出しの刃を相手へ向けると、ナマエさん、と周囲にいた後輩達の方から戸惑いの声が漏れたのが耳に届いた。
それを無視して、見つめたのは賞金首でも無く、その隣で人質に取られている『同期』だった男の顔だ。
「海賊を匿ったな」
切っ先をひたりとそちらへ定め、言葉を紡ぐ。
俺のそれを聞いて、拘束されている海兵がわずかに目を見開いた。
なぜと問うようなその驚愕は、俺の推察を裏付けるに値するものだ。
「海の屑に脅されたか。感銘を受けたか。どちらでもいい。ただ、お前達には生きる場所もない」
このまま軍の船を奪わせて逃がせば、どこかでまた似たようなことが行われるだろう。
そうでなくとも、目の前の屑を逃がすなんてこと、俺にはありえない選択肢だった。
海兵が海賊に与するだなんて、それこそどうかしている。
「どういう意味じゃァ、ナマエ」
俺の言葉を聞いていたサカズキが、低く声を漏らす。
「連中の根城に、海兵の死体が隠されていた。先行していた支援部隊の一部……『先に船で帰った』連中だろう?」
言葉の後ろは同意を求めるように向かいの『人質』へ向けて放つと、ざわり、と島民達の方からわずかなどよめきが漏れる。
海兵を全面的に信用していたのだろう。
どこにこの海賊達を隠していたのかは分からないが、この島には小さな村が一つあるだけだ。気付かれやすい場所さえ避ければ、山狩りでもしない限りは見つからない。
ひょっとしたら殺された海兵は、それに気付き、協力などしないと宣言した連中だったのかもしれない。
俺の言葉に戸惑いの気配を零したサカズキは、しかしそれからすぐに拳を握った。
構えたのが視界の端に映り、それを見て海賊が足を引く。
「お、おいおい、話が違う!」
慌てたような言葉と共に『人質』を放り出し、それぞれが武器を構えなおした。
放り出されてたたらを踏んだ『海兵』の恰好をした屑連中も、縛られていた縄を自分で解く。
伺うようにこちらを見やる連中を見つめ返し、俺は一度だけ周囲に視線を送った。
「俺とサカズキがやる。民間人を避難させろ」
できればそのまま離れていろと続けて、それから誰よりも先に足を踏み込んだのは俺だった。
俺のそれを追うようにサカズキがマグマを放ち、それがそのまま船へと着弾する。
乗り込んでいた海賊連中が悲鳴を上げている。ついでに言えば島民の方からも聞こえた。近隣には火山もない。マグマなんて見たことのある人間のほうが少なかっただろう。
真っ向から向かった先の賞金首がにやりと笑い、手に持っていた刃が振り下ろされたのを横に転がって避けた。
そんな俺の傍をサカズキが再び放ったマグマが飛んでいき、慌てたように海賊が声を上げる。
サカズキはさらにほかにもマグマを散らし、海賊達から陸地の逃げ道を奪い取った。
あちこちにはい回るマグマを踏み超えることも出来ず、俺の前から逃げられない海賊達が刃を振り上げて襲い掛かってくる。
『海兵』の姿をした連中まで交じりこんでいるそれをいなして、俺はサーベルを突き出した。
敵の攻撃を避け、弾き、いなして、急所だけをひたすらに狙う。
さすがに賞金首になるだけある腕だが、海の屑にはそんな評価をすることすら勿体ない。
一人、二人と殺したところでサカズキが間を分断して、半分程度を奪われた。
「サカズキ、船は!」
「あがいにこまいもん、乗り込んで潰すまでもありゃあせん!」
視線も向けずに尋ねたところで返事を寄越され、敵を視界に入れながら一度だけ海を確認した。
なるほど確かに、すでに黒旗すら燃えた船は沈みかけているところだ。
船にいた海賊達が海へ逃げているのが気に入らない。目の前の連中を殺したら追いかけることにしよう。
いやその前に、敵を取りこぼすことの多いサカズキの取りこぼしを拾うことからだ。
「畜生が、うまくいくかと思ったらこれだ!」
汚いだみ声で嘆きながら攻撃を仕掛けてきた相手の刃を受けながら、踏み出していたその片足の膝を足で踏みつけた。
覇気をまとった脚の堅さが尋常でないことはよくよく理解している。とても鈍い音を立てて足の関節が逆を向き、声を零した賞金首がそのまま崩れ落ちる。
さらに攻撃を仕掛けようとしたところを横に転がって避けられ、追おうとしたら他の海賊の刃が俺の頭を狙ってきた。
背を逸らして目の前を通過していった刃を避け、突き出してきた海賊の腕をつかんで放り投げる。
投げた先にサカズキが零したマグマがあったことは狙ったことじゃないが、腰から下を灼熱に焼かれた海賊の口からは酷い悲鳴が上がった。
哀れな相手にとどめを差し、刃に纏わりついた血を振り払いながら他へ視線を向ける。
俺の方には、顔も覚えていない『海兵』と賞金首の二人しか残っていない。
「ひっ」
自分を見たことが分かったのか、悲鳴を上げた『海兵』姿の屑が、震える手でサーベルを握った。
そのまま前へと突っ込んでくるのを軽く避けて、突き出した刃が相手の左胸へと吸い込まれる。
わずかに捻ってから振りぬけば、たたらを踏んで倒れた相手がびくびくと痙攣した。
「お仲間にも容赦なしかよ、怖ェなァ、おい」
残る一人になった賞金首が、片足を庇って立ち上がりながらにやりと笑った。
ぬるりとした汚らしいその笑みに眉を寄せて、仲間なものか、と吐き捨てる。
「お前達に協力するような人間が、『海兵』なわけがない」
正義を担う側が、民衆を踏みにじる側に肩入れをするだなんて馬鹿のような話だ。
何を考えているのか理解できないし、聞きたくもない。
「ああなるほど、そりゃあ確かに、な!」
言葉と共に目の前の相手が刃を振るい、何度か切り結ぶ。
片足が使えないくせに衝撃の強いそれに眉を寄せ、数回の攻防の後に武器を弾くと、すでに力を失っていたらしい賞金首の手を離れた武器が、そのまま海へと落ちた。
行方を見送り、そうして丸腰になったことを自分で確認した海賊が、はは、と軽く笑う。
「おれ達ァ、ただあいつらの話に乗っただけだ。おれ達のアジトの宝に目の色変えてよ。やっぱりまァ、世の中金だ」
「そうか」
「あァ、でも一人は違ったな。ポート……なんつったかな、会いたい海賊がいるっつうからよォ。海兵でいるよりゃあ、海賊になった方が会いやすいだろうってな」
死ぬか仲間になるかを選ばせたと続いた言葉に、ふう、とため息を零す。
そうしてそれから、俺は相手の首へサーベルを突き立てた。
どすりと肉に物の突き刺さる音がして、ごぼりと賞金首の口から血が漏れる。
「うるさい。興味がない」
誰がどんな理由を言っていようが、海軍を裏切り悪に寝返ったことにかわりはない。
だから不要だと告げて勢いよくサーベルを引き抜けば、ぶしゅりと噴出した血がこちらへ飛んだ。
顔に受けてしまったそれに眉をひそめて顔をぬぐい、血を吹く体を蹴とばす。
血を零して後ろ向きに倒れた賞金首は、そのまま海へと落ちていった。
青い海にわずかな赤が滲んで、じゅうじゅうと音を立てて沈む船が立てる波に飲まれる。
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