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蟲毒の澱 (5/7)




「どこに行っちょった」

 走り込みをする気にもなれずに宿に戻った俺が目にしたのは、俺が使うことになった一人部屋で仁王立ちしている海兵だった。
 眉間にしわを寄せ、ぎろりとこちらを睨むさまはまるで海賊と対峙している時のようだ。
 熱を感じるので、ぎりぎりでマグマを堪えているのかもしれない。

「運動不足な気がしたから、ちょっと走り込みに行ってたんだよ」

「ほう」

 寄越された視線を受け止めて真っ向からそう答えると、サカズキの低い声がこちらへ向けて吐き出された。
 何故自分を連れて行かなかったのだと書かれているその顔に少しばかり首を傾げてから、俺はサカズキを押しのけるようにして部屋へと入る。
 鍵もかけていない扉がぱたりと閉じて、その音を聞きながら数日使っているベッドに腰を下ろした。

「夜に大所帯で走り回ったらやかましいだろう。次はお前も誘うよ」

 『次』なんてありそうにないが、とりあえずそう言った俺に対して、俺を追うようにこちらを振り向いたサカズキが眉を動かした。
 じっとその目がこちらを見つめて、やがてその口から舌打ちが漏れる。

「……なんじゃァ、そのツラは」

 気に入らんと唸る相手の声音は、普段よりも不機嫌だ。
 サカズキはよくそれを言う。
 酷いなと声を漏らしながら片手で軽く自分の顔を隠して、指の挟間からサカズキの方を伺った。

「そうだ、明日は少しだけ単独で行動するから、現場監督はお前がやってくれ」

「『単独』? 何をするつもりじゃ、おどれ」

「少し気になることがあってな」

 確証を得たら教えるよと言葉を紡いだのに、他意はない。
 ただ、俺の『推察』を聞いた目の前の海兵なら、きっとその心を痛めるだろうと考えると、なんとなく言いたくなかった。
 なんだと、と不満そうな顔をした相手を覗き見ながら、唇の笑みを深くする。

「山に入るから、サカズキには留守番を頼みたいところだ」

 この島には集落が一つしかなく、それ以外の殆どが青々と茂る緑で覆われている。
 宿屋の中でじんわりと熱を上げているサカズキはマグマグの実の能力者で、とっさの時に噴出したマグマの対処は炎よりも難しいところだ。
 マグマは炎すらも飲み込んで、その場にとどまって熱を上げて周囲を焦がし、踏んだり叩いたくらいでは消火も出来ない。
 山火事を起こしたくはないだろ、と言葉を続けたのは、目の前の『サカズキ』なら、それで引き下がることを知っていたからだった。

「…………仕方のない奴じゃァ」

 低く声を漏らして、サカズキの口がため息を漏らす。
 戻ったら洗いざらい吐けと唸った同僚に、分かってるよと軽く笑った。







 俺は確かに、『単独』と言ったはずなのだが。

「どうかしましたか、ナマエさん?」

「いや」

 ため息を零したところで後ろから声を掛けられて、返事をしながら後ろをちらりと見やる。
 山を行くための装備を整えた同じ部隊の後輩が一人、俺の視線に気付いてへらりと笑った。
 昨晩サカズキに部隊を頼んだ俺は、早朝から山へ入ろうと考えてかなりの早い時間に起床した。
 そして部屋を出てみれば、部屋の真ん前で彼が敬礼をして立っていたのである。
 一体いつからそこにいたのか分からないが、『サカズキさんからの命令で』と頭につけて同行を申し出た彼は、いつだったか海賊に絆されかけた馬鹿をしでかした後輩だった。
 緑を深くした髪色は、なんとなく見覚えがある。
 落とし前を付けさせようとした俺をとんでもなく怖がっていたうちの一人だった筈なのだが、いらないと言っても首を横に振ってついてきている。
 あの時助けたサカズキに心酔している様子だったから、サカズキの命には背きたくないということかもしれない。

「それにしても、なんだか妙に踏み跡のある道ですね」

 山へ分け入ってからしばらく、選んで歩いていたけもの道を進む俺の後ろで、後輩が言葉を零す。
 そうだなとそれへ返事をして、俺は足を動かした。

「この先には、件の海賊の根城があるらしい。……『報告書』通りなら」

「ははあ、なるほど」

 村と行き来してたんなら道ができてるのも当然ですね、と後ろから納得したような声が漏れる。
 そうだなと答えながら、俺は折れたばかりの枝を見つけて眉を寄せた。
 所々からわずかに血の匂いがする。
 草に隠れて見えないが、血痕があるんだろう。

「その、海賊の根城に、用事があるんですか?」

「そうだ」

 足を動かしながら尋ねられて頷くと、わかりました、と返事が寄越された。
 それきり静かになったまま、二人で草を踏みつける音が続く。
 もとより集落とはそれほど離れていないのだろう、やがて俺達二人は少し開けた場所へとたどり着いた。

「ここか」

 そこは、すっかり廃墟と化していた。
 海賊と海兵が交戦した名残があちこちに刻まれていて、硝煙の匂いもまだ漂っている。
 建物は半ば岩肌にめり込んだ姿をしていた。
 洞窟を再利用しているんだということは見ればわかる。
 火をつけたのは海兵か、それとも海賊なのか分からないが、木造の部分はそのほとんどが焼け焦げていた。周囲によくも延焼しなかったものだ。

「入るぞ」

 ついてきている海兵へ声を掛けて、俺は先に焼け焦げた建物の中へと進んだ。
 焼けた木片を踏みつけて、靴底でぱきりと小さな音が立った。
 建物の中は、奥へ行くほど薄暗い。口を開いた洞窟がうまい具合に通路の役割を示しているが、それにしたって真っ暗だ。

「あ、ちょっと待ってください、おれ、灯持ってきました」

 何か火を灯せるものでもないかと落ちているものを確認していたら、後ろからそんな風に声が聞こえた。
 かちゃかちゃと音を立ててから、やがて真後ろから注ぐ光が少しだけ奥を照らす。
 振り向けば海兵がランプを手に立っていて、どうぞ、とそれを俺へと差し出した。

「ありがとう」

 礼を言って受け取り、改めて奥を照らす。
 建物の中は意外と狭い。
 奥には通路が一本だけあるようだ。恐らくあれが洞窟の内部だろう。
 そのまま進もうと先へ踏み出して、少し進んでも後ろから続いてこない足音に、おや、と後ろを振り返る。
 先ほどと同じ姿勢のままで、海兵が佇んでいた。
 外の方が明るいせいで、その表情はよく分からない。

「外で待っているか」

「え?! あ、いえ!」

 別に入りたくないなら構わないぞと言葉を続けるつもりで言葉を放つと、慌てたように首が横に振られた。
 そしてすぐさまその足が動き出して、山歩きをしてきたときとそう変わらない距離を保つ。
 おかしな海兵に首を傾げつつ、まあ気にすることでもないかと灯を持ち直した俺は、さらに先へと進むことにした。
 家の中は焦げ臭いが、そのせいで焼け落ちた扉が、その奥に続く洞窟を覗かせていた。

「よっと」

 足で扉を蹴破り、さらに先へと進む。
 洞窟は、ずいぶんと丁寧に彫り削られているようだ。
 天井の高さはサカズキがぎりぎり歩ける大きさだ。連中の中に体格の良い者がいたのかもしれない。
 通路は短く、最後は大きな広間が一つあっただけだった。

「うわ……広いですね……」

 いくらかの家具がおかれたそこを照らすと、後ろからそんな風に声が漏れた。
 そうだなと頷きながら、ゆっくりと周囲を確認する。
 ここでも海兵と海賊がやりあったのか、中はすっかりと荒れていた。
 死体は見当たらないが、血痕と銃痕がそこら中に散っている。
 恐らくはサーベルか何かで刻んだんだろう斬撃の跡もあった。
 注意深くあたりを確認してから、壁際で血痕が途切れている個所に気付いて、後ろへとランプを差し出す。

「持っていてくれ」

「はい」

 後輩が答えて受け取ったのを確認してから、両手を自由にした俺は、そのままその壁際へと近付いた。
 後輩も共に移動してきたので、俺の確認したいものが、しっかりと灯に照らされる。

「…………あれ、この血の跡、変ですね」

 滴り落ちた楕円の血痕の半分が壁に噛まれているのを見て、不思議そうに後輩が呟いた。
 そうだなと返事をして、少しばかりその壁に触れる。
 手触りは普通の岩と変わらないが、巧妙に隠されたわずかな継ぎ目を感じた。隠し扉だ。

「仕掛けがあるな」

「隠し扉ですか! えっと、どうやって動かすかな……」

 どうしてだか声音を弾ませた後輩が、少しランプを揺らす。
 どうやら仕掛けを作動させるための何かを探しているらしい相手に、時間が惜しい、と告げた俺は足を振り上げた。
 足先まで覇気をまとわせて、そのまま勢いよく目の前の壁を踏みつける。
 扉として加工したがために薄かったのだろう、岩肌がばきりと音を立て、内側へ向けて割れて崩れた。
 少し鋭いかけらが布地を突き破って足に触れたが、武装色をまとわせた肌に傷はつかない。

「ええええ!!」

 おかしな声を上げる後輩をよそに足を引き抜いた俺は、そのまま扉だった岩肌が崩れていくのを待ってから足を踏み出しかけ、そして、内側から漂った臭気に眉を寄せた。
 う、とすぐそばでも吐き気を堪えるような声が聞こえる。
 片手を後輩の方へ伸ばし、要求したランプを手にしてから、改めて足を踏み出す。
 そうして、差し入れた灯で照らしたそこは、酷い有様だった。

「な……こ、これ……!?」

 驚きに満ちた声が横から聞こえるが、仕方のない話だろう。
 埋めるのではなくて隠したのは、獣が掘り起こす危険性を考えてのものか。
 狭いその隠し部屋には、幾人かの死体が落ちていた。
 夏島でこんなふうに放置されているからか、腐り始めの匂いを零したそのどれもが、俺達の見慣れた制服を着込んでいる。
 俺がこの島へきて、『足りない』と感じた人数分だった。
 『入れ違いで帰還している』と言われて、そうかとただ納得して確認もしなかった自分が馬鹿のようだ。

「か、海賊討伐の際の犠牲者、ですかね……」

 後ろから漏れた震える声音は、まるでそう思い込みたいとでも言いたげだった。
 そんなわけがないだろう、とそちらへ言い返してやりながら、俺は片手で掲げていたランプを下げる。
 昨晩、涙目で囁いた子供の声が、耳に蘇った。

『かいぞくがね、いるの。たくさん。かいへーさんも、いっしょで』

 おねがい、たすけてと続いた声音は、小さいながらも必死そのもので。

「海賊に与した屑がいるな」

 俺が島へ来た時の駐留兵全員か、それとも一部かはまだ分からないが、間違いのないことだった。



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