蟲毒の澱 (4/7)
※
昼間は奉仕活動とその現場の監督、夜は短いながらも報告書の作成。
『休暇』と言われたとは言えさすがに体がなまるからと、四日目には、俺は夜に宿屋を抜け出していた。
サカズキにすら声を掛けなかったのは、俺が外へ行くと言ったら、なんとなくついてくるような気がしたからだ。サカズキが来れば組手も出来るが、うっかりと夜中に騒音をまき散らしても仕方ない。
小さな島だから軽く島を一周してくるか、なんてことを考えながら村の中を歩き、いくつか木箱が積まれたままの道端をぼんやりと眺めながら村はずれまで足を動かしていると、砂浜に続く門の向こうから人が歩いてきた。
「よォ、ナマエ」
こんばんは、なんて言って月明りの下で笑ったのは、日に焼けた黒髪の俺達の『同期』だ。
そういえば初日以来その顔を見ていないな、なんてことを思い出しながら俺も同じように挨拶をして、向かいから近寄ってきた相手の前で足を止めた。
「こんな時間にどうしたんだ?」
「体がなまりそうだから、適当に走り込みでもしようかと思ってな。そっちは?」
「俺は酔い覚ましの帰り。走り込みィ? そんなもん昼間やれ昼間」
運動なんて日の下でやるもんだろうと呆れた顔をされて、それもそうなんだが、と俺は頷いた。
「どうも俺達は『休暇』扱いのままらしくて、たくさん動いていると怒られるんだ」
「怒られる? 誰に」
わずかに酒気の香相手に怪訝そうに問われて、正直に『後輩に』だと答えると、ますます不思議そうな顔をされる。
そうしてそれから、その双眸が上から下まで俺のことを確認して、ははあ、とその口から声が漏れた。
「あの『ナマエ』でも、後輩は可愛がってんのか」
「そりゃあ、もちろん。厳しくもするから怖がられていると思うんだけどな」
寄越された言葉に頷きつつ、俺は片手を自分の顎に添える。
どう考えても言い含めているのはうちの中将なのだが、なぜそこまでして俺達を休ませたいのかが分からない。
別に馬車馬のように働いているわけでもないし、今までだって支障が無かったのだから、働かせたって問題はないはずだ。
そこまで考えてから、ふともう一人のことを思い出して、ああ、と声を漏らした。
「もしかしたら、サカズキを休ませたいから俺を巻き込んでいるのかもな」
「……『サカズキ』を?」
先ほどよりさらに不思議そうな声を出されて、そう、と頷く。
「あいつは後輩に好かれているから」
俺の同僚であるサカズキは、能力が強大で少し周りが見えなくなる癖はあるものの、俺などよりも随分と後輩に優しい海兵だ。
声を掛けて、助けて、庇う。時には海賊に協力する格好になった人間にですらも。
優しさのにじみ出た行動をとる姿を見る度に『そんな奴じゃない筈なのに』と思っていたのは初めの頃だけで、今ではもうすっかりそれにも慣れた。
そんなだからサカズキは後輩達には好かれている方で、そして俺が働いていてはサカズキが気兼ねなく休めないと気にしているのかもしれない。
お互いなんとなくやるべきことを見つけられなくて一緒に行動していたのだが、もしやサカズキと別行動をとれば、俺は好きに動けるのだろうか。
そんなことを考えた俺は、ふと向かいの男が何も反応していないのに気が付いた。
おや、と視線を向ければ、どうしてだかとても驚いた顔をした相手がそこにいて、音もなくその唇が言葉を綴る。
嘘だろ、と刻まれたあんまりなそれに、おいおい、と俺は眉を寄せた。
「そんなに驚くようなことか?」
確かにサカズキには荒々しい噂がついて回っているが、近くにいればそれがただの誇張されたものだということが分かる。
もしくは、俺自身は見たことも無いからピンとこないが、海軍に入った頃の荒れていたサカズキのイメージが、そのまま定着しているだけのことだ。
友人と呼んでも相応しいだろう『同僚』に対しての失礼な態度に思わず目を眇めると、は、と何かに気付いたように表情を取り繕った『同期』の男が、慌てた様子で両手を振った。
「悪かった。別にあの、そういうつもりじゃないんだ、ただ、」
「『ただ』?」
「………………いや、なんでもない。俺の勝手なイメージだな、うん」
問い詰めようとした俺の向かいでそう言って、悪かった、と言葉を落とした相手が俺の前から一歩足を引く。
「まだ中将でもないんだし、そういうもんだよな」
そうしてそんな台詞を零して、アイツに言わないでくれよな、と両手を合わせて頼み込んだ男は、素早くそのまま俺の前から逃げていった。
路地を曲がってすぐに見えなくなった姿を見送る形になって、思わず伸ばしていた手をおろす。
「…………あいつのなかで、『中将』はどういう認識なんだ」
後輩や部下に慕われない中将というのも稀だろう。ひょっとしたら、以前はそんな海兵がいたのかもしれない。
よく分からないながらも、俺はひとまず当初の目的通り砂浜にでも行こうと足を動かしかけて、そして止めた。
耳に、ことりと小さな物音が届いたからだ。
蹴とばした小石が樽にでもあたったようなその小さな物音はほんの少しだけ後方からしていて、そして先ほど木箱の傍を通り過ぎたような覚えがある。
あまり得意ではない覇気を使い、様子を伺いながら、ゆっくりと後ろを振り向いた。
「…………さすがに子供が出歩いて良い時間じゃないだろう、坊主」
言葉を投げると、俺が自分に気付いたことを認めたのか、ごそりと木箱の傍で人影がうごめく。
ややおいて、ひょこりと木箱の後ろから頭を出したのは、ここ最近ずっと俺達の周りをうろうろとしている子供だった。
まるで人間の出方を伺う野良猫のように怯えた子供が、その二つの目でじっとこちらを見上げている。
近寄ったら悲鳴を上げて逃げそうなそれに、とりあえず体を向けたところで動きを止めると、あの、と小さな相手から声変わりもしていない高い声が寄越された。
自分の声の大きさに驚いたように小さな体が飛び上がり、それからきょろきょろと周囲を確認する。
まるで何かを警戒するようなそれに目を瞬かせてから、俺は周囲を伺った。
見聞色で確認した限り、村の外れに当たる周囲には、俺達以外の気配は感じられない。
だからこそ、大丈夫だ誰もいない、と言葉を落とすと、うん、と頷いた子供が、先ほどよりも小さな声で言葉を放った。
「あの、あの……っ かいへーさんは、かいぞくを、やっつける?」
「……何だって?」
「おれたちのこと、たすけてくれる……?」
そのためにきてくれたんだよね?、と、丸い目に涙が浮かぶのを見て、俺は思わず目を瞬かせた。
← : →
戻る | 小説ページTOPへ