蟲毒の澱 (2/7)
※
「お! ナマエ達も来たのか」
小さな軍艦一隻に乗って訪れた夏島は、確かに春の季節であるようだった。
少しばかりの暑さはあるが、真夏のうんざりするような気温でもない。
そして、やってきた俺達を出迎えたのは、この島の復興を手伝っている『海兵』のうちの一人だ。
妙に親しげに声を掛けられて目を瞬かせると、俺のそれを見た相手が、おい、と声を掛ける。
「まさかとは思うが、また俺のこと分からねえのか。忘れん坊さんかお前は」
「また……」
どうやら知己らしいと把握して口の中で呟いた俺の横で、サカズキが俺の体を肘で小突く。
なんだと思ったら少しだけ近寄った相手の口が音もなく『同期だ』と紡いだので、それで俺はタラップの前に立つ男の顔を思い出した。
いつだったか、タオルを借りた相手だ。
「あ……ああ、なるほど」
「頼むぜ、全く」
俺が思い出したことが分かったのか、『同期』がふるふると首を横に振る。
それからその手が軽く村の中の方へと促して、俺とサカズキは揃って船を降りた。
俺達の動きを見守りながら、ふと俺達の後ろに続く人間がいないことを確認した相手が、少しばかり首を傾げる。
「慰問に来るのは中将だって聞いてたんだが、中将はいらっしゃらねェのか?」
「任務と日程が被ったんだ。センゴク大将とガープ中将の遠征についていくんだと」
「中将が二人ってのは……ああ、まあ、ガープさんだもんなァ」
呟く途中で納得したような声を零した相手に、俺も一つ頷く。
例えばその下で働いたことが無くても、破天荒な『英雄』のことは海軍の中では有名だ。
ついていきたがる海兵も多いが、俺はそのうちには含まれない人間だった。
「胃薬を多めに買っていくよう勧めた」
俺と言葉に、『同期』が、そういや胃が弱いんだっけか、と紡いで笑う。
「まァいいさ。まずは拠点だな、宿に案内するからついてきてくれ」
言い放った海兵の足が俺とサカズキを追い抜くようにして歩き出し、俺達を先導するように先へ向かった。
白いコートがふわりと翻り、正義の文字が揺れる。
先を歩く彼に何人かの島民が声を掛けて、それへ朗らかに返事をしている様子を眺めながら、俺はサカズキと一緒にその後を追いかけた。
そうして、きょろりと周囲を見回す。
春先の夏島は、どことなくゆったりとした空気を宿していた。
あちこちの家屋に傷がついているのは、海軍と海賊の交戦の跡だろう。道行く島民の、怪我をしている割合が高いような気がする。
この島にいた海賊達全員を殺したわけでも捕縛したわけでもなく、一部には逃げられたという情けない話も聞いた。
船長自体はすでに俺とサカズキが赴いた任務で死んでいて、島に残っていた幹部もインペルダウンにいる。
そのために、どこへ集うのかも分からない残党の足取りが追いづらいのだ。
海の屑達がこの島で島民をどういう扱いにしていたのかは分からないが、海兵を歓迎している様子からして酷い状況だったのは間違いない。
『見せしめ』としての島民の殺害もあったと報告書には書いてあった。
ただ平穏に暮らしていただけの人々をそんな目に遭わせた連中がインペルダウンでのうのうと生きているというのは、やはり何とも納得のいかない話だ。
俺がこの島に派遣された海兵だったら、『うっかり』と海賊連中を皆殺しにしていたかもしれないし、上官は恐らくそれを見越していたに違いない。
サカズキがその任務に就かなかったのは、サカズキの能力では民間人を盛大に巻き込むことは間違いないからだ。
犠牲になった島民達の無念を晴らし、次の犠牲者を出さないためにも、残党狩りは必要だろう。
この島から逃げ出したとしたなら、海賊共が潜伏するのはどのあたりになるだろうか。
「おーい、おい、おい、ナマエ!」
そんなことを考えていたら不意に名前を呼ばれて、はた、と足を止めた。
いつの間にやら目の前にいたはずの先導者がおらず、戸惑いながら傍らを見やる。
俺の視線を受け止めたサカズキが自分の後ろを見やったので、俺も同じようにそちらを見ると、小さな建物の前で足を止めた海兵が少しばかり困った顔をしていた。
考え事をしていたからか、うっかりと立ち止まった相手に気付かず横を通過してしまったらしい。
「悪い」
謝罪を投げてきた道を戻ると、はー、とため息を零した海兵の視線が俺と共に戻ったサカズキの方へと向けられた。
「そっちも気付いてるんなら誘導しろよな、全く」
「知らん」
「嘘つけ、すれ違う時目ェ合っただろうが」
眉を寄せて抗議する『同期』に、ふん、とサカズキが鼻を鳴らす。
それは間違いなく肯定を示したもので、俺は少しばかり首を傾げた。
「どうしたんだ、サカズキ」
俺は考え事をして気付かなかっただけだが、気付いていたならそれなりの行動をとるものじゃないだろうか。
別にわざわざ俺と一緒に先へ進む必要はなかったし、何なら俺の肩でも掴んで止めてもよかったはずだ。
見やった先のサカズキが、ちらりとこちらを一瞥してから、その視線をすぐに逸らす。
「本部を出たときから様子がおかしかったじゃろうが」
「え?」
「どうせ『休暇』じゃァ、おどれの好きなようにせェ」
つんと顔すら背けたまま寄越された発言に、そうだったろうか、と少しばかり頭を掻く。
改めて『休暇』なんて言い渡されたのは初めてのことで、確かになんとなく落ち着かなかった。
俺とサカズキですぐに沈められそうな小さな船しか出なかったし、その中のトレーニング室は、同行した後輩達にも言い含められているからか立ち入りを禁じられたのだ。
『通してくれ』
『ひっ そ、そんな顔したって駄目ですよ! 休んでください!』
俺のことを『怖い先輩』だと認知したらしい後輩達なら押せば何とか通るだろうと思ったのに、それも出来なかった。
仕方なく塒を探す獣のように船内をうろうろし続けて、気付けば島へと着いていたのである。
「なんだ、お前ら旅行気分なのか」
呆れたような声音が寄越されて視線を向けると、朗らかに笑っていた同期の顔にわずかな歪みが見えた。
それに気付いて目を瞬かせれば、俺の視線を見つめ返した相手の顔から毒が隠れる。
「慰問と支援活動の増援にしちゃあ小さい船だなァとは思ったんだよ。しょうがねェなァ、出世頭様達は。まあ、あんまりわがまま言って島の人間を脅かしたりするなよ」
笑顔でさらりと寄越された言葉と共に宿へ入ることを促されて、足先を宿へと向ける。
日に焼けた黒髪の海兵は、じゃあな、とだけ言い置いてそのまま俺達を残して去っていった。
何故だかその背中に抱いた違和感は、なかなか消えてはくれなかった。
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