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鬼狩りの唄 (3/5)



 俺はかつて、一度だけ過ちを犯したことがある。

『た、頼む、お願いだ、見逃してくれ!』

 必死になって言いつのり、命乞いをしている鬼だった。
 髪は黒、右目の下に大きな痣があり、口元は濁った血で汚れていて、その傍らには人間の死体がある。
 それを喰らったのだという事は、見てわかった。
 しかしその腐った香りと共に死んだらしい馬とひしゃげた頭からして、殺したのがその鬼ではないこともまた、明らかだった。

『二度と人を喰ったりしない、本当は喰いたくなんて無かったんだ、まだ誰も殺したりしていないんだ、だから、なあ、頼む!』

 涙すら浮かべた必死の声音に憐れみを感じてしまったのは、まるで人のような言葉を相手が口にしたからだったのか。
 しかし、鬼を見逃すというのは大きな隊律違反だ。
 鬼殺隊は鬼を殺すために存在するし、鬼はどうしても人を喰ってしまう。飢えと言うのは抗えぬものだ。
 けれども例えば、拘束して連れて帰り、閉じ込めてしまうのならどうだろうか。食事は動物の何がしかを与えて、ああそうだ、柱のうちにそんな『研究』をしたいと言っている方がいたような。
 そんなことを思いついて迷った、一瞬の隙をつかれて逃げられた、それがひと月前のこと。





「やはり、鬼を信じるものじゃない」





 右目の下に痣のある鬼の頸をどうにか切り落として、俺は小さくため息を零した。
 街道で人が襲われるという話を鎹鴉が運び、俺はそのまま仕事へと赴いた。
 相手はもう頭の中まで鬼らしくなっていて、俺のことすら忘れていた。
 あの日の命乞いからして嘘だったのかもしれないと思えば、あの日迷った自分の愚かさには腹が立つ。
 その結果として、数人の人間が死んだのだ。

「やっぱり、消えてなくなっちまうのか」

 物珍しげに漏れた声に、俺はちらりと後ろを見やった。
 俺が戦っている間、『手出しはしない』と言う約束を守って離れた場所にいた相手が、中身のなくなった着物を見下ろしている。

「ドフラミンゴ殿」

 名前を呼んでみると、おう、と答えた相手がこちらへと近寄ってきた。
 名前の呼び方に様々な注文をつけられて、何度も何度も練習したからか、今回の呼び掛けも特段引っ掛かりの無い呼び掛けをすることが出来たようだ。
 ドフラミンゴ殿はどうにも、変わった外国人だ。
 鬼狩りである俺についてきたいと言ったのもそうだが、一人で時々ふらりと離れては、気付けば戻ってくる。
 どこにいても見つかるので不思議だったのだが、糸を辿っていると言われた。俺の目には捕らえられない糸が、どうやら俺の体のどこかに結ばれているらしい。

「それで、次はどこに行くんだって?」

「今回の仕事はこれで終わりですから、次はまた鎹鴉を待つことになります」

 すぐ来ると思いますよ、と言葉を紡ぐと、あああの鴉か、とドフラミンゴ殿がにやりと笑った。

「今度こそ捕まえるか」

「おやめください、飼えませんよ」

 鎹鴉なんて、どう考えても愛玩出来ない。
 連れて歩いて叫ばれては、明らかに注目の的だ。
 ただでさえドフラミンゴ殿が衆目を集めるというのに、更に人が集まってはおちおち鬼を狩ることも出来ないだろう。
 俺の発言に『冗談だ』とドフラミンゴ殿が笑っているが、本気で鎹鴉を捕らえようとした前科があるだけに、何とも言えない気持ちだ。
 あれからと言うもの、鎹鴉は俺に用事を言ってはすぐさま飛んで逃げるようになってしまった。

「この先の街へ行きましょう。港がありますから、ドフラミンゴ殿のお帰りになる場所も分かるかもしれません」

「フフフ! 迷子のような言い方をするんじゃねェよ」

 街道の先を指差した俺に笑いながら、傍らの相手が頷いた。
 それではと先に歩き出しながら、鞘に納めた刀を片付ける。
 布を巻いて背中に隠すのは、帯刀すればそれだけで騒ぎになるからだ。

「相変わらず不便だなァ、もっと片付けやすい武器に変えりゃあいいじゃねェか」

「あいにくと、鬼は日輪刀でしか倒すことが出来ません」

「へェ、なるほど」

 特殊な武器か、と一つ頷いて、ドフラミンゴ殿の手が伸びて来る。
 刀に触れようとしていると分かって身を捩ると、俺の抵抗を認めたらしい相手の方から笑い声が漏れた。

「少し触らせたっていいだろう?」

「この前もそう言って、ご自分の腰に差したじゃあありませんか」

 俺より大柄で、恐らくは俺より年上のくせをして、このお人は時々妙に子供だ。
 自分の刀が欲しいとも言っていたが、今の世の中、おいそれと手に入るような品でもない。

「さっきもあのオニの爪を受けてたろう、刃こぼれしてねェか見てやるよ」

 そう言いながら更に手を伸ばされたので、大丈夫ですよと答えながらその手を捕まえた。
 相変わらず、俺よりも大きな手をしている。
 どうしてだかされるがままになりながら、仕方ねえなと零したドフラミンゴ殿は、それから急に話題を変えた。

「そういや、さっきのオニは顔見知りか何かか?」

「え?」

「そういう反応をしていたじゃねェか」

 相手は忘れてたみてェだったがな、と言い放ちつつ、その顔がちらりと後ろを見やる。
 俺と彼が歩いてきた彼方には、もはや持ち主のいない着物が一そろい落ちている。

「ひと月ほど前、一度だけ会った事があります」

「オニにか?」

「ええ、逃げられてしまって」

 その結果何人もの犠牲を出してしまいました、と告げる自分の声が、どうにも平坦に聞こえた。
 悔いる気持ちは間違いなくある筈なのに、どうにもそれが薄い膜を隔てた向こう側にあるような気がする。強く感じるのはむしろ自分への、そしてあの鬼への苛立ちの方だ。
 俺の気持ちを感じたのか、それとも宥める為か、小さく息を吐いたドフラミンゴ殿が、その手に少しだけ力を入れた。
 男二人が手をつないで街道を歩く、なんて言う格好のままで、正面を向いた相手の口から言葉が落ちる。

「わざと逃がしたんじゃねェのか」

「え?」

「隙を見せたんだろう? 反撃されるように」

 その前に逃げちまう腰抜けだったようだがな、と続く思ってもみない言葉に、俺は目を瞬かせた。
 顔をあげるも、ドフラミンゴ殿はこちらを向いていない。

「おかしな憶測をしないでください。俺は、そんなことはしていません」

 あの時は、命乞いをされて、ほんの一瞬迷ってしまっただけだ。
 その隙を、あの鬼は逃さなかった。
 確かに今思えば、愚かなくらいに無防備だっただろう。
 けれどもあの日あの鬼は俺の方へは向かってこなかったし、結局は今日、俺が狩ったのだ。

「それを、まるで俺が死のうとしたかのようにおっしゃって」

 ひどいです、と相手を詰ると、フッフッフ! と特徴的な笑い声が横から落ちた。
 その手が俺の掌を手放して離れ、どうしてだかひんやりと冷えて感じる自分の手を胸に寄せる。

「そう怒るなよ、おれにはどうもそう思える、ってだけのこった」

「……っ 何故そんな」

 眉を寄せ、更なる非難の声をあげようとすると、急に自分の唇が張り付いた。
 まるで縫い合わせたように動かなくなった口に、喉奥で声を漏らしながら手をやる。
 そのままで改めて相手を睨み付けると、今度はこちらを見たドフラミンゴ殿が、にやりとその唇に笑みを浮かべた。

「オニの中に仇がいるんだったな。それなら、オニ狩りになったのはそいつを殺すためか」

 憶測にすぎない筈なのに、間違いなく正解を口にして、ドフラミンゴ殿が歌うように言葉を紡ぐ。

「そいつを殺すとき、運よく相打ちで死ねたらいいが……もしも運悪く生き残ったら、そのあとはどうするんだ?」

 揶揄うような問いかけが、耳に触れて転がっていく。
 寄越された言葉に、俺はいつの間にか立ち止まっていた。
 少し先を歩いたドフラミンゴ殿がくるりと振り返り、街道を照らす月明かりがその顔に影をつくる。
 あの『兄』だった鬼を、殺した後。
 そんな日が、いつか訪れるのだという事に、どうしてだか今さら気付いたような気がした。
 俺が鬼狩りを目指した一番初めは、師の為だった。
 そうしてその次は、死んだ『兄』を殺した鬼を討つ為だった。
 しかし、『兄』は鬼となって戻り、師を殺した。だから俺は、師の仇であるあの鬼を討つことだけを胸に抱いて生きてきた。
 しかしながら、目的を達成したその後は、どうすればいいのだろうか。
 『兄』を鬼に変えた、姿すらも分からぬ鬼舞辻無惨を探して討つのか。
 鬼殺隊の悲願ともいえる目的だが、どうしてだか心はまるで動かない。
 それは恐らく、あの『兄』の姿をした鬼が、自らの意思で師を食い殺しに来たのだという事を知っているからだ。
 ならば俺の『兄』を殺したのは、紛うことなくあの日のあの鬼だった。

「なァ、ナマエ」

 どうするんだ、と尋ねながらも、ドフラミンゴ殿は俺の口を解放しない。
 だから答えを言えなかったのだと、そう自分を誤魔化しても、降って湧いた疑問は消えないままだった。



 


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