玉砕回避
※くっつく手前
「1200ベリーになります」
「ん」
「いつもありがとうございます」
俺よりはるかにでかいその手から差し出されたベリーを受け取って、そんな風に声を掛ける。
今日も丁度。相変わらず用意のいい人だ。
大将赤犬とそこそこ交流を持つようになって、しばらく経つ。
俺の名前を覚えた赤犬に当たり障り無く普通の客を相手にするように接しているうち、だんだん赤犬に睨まれる回数も減ってきた。
交流を持てば睨まれなくなるというのなら、最初から交流しておけばよかったと後悔したのは秘密だ。
「それじゃあ、午後もお気をつけて」
ついでにそう続けると、俺を見下ろした赤犬が少しばかり目を細めた。
いつもならそのままさっさと出て行ってしまうのだが、歩き出そうとしないその様子に、俺は首を傾げる。
「……あの?」
いつもの視線のような気がするが、こんな風に目線を合わせて睨まれたことは初めてで、どうしたらいいのか分からない。
そういえば、睨まれているときは極力目を合わせないようにしていたんだった。
しかし目が合ってしまった上、レジ前の客を送り出さずにレジから離れるわけにも行かず、仕方なく俺も赤犬を見つめ返すことにした。
怖い。とても怖い。
久しぶりに背中が冷たい。
そういえば、結局一度も聞いたことが無かったが、どうして赤犬はこんなにも俺のことを睨みつけるのだろうか。
俺はそんなに怪しいのか。
「…………ナマエ」
しばしの沈黙の後で名前を呼ばれて、はい、と慌てて返事をした。
俺の声を聞いて、ようやく赤犬が俺から目を逸らす。
その手がいつも被っている帽子のつばを押さえて、その目元を隠すようにした。
「仕事上がり、迎えに来るけェ、付き合え」
「は」
「じゃあのォ」
寄越された言葉に目を丸くしているうちに、赤犬が店を出て行く。
それを見送ってしまって、赤犬が開いて閉じたドアのベルがからからと音を立てるのを聞きながら、俺は首を傾げた。
「…………は?」
一体全体、どういうことだろうか。
もしや、今のは遊びにでも誘われたのか。
よく分からないが、ただの一般人である俺が海軍大将からの誘いを蹴って逃げるという選択肢は無さそうだった。
※
いつも通りの仕事上がり、裏口から外へ出た俺の目の前には赤犬が立っていた。
ずっと待っていたのかと思って驚いたが、尋ねた俺に『今来たところだ』と答えたので、それは信用しておくことにする。
海軍大将に出待ちされている従業員がいるなんていう噂がたたないことを祈りたい。
行くぞと顎で示されたから歩き出したその後を追いかけた俺は、赤犬の先導によって料亭らしきところに連れていかれた。
何故突然食事を奢られているのかは分からないが、まさかここで遠慮して逃げるわけにも行かない。
随分と高級な店だったから自分の格好はドレスコードに引っかかるのではないかと焦ったけれども、通されたのが個室だったのでどうにか落ち着いて食事がとれた。
赤犬と向かい合わせに座って会話も少ないながら食事をしていたのは、つい20分ほど前のことだ。
そうして、今。
無力な俺が逃げられなかった結果がこれである。
「…………えっと」
言われた言葉の意味を理解できずに、俺は首を傾げた。
俺の様子を眺めた赤犬が、先ほどとほぼ同じ言葉をその口から吐き出す。
「好きだと、言うちょる」
やっぱり、確かにそう言っている。
困惑しながら、俺は目の前の相手を観察した。
さっき酒を頼んでいたから、その手には透明な酒の入ったグラスがある。
かといって、顔には少し赤みがあるようには見えるけれども、酔っ払ってしまっているとも思えない。
そして、どちらかと言えば真剣な分類に入るその顔で、冗談は言わないだろう。
ならば、今の発言はもしかしてもしかしなくても、本気だろうか。
この場には俺と赤犬の二人しかいないのだから、もしも本気なのだとしたら、赤犬が言っているその相手は俺に他ならない。
更に言えば、この状況でそういう発言をするということは、その『好き』には特別な意味があるということになってしまう。
俺は、とりあえず自分の格好を見下ろした。
何の変哲も無い、一般的な男性の格好だ。
胸には魅惑のファンタジーもないし、そりゃあこの世界の人間に比べたら小柄かもしれないが、女顔なわけでもなければ喉仏がないわけでもなく、声が高いわけでもない。
街頭で100人に聞いたって、疑り深い人間以外は全員が俺のことを『男』だと断言すると思う。
意味が分からず目を瞬かせていたら、何じゃ、と赤犬が低く呻いた。
「なんぞおかしいか」
「いや、あの……」
おかしい。
確実におかしいと言えるが、頷いていいのか分からず、俺は視線を赤犬に戻した。
正面に座った赤犬は、どうも俺のことを観察しているようだ。
じとりとこちらを見据える双眸を見返して、どうにか今の発言に俺が想像したもの以外の答えを見つけようと、俺は口を動かした。
「その……俺のこと、よく睨んでました、よね?」
あんなにも怖い顔で、まっすぐしっかり俺のことを睨みつけていたのだ。
今日だって久しぶりに怖いと思った。
あんな目を、好意を持つ相手に向けるだろうか。
答えは否だ。
だとすれば、やっぱり赤犬の言う『好き』には別の意味があるんじゃないかと、そう期待した俺の前で、赤犬が少しばかり怪訝そうな顔をする。
「睨んだりなんぞしとらん」
「え」
きっぱりとした否定に、俺は思わず間抜けな声を漏らした。
何でそんな嘘をつくのだと見つめてみても、赤犬はまったく先ほどと表情を変えていない。
あれだけ人のことを睨んでおいて、『睨んでいない』とはどういうことだろう。
まるで犯罪者を監視しているかのようなそれに磨り減った俺の神経に、どう説明をつける気だ。
「…………見とったことは、否定せん」
多分非難がましい顔になったんだろう俺へ向けて、赤犬がそう言った。
それから、ぷいと顔をそらされてしまって、俺は目を丸くする。
睨んでなかったけど、見ていた。
今、赤犬はそう言ったのだろうか。
そうなると、あの恐ろしく鋭い視線は、ただ単に俺を『見つめていた』ということになるのだが、それでいいのだろうか。
困惑をこめて視線を投げた先で、チッ、と赤犬が舌打ちをした。
その手が瓶を掴んで、自分のグラスへ酒を注ぐ。
そうしてすぐにグラス一杯を飲み干してから、だん、と力強くグラスをテーブルに置かれて俺はびくりと体を揺らした。
「……それで」
「は、はい?」
「返事は、無いんか」
低い声で唸りつつ、赤犬がその目をこちらへ向ける。
怖い。やっぱり怖い。
もしも今ここで断ったら、俺は一体どうなるだろうか。
まさか痴情のもつれで海軍大将が一般市民を殺すとは思えないが、店を出るまでかなり気まずい思いはしそうだ。
それに、もし断ったとしたら、やっぱり赤犬はもううちの店にも来なくなるだろう。失恋した相手がいる店に通うなんてこと、普通はしない。
そうなると、いつもみたいに睨まれることも、視線の鋭さにびくびくすることも、ほんの少しの世間話をすることも、今みたいに近くからその顔を見ることも、出来なくなるんだろうか。
もう半年程になる日常を思い浮かべてから、俺は小さく息を吐いた。
「それじゃ、その……」
赤犬は、怖い。
怖いけど、別に嫌いなわけじゃないのだ。
遠征がある時以外は毎日通ってきてくれていたし、その遠征先で買ったからと土産を貰ったこともある。
会えなくなるのは、寂しい気がする。
それに、希望的観測だが、もしかしたら一種の気の迷いかもしれない。
赤犬自身がそれに気付いたら、先ほどの『好き』だって無かった事になるかもしれないじゃないか。
「と、友達からで」
だから、俺はこの場をしのぐべく、いわゆる『ずるい』選択をすることにした。
俺の回答に、赤犬が少しばかり眉間に皺を寄せたのが分かる。
鋭さを増したその視線にざくざくと身を刺されながら、俺は慌てて言葉を重ねた。
「その、そんなにサカズキさんのことも知りませんし。もう少し仲良くなってからじゃないと、お返事とかはやっぱり難しいなって」
実際のところ、俺が赤犬について知っているのは『漫画』の知識と店に来るときに話すほんの少しの世間話から推察できる内容だけだ。
そういえば、誕生日すら知らない。
俺が重ねた言葉に、赤犬はしばらく押し黙り、それから小さくため息を吐いた。
どこか安心したようなそれに俺が首を傾げたところで、グラスを手放した赤犬が、少しばかり体を前に倒す。
「……まずはわしのことを教えて、仲良うすればいいんか」
少しばかり顔を近づけてそう尋ねられて、はい、と頷いてから、俺はサカズキの顔を見上げた。
まっすぐ真剣な顔でこちらを見ている赤犬の顔はやっぱり怖かったけれども、びくびくしていたってどうしようもない。
なら聞きたいことを言え、と囁かれたので、俺は先ほど浮かんだ疑問から口に出すことにした。
「それじゃ、誕生日はいつですか」
俺の言葉を聞いて、赤犬が返事を寄越す。
何度かそれを繰り返して、俺はその日の夜をどうにかしのぐことに成功した。
男同士なのに『好きだ』なんて言ってきた赤犬に嫌悪感を抱かなかった時点で俺の答えは決まっていたような気もするが、その時の俺は、そこまで頭が回らなかったのだった。
end
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