赤の足りない平和な世界
※主人公=仔犬につき注意?
※戦争編以前
俺の首には赤い皮の輪っかが巻かれているらしい。
視界に赤を見たのはもう随分と昔のことなので想像でしかないが、きっと今俺が見上げているスーツと同じ色なんだと思う。
「どうかしたか、ナマエ」
俺の視線に気付いたサカズキがちらりとこちらを見下ろしたので、わん、と鳴いてから軽く尾を振った。
俺の様子に少しばかり首を傾げたサカズキが、それからほんの少しばかり笑う。
屈んでくるのに合わせて、その胸にあるバラの匂いが近くなった。
海賊を焼き溶かす大きな掌が俺へ伸びて、初めて会った時みたいに俺の頭を軽く撫でる。
俺の体はまだまだ小さいものだから、サカズキの片手は俺の頭だけじゃ支えきれず、撫でられる力に押されてころんと転がってしまった。
「きゅうん……」
「ああ、すまんのう」
鼻を鳴らしてみればそんな風に謝罪を寄越して、サカズキが膝を伸ばして俺から離れる。
すぐに起き上がって見やると、どうやら俺を構ってくれる時間が終了したらしいサカズキは、そのまま執務机に向かってしまった。
仕事中に構ってくれと言うのも無理な話だ。
そんなことくらいわかっているので、まだ短い脚をせっせと動かしてサカズキの椅子の隣まで移動して、座ったサカズキの足の隣に腰を下ろす。
ぴんと背中を伸ばして座り込んだ俺は、見慣れたサカズキの執務室を眺めた。
俺がこの世界に生まれ直してから、まだ一年も経たない。
俺はもともとは人間で、そうして死んで、生まれ変わったら犬だった。
自分の姿を鏡なんかで見たことはないが、自分の体の見える範囲ともう会えないだろう母親の姿を思うに、ぴんと耳が立っていて尻尾がくるんと巻いていて、毛が短いらしい。
ついでにいえばその柄からして、柴犬なんじゃないだろうかと思う。
俺を生んだ母親は飼い犬だったが、俺を含めた兄弟たちを飼う余裕はその家に無いようだった。
ある日木箱に入れられて道端に放置されて、一匹二匹と兄弟たちが引き取られていく中、俺だけが木箱に残された。
自分の魅力値の限界を知ってちょっと絶望していたところを拾ってくれたのが、俺の首輪と同じ色らしいスーツを着込んだこの真横のサカズキだ。
そしてその顔を見て、偶然襲ってきた海賊達を殺したサカズキの能力を見て、俺はこの世界が漫画の世界であるとようやく気が付いた。
そんなに昔のことでは無いはずなのに、生まれ直したせいでか記憶はめちゃくちゃだった。
ただ、サカズキという名前の海兵がいたことと、その能力は覚えていた。
俺にナマエと名前をくれたサカズキは、当然ながら俺がそんな記憶を持っていることを知らない。
まあ、『赤犬』なんて二つ名を持っていても犬語を理解しているとは限らないということだ。
そこまで考えたところで、俺は部屋の外の廊下に来訪者の匂いがあることに気が付いた。
わん、と吠えようとして、うるさいとサカズキが困るだろうと判断して思いとどまり、代わりに尾でパタパタと床を叩くことにする。
俺の様子に気付いたらしいサカズキがペンを止めるのと、扉が軽く叩かれるのは同時だった。
「サカズキ〜? 入るよォ〜」
入れとサカズキが許しを紡いだので、扉はそのまま開かれる。
ひょいと中に入ってきたのは、黄色いストライプスーツの大男だった。誰がどう見ても黄猿だ。
「オー、今日もつれてきてんだねェ〜」
俺の方をちらりと見た黄猿の言葉に、何か用か、とサカズキが少しとがった声を出している。
書類を届けに来ただけだよォと答えた黄猿は、どうやら暇だったらしい。
サカズキは忙しそうに仕事をしているというのに、この格差は一体何だろうか。サカズキが要領悪いのか、黄猿が要領がいいのか。
俺のこの身が人だったなら手伝えたのにと思ってみても、俺の体は犬のままなのでどうしようもない。
せめて成犬になったら書類運びくらいできそうなものだが、今の俺の体では飛び跳ねてもドアノブにすら前足が届かないのだ。
自分の体の伸びしろに期待しつつ尾を振るのをやめた俺のそばまで寄ってきた黄猿が足を止めて、持っていた書類をサカズキに渡している。
それからひょいと屈みこんで、サングラス越しにその目が俺を見下ろした。
「ナマエくんも、こんなとこで閉じこもってちゃァ暇だよねェ〜……?」
「わふ? わん!」
そんなことないぞ!
そう返事をしたくて吠えてみると、どうしてかすぐ隣が少しばかり熱くなった。
なんだ、と視線を向けてみても、サカズキはこっちを見てもいないので分からない。
マグマ人間のサカズキは、よく感情に任せてマグマグしてしまうところがあるから、何か書類に気に入らない記述でもあったのかもしれない。
俺が成犬になった暁には、犬の手でも使える消火器を何か作ってもらわなくては。サカズキの大事な書類は俺が守ってみせよう。
そんな決意を秘めている俺の頭を、伸びてきた黄猿の大きな手がよしよしと軽く撫でた。
サカズキと違って、黄猿は力加減の分かる大将殿だ。
たまに来る青雉にいたっては俺の頭の上に手を乗せるだけで、俺が擦り付けに来るのを待っていたりする。どれだけ面倒くさがりなのかと問いたい。
撫でられて、そうして離れた手を追うように見上げれば、にんまり笑った黄猿が俺を見ながら屈んでいた膝を伸ばした。
「わっしは仕事終わったからァ、わっしと一緒に訓練場にでも行こうかァ?」
走り回りたいでしょォ〜と言葉を寄越されて、う、と声に詰まる。
走り回りたいだろうと言われたら、確かに走り回りたい。
俺の体を成長させるためにも、日光に当たって運動をするのは大事だ。体力をつけなくてはならないことも知っている。
訓練の合間に海兵達が構ってくれるのは中々に楽しいし、そういえばこの間ドレークとか言う海兵がフリスビーを真顔で取り出してくれた時はものすごくテンションが上がった。
だがしかし、それはすべて、サカズキが近くにいたから楽しかったのだ。
「わふん」
だから鳴き声を零して、俺は少し緩んでいた体を引き締めた。
お座りのまま、背中を伸ばして見上げた俺を見て、おやァ、と黄猿が首を傾げる。
その顔が楽しげに緩んで、視線はすぐに俺からサカズキの方へと向けられた。
「わっし振られちゃったよォ」
「……馬鹿なことを言うとらんで、とっとと戻らんか」
「オォ〜、コワいねェ〜」
サカズキに注意されて笑った黄猿が、てくてくと足を動かして去っていく。
執務室から出て行ってしまった様子を見送ってから、俺はちらりとサカズキを見上げた。
椅子に座っているサカズキの顔は、下からは全く見えない。
その顔が見えるのは、向こうが俺を見下ろしてくれた時くらいだ。
あとどのくらいで書類が終わるんだろうか。
今日は確か、午後は部隊訓練だと言ってたはずだ。
それなら訓練場に行って、たくさん走り回ることもできるだろう。
サカズキの部隊の訓練はものすごくて、なるほどこれが海兵なのかと驚いたり感心することも多いが、それに混ざるのも結構好きだ。
きっと、サカズキが近くにいるから、何をしたって楽しいのに違いない。
想像してみると期待で胸が高鳴って、思わずパタタタタと尻尾で床を叩いていたら、俺のそれに気付いたらしいサカズキがこちらを見下ろしてきた。
いつもと変わらず少し厳しい顔をしたサカズキが、けれども怒っていないことを俺は知っている。
あの日木箱の中から俺を拾い上げてくれたサカズキは、とても優しいのだ。
はやく成犬になって、役に立てるようになりたいと、そう思えるくらいに。
「……もう少しで終わるけェ、待っちょれ」
そっと寄越された言葉に、わん! と俺は短く鳴いて返事をした。
end
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