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世界でただひとり

 一年かけて、決めたことがある。
 今日は、俺がこの世界へ来て五年目が終わる日だ。
 相変わらず白ひげ海賊団は宴の準備に忙しく、俺はマルコをモビーディック号から引き離して暇つぶしに付き合う役目だった。
 今日の島は無人島らしい。
 モビーディック号が着岸した方とはちょうど真逆に当たる方向へと足を動かしながら、俺はちらりと少し前を歩くマルコを見やった。
 珍しく鞄を持ったマルコが、俺の視線に気付いてこちらを見やる。

「どうしたよい、ナマエ。休憩するかい」

「いや、大丈夫だ」

 問われた言葉に返事をしつつ、俺はすぐにマルコとの距離を詰めた。
 一年前の今日、元の世界へ帰ることを『諦める』と決めた俺は、あれから一年かけて、一つだけ決意した。
 むしろ一年かかったというのが、俺の優柔不断ぶりを表している気もするが。
 俺を海王類から助けてくれて、行くあても無かった俺をモビーディック号へ乗せてくれるよう交渉してくれたマルコが、俺は好きだ。
 何故かマルコの希望で同室にまでなって、毎日幸せなんだか拷問なんだか分からない仕打ちに耐えている。
 これからだって、何も言わなければずっと一緒にいられるに違いない。
 けれども、だんだんと膨れていく俺の思いはもはやどうにもならないところまで来ていて、言ってしまいたい、という衝動に駆られることも少なくなくなってきていた。
 何より、最近は島へ降りるたびマルコが娼館へ行かないかと俺を誘うのだ。
 いくら男同士でも、そういうところに誘い合わせて一緒に行くものではないんじゃないか。
 一緒に行って、違う部屋で違う女と寝て、一緒に出てくるのか?
 気恥ずかしいとかそれどころの話じゃないし、下世話な話だが他の部屋にマルコがいると分かっていて使い物になるとも思えない。
 だから毎回断っていて、そのたび何故だとか聞かれて、もはや限界だった。
 俺が『そういう』奴だと分かったら、マルコはやっぱり俺に対して不快感を抱くだろうか。
 それでも、仲間思いな奴だから、あたりさわりなく断ってくれるに違いない。
 多分もう同室にはいられないだろうが、それは元通りになるだけの話だ。
 振られたらきっと、俺だっていい加減諦めもつく。
 それまでは苦しいし寂しいかもしれないが、日にち薬と言うし、何とかなるだろう。
 問題は、いつ言うかだった。
 今日の夜には宴が始まるし、そうなったらマルコはぐでんぐでんに酔っぱらわされてしまう。
 マルコの誕生日より前に言おうと思っていたのだが、気付けば当日だ。
 今日は避けた方がいいんだろうが、次の島にするべきか。それとも明日か明後日以降に、二人になった部屋の中で言うべきか。
 ずっとそんなことを悩んでいる俺の横で、はあ、とマルコがわざとらしいため息を零した。
 それに気付いて視線を向ければ、俺の方をちらりと見やったマルコが、やや置いてから言葉を零す。

「あー……ナマエ、ちっといいかい」

「? ああ」

 話をしよう、と言いたげに足を止められて、頷きながら俺も歩くのをやめた。
 ちらりと後ろを見やってみるものの、もはやモビーディック号の姿はかけらも見えない。
 騒がしい仲間たちの声も聞こえなくなって、いつの間にやら随分と離れていたらしいと気が付いた。
 マルコは俺の前で軽く膝を曲げて、そこにどかりと落ちていた岩の上へ腰を降ろす。
 視点の低くなった相手を見下ろして、どうかしたのかと首を傾げると、マルコはごそりと持ってきていた自分の鞄に手を入れた。
 そうして、そこから現れたものに、俺は目を見開く。
 出てきたそれは、去年俺があの島で売り払った筈の、あの『本』だったからだ。

「マルコ、それ……」

「この間、翻訳が終わってねい」

 何枚かの紙が挟まれたそれを片手に、マルコがこともなげにそんな風に呟く。
 俺の顔を見やってから、マルコは閉じたままの本を揺らした。

「去年、お前変なこと言ってただろい、ナマエ」

「へんな、こと」

「家に帰れるかもしれない、って」

 マルコが呟いたそれは、確かに俺が言った言葉だった。
 翌日のマルコは何も言わなかったから、きっと酒を飲みすぎて忘れてしまったんだろうと、そんな風に思っていたのに、もしや本当は全部覚えていたんだろうか。
 それにしたって、どうしてその本と俺の言葉を結びつけることが出来るだろう。
 俺は、自分がこの世界の人間では無いなんて、誰にも言っていない。
 頭がおかしいなんて思われたくなかったから、一言もだ。
 だからその本の内容だって、ただのおとぎ話にしかならない。胡散臭い『魔術書』みたいなものだ。
 だというのに、俺を見上げるマルコの視線は真剣だった。

「お前、おれのせいで帰るの諦めただろい」

 そうしてきっぱりと言葉を寄越されて、小さく息を吸い込む。
 何と誤魔化そうか迷っているうちに、俺の顔を見上げたマルコが、やっぱりねい、とため息をもう一度漏らした。
 そうして、その手がひょいと俺へと本を差し出す。

「…………おかしなことを言っちまったが、おれは別に、お前を閉じ込めたり拘束するつもりはねえんだよい、ナマエ」

 ほら受け取れ、と上下に振られたそれを思わず受け取れば、言い放ったマルコが肩を竦める。
 おれのせいで諦めることねェよい、とまで言われて、俺は眉間に皺を寄せた。

「……別に、マルコのせいで帰るのを諦めたわけじゃない」

 確かに俺は駄目な男だが、そこまでの決断を誰かに預けたりはしない。
 妹を残してきたあの世界じゃなくて、マルコがいるこの世界を選んだのは、結局のところ俺自身だ。
 だからそう言い放って、俺はそっと本を持ち直した。

「それじゃ、何で諦めたんだよい。その本、売っちまったのはあの後だったろい」

 俺を見上げてそんなことを言い放って、マルコがじとりと俺を見る。
 全く信用していないその様子に、俺は軽く肩を竦めた。

「俺が、マルコ達と一緒にいたいと思ったから。もう帰れなくていいと思ったから手放したんだ。他に誰か、『俺みたいな』境遇の奴の手に渡るように」

 お前が買っちゃったら意味ないだろうと続けて笑うと、眉間に皺を寄せたままのマルコが、それから口を動かした。

「本当に、それが理由かい」

 低い声で尋ねられて、俺も目の前の瞳を見返す。
 凄むような目をしたマルコは、何とも恐ろしい顔つきになっていた。
 さすが賞金首だ、とどうでもいいことを考えてから目を逸らして、どうしたものかと少しばかり悩む。
 確かに理由の大枠は今言ったものだが、その根底にある感情は結局のところ、『俺がマルコを好き』だという一言に尽きる。
 だけれども、わざわざ相手の誕生日に、振られることが前提の告白をするなんて悪趣味にもほどがあるだろう。
 しかし今誤魔化したら、告白をするのが難しくなるだろうか。
 どうしたものかと悩んだ俺の方へ、マルコの手が伸びてくる。
 がしりと腕を掴まれて、ナマエ、とマルコが俺を呼んだ。
 呼ばれるがままに視線を向ければ、さっきと同じ怖い顔のマルコが、そのままで言葉を吐き出した。

「……ナマエ、おれがお前を好きだっつったら、どうする」

「…………………………は?」

 そして寄越された、随分と唐突で非現実的な言葉に、俺の口からは間抜けな声が漏れた。
 言葉の意味を理解できずに瞬きをしている俺へ向かって、本気だがよい、とマルコが言う。

「言っとくが、おれの『好き』は家族に向けてのものなんかじゃねェよい。ヤリたい、自分のもんにしたい、そういう『好き』だ」

 言い放つマルコの言葉は、何とも即物的だった。
 寄越された言葉をどうにか処理しようと頭を動かしながら、俺は軽く首を傾げる。

「…………いや、マルコ、お前、娼館によく行ってたよな?」

 女の相手が出来るのに、わざわざ男である俺にそういうことを言う必要は無いんじゃないだろうか。
 そう思っての俺の言葉に、仕方ねえだろい、とマルコが眉間に皺を寄せる。

「無防備な馬鹿を襲わないためにはどっかで発散する必要があんだよい」

 きっぱりと寄越された言葉に、なんだそれは、と瞬きをする。
 戸惑う俺を前にして、で、と声を漏らしたマルコは言葉を続けた。

「それで。おれにそういう目で見られていたと分かっても、まだ、『帰る』つもりはねェのかい?」

 そうやって放たれた言葉に、なるほど、と俺は理解した。
 マルコは、俺を家に帰してやろうとしているのだ。
 俺がもともとこの世界の人間じゃないと知ったから、元いた場所に返してやろうと。
 だとすれば、今のマルコからの『告白』は、全部嘘で、冗談だということか。
 何だ、と小さく息を吐いて、それから少しばかり悲しくなって眉を寄せる。
 心臓のあたりが痛い気がしたが、気のせいだと思い込むことにした。
 けれども仕返しはしてやるべきだと判断して、口に笑みを浮かべる。

「それならやっぱり、『帰る』つもりはない」

 言いながら身を屈めて、マルコの顔に自分の顔を近づける。
 どれだけ見ても男にしか見えないマルコを、間近で見ただけで胸の高鳴る俺は重症だ。
 鼻が触れそうなほど近くまでよれば、マルコが少しばかり目を瞠った。
 焦点が合わなくなりそうなくらい間近になったその顔を見つめながら、そっと言葉を吐き出す。

「俺の方がお前を好きだから。嘘や冗談でそう言われたって嬉しいくらいにはな」

 いつだったか、マルコが俺のことを『悪い男』だと言ったが、マルコの方が『悪い』奴だ。
 いや、勝手に傷ついている俺の方が、ただ単に駄目な奴なのかもしれない。
 俺の仕返しを受け止めて、マルコが動揺したように瞳を揺らしている。
 間近なそれを見てさらに笑ってから、俺はひょいと体を起こした。
 ついでにマルコから渡された本を小脇に抱えて、俺の腕を掴んだままのマルコの腕をぐいと引っ張る。

「ほら、行こう、マルコ。島を一周するんだって言ってただろう」

 そう言って促すが、岩に腰を下ろしたままのマルコは身動きの一つもしない。
 別に、時間をつぶしてくれるならここにそのまま座っていてもらっても構わないが、その動揺したままの顔を見たら、少しばかり罪悪感がわいた。
 まさか、俺を脅かすつもりが自分が脅かされるとは思ってもいなかったんだろう。
 冗談だよ、と言って笑ってやった方がいいのかもしれないが、そんな風にして自分の出した言葉を自ら誤魔化してやることも出来なくて、腕を掴まれたままでマルコを見下ろす。
 やや置いて、一度深呼吸をしたマルコが、恐る恐るとこちらを見上げてきた。

「…………本気かよい、ナマエ」

 そうして寄越された問いかけは、弱弱しくて、どこか縋り付くような音だった。
 初めて見るマルコのそういう顔に目を丸くして、それから仕方なくわずかに笑う。
 軽く首を傾げて、右腕をマルコに捕まれて左手で本を持ったまま、俺は尋ねた。

「お前が好きな方でいいよ、マルコ」

 もともと、振られるつもりの告白なのだ。
 『本気じゃなかった』ことにされたって、俺が失恋することに変わりはない。
 それなら、マルコが解釈しやすい方で解釈してもらえればいい。
 だというのに、俺の言葉を受けたマルコは顔をしかめた。

「……自分が言ったことだろい。お前が決めろ」

 どこか苛立たしげな言葉に、俺はわずかに瞬きをした。
 ぎりりと腕を掴んでいる手に力が入って、少し痛い。
 どうして、そんなに怒った顔をしているのだろうか。
 よく分からないが、俺が決めなくてはならないのなら、聞いておくべきことがある。

「……それじゃあ、もし俺の言ったことが『本気』でも、出来たらそのまま『家族』ではいてくれるか?」

 尋ねた俺の言葉は、もはや殆ど回答に近いものだった。
 当然ながらそれはマルコにも正確に伝わったらしく、俺を見上げるその目がわずかに見開かれる。
 それから数秒を置いて、ぱっと俺の腕が手放された。
 触っていたくないほどか。当然かもしれないが、態度で示されると心臓への攻撃力が高すぎる。
 ずきずき痛む胸部を、本を持ち直すついでに軽く押さえてから、俺は肩を竦めた。

「…………こんな日に悪かったな。サッチと替わってくるから、このままここで、」

「お前、おれの話をホントに聞いてねえだろい」

 待っていてくれ、と続けるべき俺の言葉を遮ったのは、マルコの声だった。
 え、と声を漏らした俺の前で立ち上がった相手が、その両手でがしりと俺の両腕をしっかりと捕まえる。
 戸惑い見やった先で、マルコは随分と怒った顔をしていた。
 マルコ、とその名前を呼ぼうとしたのに、がん、と額に衝撃を受けて舌を噛んでしまう。
 ひりひりと痛むのは、どうやらマルコに正面から頭突きをされたかららしい。

「い……っ」

 両手を抑えられて患部にも触れられぬまま、落としそうになった本を慌てて持ち直すことしかできなかった俺を、マルコが至近距離から睨み付けてきている。

「おれは、お前が好きだっつったろい。誰が嘘や冗談だなんて言った」

 勝手に決めるなと低く唸られて、痛みに顔をしかめたままで目を瞬かせる。
 すごく間近な顔は、やはりどう見てもマルコの顔だ。
 けれども、マルコの口から出ている言葉は、どうにも理解できない。
 今、マルコは俺を『好きだ』と言わなかっただろうか。
 嘘や冗談じゃないと、そう言った意味合いのことを言わなかっただろうか。

「…………うそ、だろう?」

「嘘じゃねェつってんだろい」

 思わず呟いた俺へ言い放ち、マルコの顔がぐっとこちらへ近付いた。
 驚いて身を引いたのに間に合わず、口に何かが触れる。
 ついでのように濡れた何かが唇を撫でて、俺は思わずのけぞって顔を離した。
 倒れそうになった俺を支えて、体を少しだけ離したマルコが言葉を紡ぐ。

「おれがこんな気持ちでいるのなんて、どうせ知らなかったんだろい。おれが酔っぱらって馬鹿なことを言ったから、義理を感じて留まってんだったら解放してやろうって……そんなことを真面目に考えたのが馬鹿らしいじゃねえかよい」

 言葉とともに何回目かのため息を吐いたマルコは、それから俺の体を引き戻し、にやりと笑った。

「お前も同じだっていうんなら、その本は次の島で売る。捨てちまいたいくらいだが、ナマエの言う通り、他に『同じ境遇』の奴がいないとも限らねェからねい」

 そんな風に言い放ったマルコの手が、先ほどよりしっかりと俺の両腕を握りしめた。

「お前はおれのもんだ。もう、逃がしてやろうなんて思わねえよい」

 覚悟しとけよい、と囁かれた言葉の意味を俺が理解できたのは、その日の宴がはじまった頃のことだった。
 嬉しいんだか恥ずかしいんだか分からなくなって挙動不審な俺の隣で、マルコは何とも憎たらしいことにニヤニヤと笑っていた。
 事前に誕生日プレゼントを買っていたおかげで、『プレゼントはナマエで』なんて言うどうしようもない要求を通さずに済んだのは、幸いだったと思う。



end


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