世界へ帰る方法を知ったあの日
この世界へどこからともなく落ちてきて、もう二年が経つ。
相変わらず、俺は白ひげ海賊団のクルーだった。
気のいい仲間達とも随分と打ち解けたが、俺が異世界の人間だなんてことは、あの巨大な船に乗る海賊の誰一人も知らない。
まあ、言ったとしても頭がおかしいと言われるか妄想で片づけられるかのどちらかだろう。
この世界が『物語』でしかなかった世界の住人だなんてことは。
「…………あれ?」
本日の特別な宴のために買い出しを任された俺は、自由に買って来いと言われると悩むからと言って無理やりサッチに書かせた買い出しリストを確認しつつ、ふと通りの外れにぽつんと立っている古書店に気が付いた。
素晴らしく太陽の日差しが降り注ぐ往来の中で、唯一ひっそりと暗さを保ってそこに佇んでいる。
古びた紙の匂いがしそうなそのたたずまいを眺めて、何となく俺の足はそちらへと向けられていた。
入り込んだ店内は予想通り薄暗く、古びた紙の埃っぽい匂いに満ちていた。
軽く吸い込んで、のどに張り付くようなその空気に顔をしかめつつ、店内を見回す。
奥に店主らしき男が一人で座っていて、こっくりこっくりと船を漕いでいた。
そんなんじゃ万引きされるんじゃないのか。
そう言ってやりたいところだが、この島はどうにも平和な島であるらしいし、どこの店だってこんなものかもしれない。
やれやれと肩を竦めて、入り込んだ古書店から出ようとした俺は、ふと目の端をよぎったものに足を止めた。
店内にいくつも並ぶ本棚の一つに、いくつもいくつも並んでいる本のうちの一つだ。
他と違ってタイトルの無いそれが、何故か気になった。
「ん?」
だから声を漏らしつつそちらへ近付いて、棚からそれを引っ張り出す。
表にも何も書かれていないそれを、俺はぺらりと開いて眺めた。
そうしてそこで、大きく目を見開いた。
※
「ようナマエ、のんでるかよい」
「ん、ああ」
今日の主役たるマルコが、ぐでんぐでんに酔っぱらいながら近づいてきた。
それへ大して返事をしながら、マルコが座れるように右へ寄る。
明け渡したスペースへ倒れ込むように座り込んで、自分が歩いてきた方を眺めつつ笑うマルコはどうにも上機嫌だ。
「誕生日おめでとう、マルコ」
「おう」
「それで、今日のワガママは何にしたんだ?」
何も思い浮かばないと困った顔をしていたマルコが、船から飛んで気分転換をしに行ったのは今朝のことだ。
俺が船に戻った時には自室に閉じ込められていたので、恐らく何かが思いついたのだろうとは思うが、宴の最中見ていても何も行うことはなかった。
去年は確か、『オヤジ』の膝に座って乾杯をする、なんていう可愛らしいものであった気がする。
子供か、と誰かが突っ込むんじゃないかと思ったが、俺の予想に反して他の隊長格達等からは羨望の声と眼差しばかりがあった。
この海賊団は、本当に船長がお好きなようだ。
「ひみつだよい」
尋ねた俺へ返事を寄越して、にへりとマルコが笑う。
そのまま体がこちらへ傾いできて、もたれかかってきた相手をとりあえず支えた。
マルコが距離を近づけてきたせいで、少し心臓が痛い。
だけれどまあ平静を保ってグラスを掴んでいると、さらにずるずると倒れ込んできたマルコが、そのまま俺の膝の上に頭を乗せる形で寝ころんだ。
顔は真っ赤だし、どうやら本当に相当飲んだらしい。急性アルコール中毒とかにはならないんだろうか。
水でも飲むか、と尋ねてみると、いらねェよい、と返事が寄越される。
声だけ聞けばまともなのに、その目はとろんと眠たげになっていて、俺は仕方なくマルコがずっと掴んでいる酒瓶を取り上げた。
「何すんだよい」
「零したら勿体ない。起きるときにまた渡すから」
追いかけてきた手から酒瓶を逃がして、言い放ちつつそれをマルコが転がるのと反対側に置く。
不満げな顔をしたマルコの手がゆらりと降りて、何故かそのままがしりと俺の腰を掴まえた。
ぐっと顔を寄せるようにされて、額を腰骨のあたりに押し付けられ、うお、と声が漏れる。
「マルコ?」
どうしたんだ、と尋ねてみても、マルコから返事は無かった。
寝てしまったのかと見下ろしてみるが、まだ目は開いている。
どうしようもない酔っ払いだ。
そんな奴を相手に、胸が高鳴っている俺は本当にどうしようもない。
やれやれとため息を吐いてから、俺は空いた手で軽くマルコの頭を撫でた。
ちょっと特殊な髪形のマルコの頭は、撫でてみると無毛地帯の手触りが滑らかだった。
剃ったりして整えているのかと思ったが、この手触りからすると本気で生まれた時からこの髪形であったらしい。
そういえば、漫画で見た子供のころのイラストがそういう感じだった気がする。懐かしい。
ぼんやり考えた頭の端で、ふと昼間のことを思い出して、ちらりとマルコを見下ろす。
「……なあ、マルコ」
呼びかけてみても、マルコは返事を寄越さない。
どうせ返事を寄越さないなら、と、俺はそのまま口を動かした。
「俺がある日、いなくなっても怒らないか」
思わず買ってしまったあの本は、今は俺が使っているスペースの端に隠されている。
それを手にしてしまった時、俺は正直めちゃくちゃ驚いた。
だって、中身は日本語で書かれていたのだ。
この世界で、日本語の文章にお目にかかることはそう無い。マルコ達と言葉は通じるが、共通文字は英語だった。
そして、その中身にもさらに驚いた。
『もしも、貴方がこの世界の住人でなかったなら、元の世界へ帰る方法を教えましょう』
そんな一文から始まる内容が、つらつらと綴られていた。
全部は読んでいないし、完全に信じ込むことなどできないが、それでもあれはもしかすると、俺が『元の世界』へ『帰る』ための手がかりだ。
帰りたくない、なんてわけがない。
ここは俺の世界じゃなかった。
だから、いつかは帰ることが出来るものだと、そう思っていた。
けれど、この世界の『家族』を置いていくのも何だか気が引けた。
たかが二年、されど二年。
見ず知らずで世間知らずで弱かった俺を助けて守って、鍛えてくれたのは今俺の膝にいるマルコやそれ以外の『家族』達だ。
選ぶのが難しすぎる選択肢に、小さくため息を吐いた俺の腰が、何故か先ほどより強く抱きしめられる。
ぎゅうぎゅうと引き寄せられてちょっと骨が軋んだ気がして、うぐ、と声を漏らしてから視線を下へ向けると、じとりとマルコが俺を見上げてきていた。
白ひげを馬鹿にしながら襲い掛かってきたいつかの海賊を見るときのような、どうしようもなく怖い目だ。
「……マ、マルコ?」
思わずその名前を呼んだら、怒るに決まってんだろい、とマルコは小さく呟いた。
「お前は知らないかも知れねェが、ナマエ、お前はおれのもんだよい」
二年前から、と随分とはっきりとした発音で言われて、俺はぱちりと瞬きをした。
それから、そういえば俺がこの船に乗ったのは、もともとマルコの『誕生日プレゼント』としてだったのを思い出す。
二年前のマルコの『ワガママ』は、俺のために使われたのだ。
「勝手にいなくなるなんてことしやがったら、海の果てまで行っても探し出してやるよい」
ふん、と鼻を鳴らして言い放ち、どうやら眠るつもりらしいマルコの目がそっと閉じられる。
その腕の力が緩んだのを感じながら、嬉しいんだか切ないんだか分からなくなって、俺は少しばかり笑った。
だって、俺がこの船から姿を消す時は、俺が元の世界へと帰った時だ。
いくらマルコが空を飛べても、俺を見つけ出すなんてことはできないだろう。
それでも、怒る、と言われたのが嬉しいだなんて、俺も大概末期だ。
よしよしとその頭を撫でて、寝顔の眉間のしわが和らぐことに期待しながら、もはや酔っ払いだらけの宴を見やる。
主役をなくしても騒ぎ続ける白ひげ海賊団のクルー達は、今日も浴びるように酒を飲んでいた。
マルコの『ワガママ』が『俺の部屋移動』だと知ったのは、翌日の話である。
久しぶりに誰かと同室になりたかったらしいが、軽く拷問だと思う。
end
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