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恋のディザイア(4/4)



「悟りを開くことにする……」

「この間からそればっかだな、お前」

 甲板の掃除中、呆れた顔で眺めていた『家族』に言われたが、俺は本気である。
 モビーディック号へ強制的に返されてから数日、魅惑の魚人島へ一歩も足を踏み入れずにモビーディック号の上で過ごし、いろんな『家族』の仕事を肩代わりした。
 最初は『どうしたんだ、働き者だな』と笑っていたみんなからも『そろそろ息抜きして来たらどうだ』と言われるようになってきたが、これは俺が自分に課した罰である。
 俺にとってのフカボシ王子というのは、可愛くて可愛くてたまらない、けれど決してどうにかしてはならない相手だ。
 王子は俺を純粋に慕ってくれていて、その信頼を裏切るなんてことはあってはならない。
 それをあんな、少し独占欲を見せられたからと言って押し倒すだなんて、俺と言う奴は本当にとんでもない変態だ。
 痛みですら煩悩を完全に散らすことが出来ないと分かった以上、これはもう悟りを開いて煩悩を駆逐するしか道は残されていない。
 禅問答の本でも買って読めばいいのか、それとも僧の類を探して修行をつけて貰えばいいのか。
 むしろ『この世界』にそういう欲を捨て去った人間はいるんだろうか。俺が知っているこの世界の僧と言えばどこぞの破戒僧だけだし、破戒僧が欲を捨て去っているのかは疑問だ。
 とりあえずこの掃除が終わったら座禅でも組もう、なんてことをモップを握りながら考えたところで、そういや、と俺の後ろで樽に座ってこちらを眺めていた『家族』が呟いた。

「あの王子様、鮫の人魚だっけか?」

「フカボシ王子か? 本人がそう言ってた気がするけど」

「その王子になんでか噛まれたんだろ? 鮫の求愛って、確か噛みつきじゃねェか?」

 昔鮫の雄が雌に怪我させてんの見たことあるぜ、と言葉が続けられて、言われた言葉が飲み込めずに動きを止めた。
 戸惑い振り向いた先の『家族』は、俺が何をしでかして船へ強制的に戻されたのかを知っている。
 それは相手に聞きだされたからで、俺が昔から王子に抱いている感情は口にはしなかったが、多分もう気付かれているんじゃないだろうか。
 そうでなかったら、こちらを見ている相手がこんなにニヤニヤと笑っている筈がない。

「よかったなァ、ナマエ」

「よか……」

 楽しげに漏れた言葉に口ごもった俺の方へ、おーいナマエ、と声が落ちてきた。
 話を逸らすように慌てて顔を向ければ、見張り台にいた『家族』が俺の方へ手を振って、それから港の方を指差す。
 示されたそれに戸惑いながら樽をよじ登り、ひょいと島の方を見やった俺は、思わずびくりと体を揺らした。
 何故なら、モビーディック号が港へつけたタラップのすぐそばに、見慣れた人魚が浮かんでいるからだ。

「フ……フカボシ、王子」

「おーおー、王子様のご登場か」

 いいタイミングだなと笑った『家族』の声に後ろを見やれば、樽から立ち上がった相手がこちらへ近付いて、無理やり俺からモップを奪い取る。

「あ、おい!」

「片付けといてやるから、さっさと行って来いよ。何ならお前から噛みついてくりゃあいい」

 案外受け入れてもらえるんじゃねェか、と笑った相手が樽を蹴とばして、揺れた足元に慌ててその場から飛び降りた。
 待たせるのかと言われてはそのままその場にとどまるわけにも行かずに、そろりとタラップへ向かう。
 船から降りてきた俺を見つけて、フカボシ王子が緩く息を吐いた。

「ナマエ、あの……」

 数日ぶりに見るフカボシ王子は、どことなく少し落ち込んでいるように見える。
 そんな顔をされたら慰めたくて仕方がないのだが、なんと声を掛けたらいいんだろうか。
 ぐるりと先ほどの『家族』の問題発言が頭の中で回って、うまくものが考えられない。
 『求愛』だなんてそんな、獣みたいなことはありえるんだろうか。
 人魚も魚人も、ある程度種類の影響を受けるとは言え、人魚族と魚人族であってその魚そのものじゃないのだ。
 だからあんなのただのでたらめな思い付きだと思いたいのに、もしや、と俺の浅はかな部分が期待している気がする。
 そのせいでだろう、ふらふらとタラップを降りて行った先で、シャボンで浮かぶフカボシ王子を見上げた俺は、落ち込む相手に慰めよりも先に別の言葉を漏らしていた。

「…………フカボシ王子ってもしかして、俺のこと好きか?」

「えっ」

 何ともぶしつけな俺の発言に、フカボシ王子が目を丸くする。
 そしてそれから、何とも分かりやすくその顔が真っ赤に染まっていき、俺は今の質問の答えを知った。
 無邪気で幼い子供の頃だったら、あっさり『はい』と答えただろう。子供に恋愛感情が分からないとは言わないが、俺に拙いナンパを仕掛けてきたあの頃のフカボシ王子に、そんな感情があったとは思えない。

「あ、あの、その、」

 しかし今の目の前の動揺具合は、どう考えても『そういう』ことだった。
 何故だ。いつだ。どうしてそうなった。俺のせいで道を誤ってしまったのか。
 尋ねたいことは山ほどあるのだが、それよりなにより恐ろしい事実が俺の膝を砕き、俺はその場に崩れ落ちた。
 目の前に迫る石畳に思い切り頭をぶつけてみたが、額はとても痛い。
 どうやら夢では無いらしい。
 そう把握して、更に一回、二回と頭を真下にぶつけると、慌てたように肩を掴まれて引き上げられた。

「ナマエ?! 何をなさっているんですか!」

 驚きと焦りのにじんだフカボシ王子の顔が目の前にある。
 それを見つめて、両手で俺の肩を掴んでいるその手を掴み引き剥がした俺は、白くて柔らかなその腕をしっかりと握りしめた。

「俺も好きだ」

「え!?」

 今までずっとずっと言わなかった言葉を吐き出せば、今度は王子の顔が驚きに染まる。
 その瞳に浮かんだ喜びが何とも可愛らしく、だからこそとんでもない後悔を俺に抱かせた。


 あれは、据え膳だったのである。


 過去に戻れるなら、堪えた自分の頭を二、三発殴ってやりたい。
 フカボシ王子を無意識にたらしこんで道を踏み外させてしまった事よりも、自分がありつけた筈の宝にありつけなかった事実に対する後悔が強い辺り、俺は本当にどうしようもない海賊だ。

「あ! いけません、ナマエ!」

 とりあえず反省の意味を込めてもう一回石畳に頭をぶつけようとしたところ、慌てた人魚王子に抱いて止められた。
 柔らかいしいい匂いがするしたくましいししっとりしているしで、フカボシ王子は必死だというのにうっかり堪能してしまった俺を、きっと誰も責められないだろう。



end



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