幸福的日常 (3/4)
「!」
現れたサカズキに嬉しげな顔をして『おかえりなさい』とスケッチブックを見せるナマエが、庭先にいた。
そうして、足元に犬がじゃれついている。
薄汚れた毛並みのそれは昨日見かけた迷い犬のもので、するりとナマエの細い足と足の間に体を割り込ませていたその犬は、サカズキ達が現れたことに気付いてびくりと耳を揺らした。
しかしそれでも、昨日のように家の床下へ逃げたりはせずに、まるでサカズキ達の出方を確認するようにじっとしている。
それを見たナマエが少しだけ後ろへ下がってから屈み込み、その手で野良犬の頭を撫でると、へにょりと耳を伏せた犬がナマエの方へとすり寄った。しかしながらその双眸は、まだサカズキ達の方を見つめている。
「オォ〜……仲良くなっちまってんのかァい」
サカズキの後ろから様子を見ていたらしいボルサリーノが、そんな風に言いながらひょいとサカズキより前へ出た。
大柄な相手の動きにはっと身を強張らせた迷い犬が、ぐる、と似合わないうなりを零す。
歯を剥き、威嚇するようなその様子に慌てたナマエが犬の背中を撫でて落ち着かせようとしているが、効果はない様だ。
四つ足で踏ん張り、挑むように睨んでくるその様子をしげしげと眺め、どうしてだかちらりとサカズキの方へ視線を向けたボルサリーノが、なるほどねェ、と何やら納得したような声を漏らした。
「なんじゃァ」
「こんなにサカズキにそっくりじゃァ、懐くのも無理はねェよォ〜」
「!」
やれやれと声を漏らすボルサリーノの向かいで、どうしてだかナマエの方が何かに納得がいったように軽く両手を合わせている。
その様子に眉を寄せて、サカズキは改めてナマエとボルサリーノの間の迷い犬を見やった。
薄汚れた短い毛並みのその犬には、体のあちこちに傷跡がある。特に左の半身に大きく傷跡があり、痛々しいがどうやらそれも古傷のようだ。耳も少し欠けている。
これから先大きくなる犬種なのか手足は太いが、栄養が足りていないのか肉付きが悪い。
目つきは鋭く、この世で信じられるものなどほんの一握りしかないことを知っているかのようだ。
その眼差しにはどこかで見覚えがある気がしたが、脳裏に浮かんだ光景に、サカズキは眉間の皺を深くした。
いつだったか鏡の中で見た眼差しだと、余計なことに気付いてしまった。
「……似ちょらんわ」
「そうかァい?」
低く声を漏らしたサカズキに、楽しそうな顔をしたボルサリーノが膝を曲げる。
屈み込むような形になった相手に、ますます野良犬が低く唸り声を零した。
昨日のように床下にでも逃げてしまえばいいのに、そうしないのは、その背中にナマエを庇う格好を取っているからか。
サカズキのいない時間でどういった構い方をしたのかは分からないが、ナマエはひょっとすると犬を絆す才能があるのかもしれない。
「あ……あの、大将」
そんなことを考えたサカズキの後方で、恐る恐ると声があげられる。
それを受けてサカズキが後ろを見やれば、玄関口から庭に入ったサカズキ達を見守っていたらしい部下二人が、自分達はどうすればいいだろうかとサカズキへと問いかけた。
その両手には縄や網が握られている。サカズキが『迷い犬の捕獲』を命じていたのだから当然だ。
サカズキが命じればすぐにあの犬を捕獲しに行くだろう二人を見やり、何故だか少しばかり逡巡したサカズキの耳へ、ボルサリーノの声が届いた。
「これだけ懐いてるんだし、このままサカズキのとこで飼ったらいいじゃねェか〜」
「何を……」
「……!」
無責任な発言を繰り広げた同僚にサカズキが視線を戻すと、どうしてかナマエの期待に満ちた眼差しが顔へと突き刺さった。
じっと注がれる眼差しに、ぐっと少しだけ口を曲げたサカズキの目が、それから少しだけ逸らされる。
「…………まァ……考えんこたァない」
サカズキの零した言葉に、ばあっとナマエがその顔を輝かせたのが、そちらを見なくても分かる。
後ろで海兵が二人そろって困惑の声を漏らしているが、これはもはや仕方のないことだ。
あまりわがままを言わないナマエが求めるのなら、出来る限りは叶えてやることが男の甲斐性だろう。
しかしとりあえず、身を丸めて肩を震わせている同僚の背中は、軽く蹴っておくことにした。
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