沈殿する苦み (3/3)
「……馬鹿なことを言うな」
呆れを声ににじませる努力をしながら、言葉を放ったセンゴクに、ナマエがわずかに口をとがらせた。
「なんだよ、やっぱりサービスのわるいゆめだ」
非難するようなその声音に、寝にくくなるだろう、とセンゴクは反論した。
何せナマエが転がるナマエのベッドは、先ほどまでセンゴクが使っていたベッドよりも随分と小さい。
体格の差があるのだから当然だが、例えばセンゴクがナマエを抱え込んだとしても窮屈だろう。
そんなことを考えて、『抱え込む』なんていう破廉恥な行為を想像してしまった自分に何とも言えない気持ちになったセンゴクの傍らで、えー、とベッドに転がる酔っ払いが声を漏らす。
「そんなの、センゴクがおおきいからだめなんじゃないか。つるくらいだったらよかったのに」
共通の友人である女海兵の名前を出してから、センゴクの手を放したナマエが見えぬ何かを抱えるような仕草をした。
「つるくらいだったら、おれがこうしとけばもんだいないだろ」
そんな風に言い放ち、あんしんしてちぢめ、と途方もなく馬鹿らしい発言をするナマエに、センゴクの眉間の皺が深くなった。
『つるくらいだったら』という言葉に、先ほどまで見ていた夢が脳裏によみがえる。
あれは確かに夢だったが、しかし間違いなく現実に起こったことだった。
センゴクの記憶をほとんど正確になぞらえたあの日の夜、ナマエはセンゴクの友人でもある彼女と親しげで、そして多分、センゴクにも話さないような何かを話したのだ。
二人が男女の仲ではないらしいということはつるからも聞いたが、本当にそうなのかはセンゴクには分からない。二人の仲の良さは、普段のやり取りでよく知っている。
そういえば、あの日随分と酔っている様子だったナマエは、そのままつるに送られて帰ったのだろうか。
そうだとしたら、だいぶ遅い時間だったから、客間をつるに貸したかもしれない。
それならば、その時に、今センゴクにやっているような甘えを、彼女にも見せたのか。
ぐるぐると回りゆく考えから生み出された苦みが舌を焼いて、センゴクの目に剣呑さが過った。
酔っていても多少の違和感はあったのか、センゴク? とナマエが少し舌の回っていない発音でセンゴクの名前を呼ぶ。
それを放っておいて、センゴクはナマエの肩口を捕まえ、ぐい、とベッドへその体を押し付けた。
横向きになっていた姿勢を仰向けにされて、戸惑うナマエの目がセンゴクを見上げる。
それを覗き込みながら、センゴクはナマエの傍らでその巨躯を折り曲げた。
「……ナマエ」
「うん? なんだ、センゴク」
低く唸るように名前を呼んだ先で、かおがこわいぞ、とナマエが笑っている。
動いたその両手が軽くセンゴクの顔に触れ、酔いの回った拙い動きを、センゴクのもう片方の手がまとめて捕まえて押しとどめた。
ナマエ、ともう一度その名前を呼んで、センゴクが見つめた先のナマエは、まどろむようにその目を細めている。
センゴクが寝てからどれほど飲んだのか知らないが、恐らく酔いが回りすぎているのだろう。
センゴクの頭がわずかに熱に浮かされたようになっているのも、全て酒のせいだ。
苛立ちのえぐみに支配された口の中が渇いているのを感じながら、さらに顔を近付けて、センゴクはナマエへ向けて言葉を紡いだ。
「好きだ」
だからおれを見てほしい、おれだけを一番に考えてほしい、できれば誰よりもおれの傍で笑っていてほしい。そうでなくてもできればどうか、嫌わないでくれ。
言いたいことはたくさんあったはずなのに、はっきりと紡いだ三文字以外に、言葉は出て行かなかった。
「セン、」
そうして、何かを言われることを恐れたセンゴクの唇が、ナマエの声をふさぐ。
驚いたようにナマエがわずかに身じろいだが、酔ったナマエの行動など、まるで通用しない。
動くうちに酒が回ったのか眠ってしまったナマエを解放したとき、正義の海兵であるはずの己の卑劣さにセンゴクが打ちひしがれたことなど、家主はまるで知らず。
「いやー、久しぶりにめっちゃくちゃ飲んだな。昨日途中から記憶ねェや」
審判を待つ気持ちで迎えた朝、部屋から出てきて朗らかに笑ったナマエを前に、真夜中のセンゴクの罪はなかったことになってしまった。
けれども、それで自分が許せるかと言えば、答えは否なのだ。
「酔ってても片付けのできる俺って、かなり有能だと思わないか?」
「……そうだな」
「ん? センゴク?」
どうした、と問われても生返事しかできず、自己嫌悪の沼から逃れられないセンゴクはとりあえず、その日の昼につるの元を訪れることにした。
何も言わずに洗ってほしいと頼んだセンゴクに、何故だかとんでもなく呆れた顔をしながら手を伸ばしてきてくれたウォシュウォシュの実の能力者は、何とも友人思いの海兵だ。
end
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