10.X (3/3)
「理由ならあるじゃないか」
「え?」
「今日、誕生日なんだろう?」
今さっき、子供が自分でそう言っていたのだ。
だからそれを口にして、俺は笑顔を子供に向けた。
いつもは俺が笑うと遭遇した子供は泣いたり怖がったり逃げたりするのだが、さすがに夢の中ではその反応は無いらしく、俺を見上げる子供はただ目を丸くしただけだった。
何となくほっとしながら、俺はさらに言葉を紡ぐ。
「誕生日おめでとう。この帽子は誕生日プレゼントだ」
身を屈めて手を伸ばし、子供が持っている帽子を奪い取ってその頭に乗せてから、ぽんぽんと小さな頭を軽く叩いた。
「立派な海兵になってくれ」
『ワンピース』の海兵は何となく読んでいる視点から見ると敵ばかりだったが、確か正義がどうのと面倒くさいことを言いながら『正しい』ことをしている海兵も少なからずいた気がする。
俺の夢の世界でだけの話だろうが、きっとこの子供もそういう海兵になるんだろう。
こんなにきらきらまっすぐな目をしているんだから間違いない。
俺がそんな確信をしている間に、戸惑ったような顔で俺を見上げた子供が、ぽつりと呟く。
「……おにーさん、ぼくがかいへいになれるっておもう? ぼく、みんなよりちっちゃいんだよ」
恐る恐ると窺うように尋ねられて、俺は肩を竦めた。
「そんなの、小さいも大きいも関係ないだろう。それに、坊主はこれから大きくなるんじゃないか? おれだって、坊主くらいの頃は坊主くらいの大きさだったしな」
子供のころは、確か同年代では小さい方だったのだ。
それが成長期を迎えて、気付けば頭の並ぶ相手がそういない体格になってしまった。
そう続けた俺を見上げて、子供がぱちぱちと驚いたように目を瞬かせる。
それからその口が引き結ばれ、小さな両手が帽子をもう一度捕まえた。
また突っ返されるかとすぐに屈んでいた姿勢を戻して両手を避難させた俺は、けれども帽子を両手で下に引っ張った子供に、おや、と目を丸くする。
ぎゅうと自分の頭を帽子に押し付けるようにして、子供が輝かんばかりの笑顔を浮かべた。
「ありがとう、おにーさん! ぼく、これ、だいじにする!!」
とてもとても嬉しそうにそう言われて、そうかそれはよかった、と頷いて。
「そういえば坊主、名前は、」
なんていうんだ、と続けたかった言葉が、口から漏れる前に意識がふと浮き上がった。
「ナマエ」
低い声を寄越されて、は、と目を開く。
見上げた先には俺を見下ろす元海軍将校殿がいらっしゃって、もう朝だぞと言いながら体を引き起こされて、仕方なく体に力を入れて支えた。
ぐらぐらと船が揺れているのには、もう慣れてしまった。
何故なら、ここは海の上だからだ。
「あー……ドレーク、おはよう」
「おはよう。もう昼だがな」
俺の言葉へ返事を寄越して、相変わらずの寝起きの悪さだな、とドレークがため息を零す。
悪い悪いとそれへ謝ると、もう少し心を込めろと説教をされた。
相変わらず、ドレークは手厳しい男だ。
俺がこの船に乗るようになって、もう半年ほどが経つ。
ある日突然、俺はこの世界から『醒められなく』なった。
夢が『ただの夢』ではないのだと気付いたのは、確か俺の体感では一年前、携帯を夢の世界で『売り払った』後だ。
目を覚ましてもどこにも携帯は無く、円でもドルでもユーロでも他のどの国で使う通貨でもない札束がポケットを膨らませていたのだから仕方ない。
それから何度も『明晰夢』としてこの世界で過ごした。
『元の世界』で眠ると、俺はこの世界へと現れるらしい。
そして、『元の世界』で目が覚めると、こちらの世界から唐突に消える。
つまり、漫画『ワンピース』とよく似た異世界と元の世界を、この体は行き来していたようだ。
それからは、たまに訪れるこの世界を堪能することにして、いつもを過ごしていた。
元の世界とこの世界では時間の進みが違うらしく、立ち寄るたび訪れる町は見知らぬ風景を持っていて、毎回目新しい場所で、つねに俺を楽しませてくれた。
俺の目が醒めなくなったのは、確か、俺が『海賊』のドレークと遭遇してからだ。
俺の顔を見て怪訝そうな顔をしたドレークの方が俺へと近寄ってきて、海軍を辞めて駆け出しの海賊となったばかりらしかったドレークに俺が話しかけて、気付けば俺は海賊入りしていた。
せっかく『ワンピース』に似た世界にいるのだから海賊にぐらいなってみてもいいかと、そんな安易な考えをした自分の馬鹿さ加減にはため息も出るが、まあ後悔はしていない。
海の上に出てから、俺はこの世界から元の世界へ帰ることが出来なくなった。
もしかしたら『元の世界』の俺はまだ長い夢の途中なのかもしれないが、この世界で眠気を感じた最初の日は困惑したものだ。
けれどもう、船の揺れに慣れたように、この世界にも慣れてしまいつつある。
俺にはどうすることもできないし、長くこの世界にいるのは初めてだから、こんな生活だってたまにはいいものだ。元は海兵だったドレークは略奪をしないし、一緒にいることに不快感もない。
「ほら、顔を洗って来い」
ぽいと放られたタオルを受け取って、おう、と返事をしながら簡易ベッドから立ち上がる。
そんなに広くはない船室の中で、椅子へ座ったドレークがこちらを見やっているのを横目にクローゼットへと向かった俺は、そこを開いて自分の着替えを取り出した。
それから、中に大事につるされている『物』をちらりと見やって、今日の日付を思い出す。
片手に着替えを持ったままドレークを見やると、その目はまだこちらを見ていた。
「ドレーク、誕生日だったな。おめでとう」
ついこの間、新しいクルーが増えた時の酒盛りで、話の流れで聞いたドレークの誕生日は、確か今日だった。
俺の言葉に、覚えていたのか、とドレークが小さく笑う。
その顔が少し嬉しそうに見えたので、そりゃあ覚えているさ、と今思い出したとは言わずに俺は少しばかり胸を張った。
後ろ手にクローゼットを閉じて、着替えとタオルを手に持ったままで足を動かす。
「それじゃ、あとでな」
「ああ。くれぐれも立ったまま寝ないように」
「したことねェよ」
送り出されて笑いながら、俺はドレークのいる部屋を後にした。
洗面所へ向けて足を動かしながら、先ほどクローゼットの中に見かけた物体のことを思い浮かべる。
それは、ドレークが海軍に居た頃使っていたらしい帽子だった。
随分と長いこと愛用していたんだろう、少し汚れているし古びていたが、ドレークはとてもあの帽子を大事にしている。
話によると、昔誰かに貰ったらしい。
それが誰かまでは聞いたことが無いが、きっと、あの日俺から帽子を受け取ってくれたあの子供みたいに、嬉しそうに笑ったんだろう。何とも微笑ましい話だ。見てみたかった。
クルー達が秘密裏に用意している『誕生日パーティー』でも似たような顔をしてくれればいいがなァ、とまで考えて笑ってから、俺はそのまま辿り着いた洗面所へと足を踏み入れる。
顔を洗ったら、俺も準備に参加することにしよう。
end
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