拝啓、神様 (3/3)
小さな甘い食べ物が入った包みを片手に、慣れた道を歩く。
足音を消して歩んだ小さな路地の先にはいくつかの民家があり、その内の一つへと近付いたところで、ロシナンテは能力を解いた。
ひょいと伸ばした手で軽く扉を叩いて、それから返事も待たずに扉を開く。
「ナマエ」
「あ、ロシー。いらっしゃい」
今度は早かったな、なんて言って笑ったナマエが手招きをして、それに従ったロシナンテは彼の住処へ足を踏み入れた。
ナマエに合わせたような小さな住いはロシナンテには少し小さいが、慣れた様子で少し身を屈めて室内を歩き、足の太いソファへと腰を下ろす。
一度どたんと後ろへひっくり返ってから、ナマエがソファの背中を壁に寄せてあるので、ロシナンテが好きなように座っても後ろ向きに倒れてしまうこともなかった。
「よく俺が休みだって分かったなー」
「毎週、今日が休みだと言ったのはナマエの方だ」
「あー、それもそうか」
コーヒーを用意しているナマエの言葉へロシナンテが言い返せば、ナマエが笑う。
そちらを見やって軽く足に頬杖を突き、ロシナンテは軽く肩を竦めた。
「ひょっとしたら『昔』みたいに眠っているんじゃないかと思ったが、今日は起きてるんだな」
「そろそろお前が来るんじゃないかと思ったから起きたんだよ」
小さな頃の話を持ち出したロシナンテへそう言いながら、ナマエがグラスを運んでくる。
その中身がアイスコーヒーなのは、ロシナンテが熱いものを冷ますのが苦手だと言うことをナマエが知っているからだ。
ロシナンテの大きさに合わせたそのグラスを差し出されて受け取り、ロシナンテは代わりに自分が持っていた包みをナマエへ差し出した。
「これ」
「土産か? そんなに気を遣わなくてもいいのに」
でもありがとうな、なんて言って笑ったナマエが包みを受け取って、キッチンへと運んでいく。
その背中は、ロシナンテが覚えている『昔』のナマエと変わらない。
話によれば、ナマエは今から二年前、急に『この世界』へ紛れ込んでしまったと言うことだった。
ロシナンテや兄が『あの世界』へ行った時と同じだ。
そして、ナマエの傍からロシナンテとその兄がいなくなって、ナマエの感覚ではまだ三年しか経っていないらしい。
『異世界』とここでは時間の流れが違うのだろうと言うのがロシナンテの結論で、ナマエもそれに同意した。
それでもナマエがロシナンテの言葉を信じてくれたのは、恐らくナマエ自身が『不思議』な体験をしていて、ロシナンテが『ナマエ』のことをあれこれと思い出したからだろう。
「おやつでも一緒に食ってけよ。一人じゃ寂しいしな」
キッチンから戻ってきたナマエがそんな風に言いながら、ロシナンテの隣に腰を下ろす。
そうして持っていたものを手渡されて、ロシナンテは手元を見下ろした。
どうやら今日の『おやつ』はゼリーらしい。わざわざロシナンテの手に合わせた大きさのそれは大通りの店で売っていたものと同じで、ナマエがロシナンテの為に買ってきてくれたことは明白だった。
グラスをサイドのテーブルへ置き、刺さっていたスプーンを使って、ロシナンテはゼリーを口へ運ぶ。
じわりと口に広がる甘味を受け入れながら視線を向ければ、ロシナンテの傍に座ったナマエも、同じように自分のゼリーを口に運んでいるところだった。
ロシナンテが『ロシナンテ』であることをナマエが理解してくれてからというもの、ロシナンテはこうして時折ナマエの下へと足を運ぶようになっていた。
いつかはドフィも連れて来てくれよな、なんて言って笑うナマエは恐らく、巷で噂の『ドンキホーテファミリー』の首領がその『ドフィ』だとは知らないだろう。
ロシナンテも今のところ、それを伝えるつもりはない。
ロシナンテや『ドフィ』が『海賊』だなんてことを伝えたら、優しいナマエが胸を痛めるかもしれないからだ。
それに、『ドフィ』をここへ連れて来たとして、『ドフィ』がナマエのことを覚えていたら、『ドフィ』はナマエを自分の手元に置こうとすることくらいわかりきったことだった。
ロシナンテがナマエを慕っていたように、ロシナンテの兄もナマエを好いていた。
自分達の奴隷にしてずっと一緒にいよう、とロシナンテを誘惑した兄の気持ちが変わっているとは思えないし、もしも従わなかったら、ナマエは殺されてしまいかねないだろう。
罪深いことを考えた自分は罰を食らっても仕方がないが、優しい優しいナマエが恐ろしい目に遭うだなんてこと、ロシナンテは想像だってしたくない。会えなくなることよりも、それが何より恐ろしい。
いっそ信頼のおける上司に頼んで保護してもらうかと考えてもいるが、うまい理由を見つけられていないのが現状だ。
どうしたものかと考えながら、ナマエを眺めつつぱくぱくとゼリーを口に運んでいるロシナンテに気付いて、ナマエがちらりとロシナンテを見やる。
それから、その目がわずかに丸くなり、それから傍らの彼は小さく噴き出した。
その手が自分の器にスプーンを預けて、あらかじめ持っていたらしいタオルをこちらへと近付ける。
「あーあ、またそんなに汚してるし。相変わらずだなァ、ロシーは」
今のところ、ロシナンテの願いはただ一つ、笑って口元を拭ってくれる彼が、平穏に暮らして『帰って』くれることだけだった。
end
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