![]() つまらないと思いながらも、深夜の昼ドラをぶっ続けで見ていたらとんでもない時間になっていた。死屍累々の作戦会議室、もといテレビ部屋を後にして、あくびをしながら自室に帰る、その途中、エロ本自販機に薄明るく照らされた廊下に横たわる影をみつけてぎょっとした。すぐにそのかたまりが、土方だと気がついて、息を呑んでしまった自分に腹を立てた。飲みに出かけているとは聞いていたので、例によって潰れているのだろう。跨いでいくか、踏むか、跨るか、考えるうちにも足が進むので、何も考えずに蹴ってみたら、唸り声が上がった。何かむにゃむにゃ言っているので、踏み越えていこうとしたら、はっきりとした声で呼び止められた。 「総悟」 「へぇ」 「みそ汁」 言われて、ああまただと、土方を起こしてしまったことを後悔した。酒が入るとなぜか、味噌汁を飲みたがるのだ。深い時間に多少ふらつく頭で、もう無視してもいいかな、と思っていたら、脇のドアから山崎が顔を出した。急な闖入者に、またしても内心驚いて、腹がたった。 「あ、まだ起きてたんですか」 「山崎、みそ汁だってよ」 「えぇ。今からですか?」 山崎が上着を脱ぎながら、土方に問いかける。山崎も一緒に飲みに出かけたのだろうが、あまり酔っている姿を見たことがない。土方はようやく目を開けて、いつも異常に凶悪な目で山崎を睨んだ。 「いや、いい」 「そうですか。ちゃんと部屋戻ってくださいよ。じゃあ俺はここで」 山崎はそそくさと廊下の真っ暗な方へ去っていった。あっという間に消えた背中に目を凝らしていると、土方がまた沖田を呼んだ。 「総悟、みそ汁」 「えー。いらねぇっていったじゃん」 「作れよ」 「大量に塩ぶち込んだやつでよければ」 「それでいいから」 ゾンビのようにずるずる起き上がると、土方は沖田を首をがっしりと捕まえ、半ば支えにして食堂の方へ歩き出した。一度、無視して逃げ出した時は、部屋までついてきて、布団に潜って無視していたら、布団にまで入ってきて、みそしるみそしるとうるさかったので、仕方無く沖田は土方に押されるまま、一緒に歩き始めた。 作ると言っても、沖田が出すのはインスタントのみそ汁だ。お湯を沸かして注ぐだけ、のものに、血迷った親切で刻んだネギなんか浮かべてやったのが、いけなかったのかもしれない。 沖田が準備をしている間に、土方は誰もいない食堂の椅子に座って、一服をする。その時点で少しは頭が冴えてきている癖、みそ汁は撤回しないのだからたちが悪い。 お湯を沸かす間に、沖田は土方が勝手に専用と言いはるお椀を食器棚から拝借して、インスタントの味噌をぐにゅりと小袋からひねり出した。 「具は何にしやす?」 「なんでもいい。選んで」 「なめこ! 新発売らしいですぜ」 「まじか」 人に熱烈に強要するくせ、まるで興味がなさそうなので、沖田はお湯がぐらぐらと沸騰し尽くすのを待って、火を消した。じょろじょろとお湯を注ぐと、とたんにいい匂いが辺りに広がる。土方はようやくたばこを消して、自分の隣の椅子を引く。 箸でパシャパシャと適当に混ぜて、沖田はずずっと味見に啜ってみた。 「あー、うめぇ。バッチリでさァ」 「早くよこせ」 人に作らせておいて何なんだと、思いながらも沖田は土方の前にお椀を置いてやった。椅子が引かれているので、仕方無く隣に腰を下ろす。 すると土方は、まるで料理の審査員みたいに、半分沖田の方を向きながら、お椀に口をつけて啜った。箸は結局、最後まで使わない。これじゃあまるで、自分が頼んで飲んでもらっているみたいだと思いながら、沖田は土方が飲み終えるのを待っている。 「満足しやしたか?」 お椀を置いた土方にそう聞くと、ああとか、まぁとか、かえる返事はそっけない。ここで近藤みたいに、手放しで褒めたり礼を言ったりしたら可愛げがあるものの、これでは毎回作り損だ。何が悲しくて、こんな男にみそ汁を作り続けなければならないのだと、沖田はさっきまでみていた昼ドラの台詞を思い出した。 「土方さん、なんでみそ汁がしょっぱいか知ってやすか?」 「知らねぇ」 「それは作ってる人が泣いてるからなんですぜ」 ドラマのセリフを引用してみると、土方は意味がわからないと言って、聞き流した。冷めた表情の下では、沖田の作った味噌汁の塩分が、血潮となって渦巻いているだろうに、おくびにも出さない。 あと十回も作れば、その血を全て作り変えることもできるんじゃないかと、沖田は眠気の高まった頭で考えた。体中の塩分を司って、それはつまり、命を掌握しているにも等しい。だから人妻は毎日味噌汁を作るのかなと、ぼんやり口に出すと、今度は無視をされた。 「風呂入って寝るわ」 「別に聞いてやせんけど。どーぞご勝手に」 「お前も早く寝ろよ」 「言われなくても、アンタが引き止めなきゃ今頃寝てやしたよ」 「あんまり遅くまで起きてると、怖い夢見るぞ」 「はぁ?」 土方は席をたって、ふらふらと歩いて出て行った。沖田は証拠を隠滅するように、お椀を片付けようと洗い場に戻る。すると、まだ湯が残ってるのを発見して、沖田は自分のためにもういっぱいみそ汁をいれてみた。ものぐさで土方のお椀に味噌と具を入れなおし、お湯を入れ、少しさめてちょうどいいのをずずずと啜る。 「なんでィ。超うめーじゃん」 どうせ朝になると、一杯引っ掛けたみそ汁のことなんて、土方はまるで覚えていないのだ。素面の時に感想を聞いてみて、返事がかえった試しがない。 その癖毎回注文してくるのは、いったいどんな仕組みなのだろうと、考えながら、沖田は自分の部屋の布団を目指した。 けれど、覚えていないというのは、どうやら沖田の勘違いだったらしい。沖田はそれからチラホラと、証言を耳にする様になった。 最初の証言は、山崎だ。ある日突然、沖田の部屋にぬっと怒った顔を覗かせて、みそ汁がなくなりそうだったら、ちゃんと言っておいて下さい。在庫が切れちゃったじゃないですか、と叱られた。きっと土方に言えなくて沖田に言いに来たのだろう。沖田に言えばいいという情報は、土方から仕入れたとしか考えられない。 その次は、意外なところで、坂田だった。たまたま見まわりで入ったパチンコ屋の、たまたま催して入った便所で、たまたま隣り合った時に、なぜだか料理の話になった。沖田くんも料理するんだね、と言われて、誰に聞いたんですと聞きかえせば、土方の名前が返った。沖田は料理なんて、このところ、みそ汁を作った意外に覚えがない。もっと詳しく、どんな状況で、どんな風に土方が、仲の悪い坂田にそんな話を披露したのだか、沖田は聞きたくてたまらなかったが、残念ながら時間切れだった。 最後に証言したのは、近藤だった。 「総悟、今度オレにも作ってくれよ」 ほんの通りすがりに、ふと思い出したように近藤は口にした。 「何をですか?」 「みそ汁だよ。トシが言ってたぜ。遅くに帰ってきた時に、総悟が作ってくれるみそ汁が絶品だってな」 なんだそれは、と沖田は呆けた。自分で作るよう強要しておいて、何が作ってくれるだ。一杯百円もしないインスタントの、どこが絶品だ。どうせ酔って馬鹿になった舌で、朝には味なんて何一つ覚えていないくせ。うまいならうまいと、その場でいいやがれ、と、心のなかで悪態をつくも、何も言えずに、恥ずかしくてたまらない面持ちになっていた。 しまった、内と外を間違えたと、気がつくも、近藤はそんなの慣れっこで、笑って沖田の頭をかき混ぜた。 menu |