20歳
今暫くはあの太陽と共に隠すの
 最初はちょっとした違和感だった。いつも通り散歩していて、それが目線だと気付いたのは割と早かったけれど、マーカー付きだからと思っていた。でもそれにしては鬱陶しく、終ぞ逸らされることが無かった。流石に統一されて結構経つため、もうそんなに目立つマークでもない。これでも誠実に生きているつもりだ。後を付けられるような恨みを買った覚えはないし、商店街の人々とは仲が良いものの、別にファンがいるほど有名人でもない。じゃあこの視線はなんだろう。デパート1階の一面がガラス張りになっている所まで行き、服を見る振りして後ろを伺うと変な所で立ち止まっている男を見つけた。けれどその男は何かを探しているのかキョロキョロし出し、逆に疑ってしまった事に申し訳なさを感じる。
 再び歩き出して過ぎゆく人々をぼうと眺めながら、あぁ今日の夕飯はどうしようかなんて考えているとまたあの纏わり付くような視線が背中に刺さる。いくら私でも流石に嫌な予感がして早くポッポタイムに帰ろうと近道の路地裏に入ってすぐに後悔した。静かな路地裏に響くのはたった2人分の足音。後を付けられていることを確信してしまってどうしようもない不安に駆られる。走れない事がこんなに不便だと思わなかった。後ろを歩かれているだけで暴力を振るわれている訳ではないから理由が出来る後攻に回れないのがこんなにも辛いなんて思わなかった。どうしよう。怖い。いっそ殴りかかってくれれば反撃出来るのにこれじゃあ何も出来ない。シティでの生活にあまりに馴染みすぎて勘が鈍っていた。今、後方どれぐらいの距離に付けられているんだろう。あぁ、この路地裏抜けたらすぐポッポタイムに着けるのに抜けるのはまだもう少し先。怖い。いっそ手を出すよう誘うのも手段の1つなのに、すでに振り返る事すら頭が拒否している。サテライト育ちの癖に、こんな、たった1人に怖じ気づくなんて、
 待って今、真後ろに、
 ──……!
「貴様ァ!!」
「!!」
「ヒィ!」
 弱々しく伸ばした手を誰かに思いっきり引かれて転び掛けたところを強く受け止められ、同時に後ろで見知らぬ人の悲鳴と物音がした。
「何をコソコソ俺の愚妹の後を付けている!」
 そう言うのは間違いなくジャックだった。声に反して肩を抱く手はあまりに優しく、彼の体温は酷く安心を感じさせた。それでもまだ声が出なく、けれどようやく振り返るとそこには先程疑ってしまった男が尻餅をついていた。
「ヒッ、お、おれは! べつに、」
「嘘を付くな、戯け者ォ!! コイツに手を伸ばしかけていたのを俺は見たぞ!」
 ジャックの威勢に押され男の人は「ヒッ!」と声を漏らした。
「み、見間違いだろ! い、言い掛かりだ! 証拠も無いくせに何を、」
 あぁ、やっぱりそう来ちゃうんだ、とジャックのジャケットを少し掴みながら他人事のように思った。怯えながらも声を上げるその人にまた怒鳴るかと思いきや大きく深呼吸をし、彼を見下ろしながら口を開いた。
「ならば訊いてやろう。何故この道を使った?」
 いつもの調子で、けれどどこか感情を感じられないその声で淡々と訊いた。私から彼の表情を見ることは出来ないけれど男が息を飲んだことだけは分かった。
「こ、この道が近道だからだ!」
「……コイツとの距離を縮めたのは何故だ。」
「あ、歩く速さの問題だろ!?」
「……ほう、成るほど。貴様はデパートからの道のりを一定の距離を保って歩いていたのに、コイツが路地裏に入った途端に歩を早めたのか。」
 え、と私の喉から声が出た。
「──そんな言い訳が、この俺に通用すると思ったのか?」
 まさに地を這う声と例えるに相応しい低い声音だった。ジャックのこんな声は聞いたことが無くて思わず私が吃驚すると、少しだけ抱く力が強くなる。
「去れ。今回は見逃してやる。次は無い。」
「ッ!」
 男は酷く怯えたように目を大きく見開き口をパクパクとさせながら後退った。腰が抜けて立てないと察したのかジャックは私の左手を引いて先を歩んだ。路地裏を抜けるまでジャックは一度も私を見ず、また一言も発さなかった。けれど私が振り返ろうとすると強く手を引いてそれを阻んだ。
「あ、あの……、」
 ようやく日差しへ出られてついに私が声を発するとジャックは振り返り、鋭く私を睨み付けた。
「ご、ごめんなさい……。」
 目を合わせられなくて俯く私にジャックは声音を変えず「何に対してだ。」と訊いた。咄嗟に出た謝罪だったから理由を考えていなくて、でもそれじゃあ謝罪の意味が無いと混乱する頭で必死に動かす。
「……え、えと……、その……上手く対処、出来なくて……。」
 あまりに不覚だった。自分の身すら守れなくなっているのかと恥ずかしくなった。サテライトに居た私より弱くなっていることが堪らなく恥ずかしい。合わせる顔が無く頭が上がらない私の頭上でジャックは罵声を浴びせるかと思いきや大きく溜息を付いた。
「愚妹、とは言ったが本当に愚かに成ったかチビすけ。」
 あぁ、こんなに冷静に言われるならいっそ怒鳴ってくれた方が良かった。
「違う。俺が怒っているのは何故助けを呼ばなかった事に対してだ。」
 ……、
「……え?」
 戸惑いで目が泳ぐ私の頬を両手で包み込み顔を無理矢理目線を合わせる。変わらず強く睨み付けられたけどなんだかジャックの目も少し揺らいでるような気がした。
「なんのためにスマホがある。なんのために俺達がいる。どうしてお前は、1人で解決しようとするんだ。」
 苦々しい声が私の心臓を掴んだ。そんな顔をさせるつもりなんか無かった。もう反らせない目線の先には小さくもはっきりと分かるほど動揺した私が映り込んでいた。
「……だって、もう足手まといには成りたくない、から。それに、どうにか出来るって、思ったから……。」
「阿呆か!」
「ッ!」
 突然怒鳴られ目を瞑るとまた大きな溜息が聞こえる。それから両頬にあった手を蟀谷辺りで勢いよく手を動かし髪を掻き乱した。
「うわぁっ!?」
 あまりに突拍子も無い行動に吃驚して為す術を忘れてされるがままになる。
「全く、いつまでも世話が焼けるな。チビすけは。」
 ようやく収まり顔を上げるとジャックは珍しく眉毛を下げていた。心なしか笑っているようにすら見えるのは、何故?
「だって、」
「お前はそれしか言えんのか。
「……。」
「頼って良い。今はもう俺がいる。遊星やクロウだって居るだろう。今更お前1人に頼られたところで困る程度の奴があそこに居ると思っているのか、阿呆。あの状況で逃げ足の無いお前に何が出来た? あの路地裏に入った時は流石に馬鹿かと思ったがな。」
「……。」
 馬鹿と言われる程か、と少し頬を膨らませたがジャックは片眉を上げただけだった。
「自分でも分かっているんだろう。」
「…………うん。」
「なら良い。だが例え大通りからここに来たとしても状況は変わらない。後日また付けられる可能性だってある。」
「なんで?」
 ごく自然に疑問の言葉が出て来た。一瞬何を言われたのか理解出来ないと言ったぐらいに眉間のしわを作り、そして項垂れた。
「……なんでお前がそんなに危機感を持っていないのかようやく理解した。チビすけ、あれはな、ストーカーだ。」
「……は? “ストーカー”?」
 今度は私が理解出来ない番だった。
「え、だってストーカーって可愛い子とかを執拗につけたりするんじゃないの?」
「理由は人それぞれだ。他人の考えなど如何なる時でも自分の常識の範疇に在りはしない。」
 テレビで見るストーカー被害にまさか自分が遭うとは思わず、ジャックにそう言われても未だ信じられなかった。けれどそう言われてあの視線の気持ち悪さを思い出してしまい、途端に膝から力が抜けた。
「おい!」
 ジャックの咄嗟の判断で両脇に手を入れ支えられ、お尻を痛めずに済んだが、どうしても足に力が入らなかった。
「あ、あれ……? え、えっと……。」
「世話が焼けるな。」
 もう何度目かの溜息を付きながらジャックは私に背を向けてしゃがんだ。
「ほら。」
「……は?」
 予想外すぎて、というかあのジャックが、という感想が頭の中を埋め尽くし対応に困った。
「は? じゃないだろう。乗れ。」
 いや、あのクイッて顎を動かして指示されても、
「どうせ腰が抜けたんだろう?」
「で、でも、」
「早くしろ。」
「ハイ。」
 最後、凄まれてぎこちなくジャックの背中にしがみ付くとグッと身体が持ち上がった。私の身長より幾分も高くなった目線に「ひえっ!」と首にしがみ付く。
「全く、お前はいつまでも世話が焼ける妹だな。今日だけだからな。」
「い、妹じゃないし! 同い年でしょ!」
「今のお前に説得力は無いな。」
「というか! 今更なんだけど人目が、人目が痛いです、あの!」
 ただでさえガタイが良いジャックに担がれる二十歳手前の私。恥ずかしすぎる。そりゃ人目も引くわ!
「大人しくしろ!」
「はっず……。」
 ご近所さんに見られたらただのからかわれるネタにしかならない……。ジャックの背に顔をうずめると思っていた以上に広い背中に少しだけ驚いた。……温かいな、とも思った。さっきまで心まで冷えていたから余計にそう感じるのかもしれない。
「──怖かっただろう。」
 そう言われてぎゅっと服を掴むと、それを返事だと受け取ったジャックは「そうか。」と言ってゆっくり帰路を歩き出しながら私を背負い直した。
「……正直、すごく怖かった。」
 絞り出されたようにか細い声は我ながらあまりに弱々しくて情けなかった。
「……次はちゃんと呼べ。……家族だろう。」
 そう言われてそれが血が繋がっているだけの話ではなく、もっと深い部分の事を指しているのを察して、この大きな背中に縋った。
「……うん。……ごめん、ごめんね。」
「──、今度のは何に対しての謝罪だ。」
「……心配掛けて。」
「あぁ、全くだ。」
 大袈裟に溜息なんか付かなくたっていいのに。そう思ってもやはり口には出来なくて。
「……あと、ありがと。……助けてくれて。」
「あぁ、お前の兄だからな。」
 少し嬉しそうに彼はフッと笑った。
 あの男の人が後ろに立ったとき、真っ先に浮かんだのは遊星でもクロウでも無く、ジャックだった。幼少期から私を守ってくれた、お兄ちゃん。
「……今だけね。」
「素直じゃないな。」
「うっさい。」
 認めてるんだ、本当は。やっぱり同い年だとしても彼は昔から変わらない“かっこいいお兄ちゃん”だった。でももう今更恥ずかしくて呼べるわけ無い。反抗期の次は思春期が来ると言うし。
「あー、明日槍振ってくるからお散歩行けないな。」
「なんだと。」
「あれ、柄にも無いことしてるって自覚してるの?」
「チビすけ!!」
「ギャア止めて! 降ろすならソファの上が良い!!」
「チビすけ背負ったまま階段、ぐっ! 首を絞めるな!」
「落ちる落ちる!!」
「落としてんだ!」
「止めろデカブツ!! 筋肉落ちて私背負ったまま階段上れないからって落とさないで!!」
「大声で喚くな! 馬鹿にしているのか貴様! 登れるに決まっているだろう!」
「じゃあやってみせて?」
「フンッ、良いだろう。このジャック・アトラスに二言は無い。」
 抱え直してゆっくりだった歩はガツガツとした勢いある歩き方に変わり、合わせて上も大きく揺れたが別に構わなかった。お互い今のこの距離で落ち着いている。今しばらくはそれに甘えたい。
 チョロ……、と小さく呟けば「なんか言ったか?」と返ってきてしまい、なんでもないと笑って誤魔化した。

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