2021
蝋の翼では太陽と歩めない
 漠然と、別れたい、と思うのは何もこれが初めてじゃない。それは決して彼が嫌いになったなんて理由じゃなくて、ただ、私が私の存在を許せなくなるのだ。

 辛い時や悲しい時、何かを乗り越えなければいけない時に私を支えてくれたのはいつだって音楽だけだった。物心がついた時からひとりでいた私は、布団の中で膝を抱えて夢に落ちるのをただ待っていた。誰かに救難信号を出すことも出来ず、ただ夜が明けるまで待つだけだった私を支えたのは音楽だったのだ。物置から少し大きな機械を見つけて、自分の小さな城に置いた。するとどうだろう、そこから見知らぬ誰かが私に『大丈夫』と謳ったのだ。私が今まで押し殺してきた言葉に聞こえていると返したのだ。もちろんこれはただの再生機であって、実際には私の声無き言葉は誰にも届いていないのは分かっている。それでも酷く、その優しげな声が私の中に染み渡っていくのを感じた。
 私にとっての音楽とは、ひとりぼっちの部屋を照らしてくれる月のような存在だった。
 そんな存在を創りあげる大原くんの曲を聞く時、どうしようもなく愛しさが溢れ出る。すき、だいすき。歌がすき。メロディがすき。彼が音と共に紡ぐその声が、なによりもだいすき。もっと聴きたい。聴いていたい。
 そうして薬がきれて弾けた夢のようなこの飢えを自覚する度に、ばしゃん、と水をぶつけられるように思い出す。
 彼が決して汚してはならない神さま(ひと)であることを。
 今、私は正常な判断が出来ていないのを分かっている。それでもなお、私は彼に対して崇拝してしまう事を止めることが出来ない。ただ無感情に沈んでいくだけだった私を掬いあげてくれた彼の歌を、まるで神さまからの救いの手のように思って縋った。私にとっての彼の歌とは間違いなくその様だったのだ。
 そして、彼が目の前に現れたあの日、私は彼のその脆さを知った。
 神さまなんかじゃなかった! 人間だったのだ! 年相応で思春期真っ只中のような言葉使い、勉強が苦手で、運動は可もなく不可もなく。けれど、明るくてよく笑う、ムードメーカーのようなひとだった! ……ただ、人一倍歌が上手な、ふつうの男の子だった。

 人間だった。

 失笑する。そりゃそうだ。私は何を思っていたのだろう。分かっていた事だろう、そんなことは。何を今更。何を、いまさら。
『音楽にはもう、懲りちゃったんだよね。』
 かみさまが私にそう宣告した。
 黙ろう、と反射的に思った。彼を神聖視してしまっていることも、彼の歌に依存していることも、あなたの歌を大好きだということも。全部彼にとって重りになることは分かっている。しかもその時はほぼ初対面と来た。初めて出会った奴にこんな感情向けられたら困惑しかないだろう。彼は神さまなんかじゃない。私の好きが彼にプレッシャーを与えかねない。彼にこれ以上私を救ってくれた歌を嫌になって欲しくない。彼は神さまなんかじゃないんだから。──そんなの分かってんだよ! 分かってるから、……私はひととしての彼を好きになってしまったんだよ。
 なんだ、どうすればいい? 出会って一年半、私は様々な私を押し殺してきた。それは私が彼の何が好きなのか分からなかったから。彼を歌と彼自身を切り離した時、ちゃんと彼自身を見ているのか自信が無かったから。混濁としたこの感情を纏めて殺してきたのに、ある日、とん、と許されてしまった。
 彼が再び音楽を始めた日だ。
 初めて聴いた、電子音混じりではない本物の歌声。三年振りに聴いた彼の歌。

 ──ひとりぼっちの夜は終わるよ

 どうすればいい? そんな楽しそうに、優しい顔で、キラキラと歌って。私は彼に好きだと言って、許されるのか? 歌が好きって、言っていいの? 涙と共に好きだと零した。一年半、塞き止めていた感情がばかみたいに溢れ出して、子供のように泣きじゃくった。すき、だいすき。だいすきで、この感情を抱くことをゆるしてくれ。
『俺はあの時、#苗字#が俺の歌が好きだって言われて救われたように嬉しかった。』
 やめてくれ。
『俺自身のことも、好きになって欲しいって、そう思ったんだ。』
 やめてよ。
『好きだよ、#苗字#』
 やめてってば!
 なんで、どうして。違う、みないで、私を、わたしの感情を。
 こえが好き。うたが好き。ひとのあなたが好き。そんな神さまが私を見てくれるな。甘く、悪魔のように囁くな。これ以上、ひとりで立てなくしないで。
 だいじょうぶ。だいじょうぶ、だいじょうぶ、と、何度私が自分に言い聞かせて。ひとりの夜をやり過ごして。理由も無くあなたに会いたくて、その度に声を押し殺して。
 だってあなたは歩み始めた。
 神さまへの不毛な想いだと結論付けたこの恋は、本当に偶像への想いになってしまったんだ。すきで、だいすきで、本当に叶わなくなってしまった恋のはずだったんだ。やめてくれ。この感情を抱くことにゆるさないで。あなたが好きって、言わせないで。
 怖い。怖くて仕方がない。あなたが小さな私に好きだと言う度に、気が可笑しくなりそうだった。あなたの好きを実感してしまう度に泣きそうになった。

 世間はいつだって簡単に人に対して後ろ指をさす。大原くんの隣に居るだけで、私に対してでは無く、大原くんに対して誰かが何かを言う。ネガティブなことを彼に言う。彼にあたる。何故私じゃない? 何故それを代わりに受け止められない? なんで、大原くんを傷付けるの?
 その危険因子が、私だ。なんということだろう、私の存在が彼に悪意が向く、その可能性を常に作り出しているのだ。この私が!! 彼にはもうただ純粋に音楽を楽しんで欲しいと誰よりも願っているこの私が!! 常にその最悪の可能性を維持している!
 ──最低だな、私
 いつかの私が彼を汚すなと責め立てる。
 すきで、だいすきで、堪らなくこわい。ごめん、ごめんね。

「軽蔑して、見下してくれて構わないから、別れてほしい。」

 別れたい、と思うのは何もこれが初めてじゃない。それは決して彼が嫌いになったなんて理由じゃなくて、ただ、私の心が弱いせいだ。
 あなたと、あなたの歌がなにより好きだから、耐えられなくなるのだ。
 弱い私をどうかゆるしてくれ、私のかみさま。

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