恋バナ
 思春期に入ると気になる話題というのは大体固定されていて、それはお泊り会や修学旅行などに限らず、日常的に話題にも上がりやすい。花盛りの女子中学生は誰がイケメンだとか、どんな人が理想的なのか、そういう話で一夜を明かせるものだ。
 もちろんそれは京子達にも当てはまり、頬を桜のように染めながら話題を切り出す。
「ね、結衣ちゃんは好きな人はいるの?」
「……それは人間的な意味か?」
「むしろ人間的な意味、ってどういう事よ。恋愛的な意味に決まってるでしょ。」
 昼休み、ご飯を食べ終わった京子達は暇を弄び、早速その話題を出した。
「一般的に恋と呼べるものを自覚したことがない。」
「相変わらず堅物ねぇ、あんた。」
「そういう花はあるのか。」
「無い無い。だって同年代の男子なんか全員猿にしか見えないもん。」
「人間のルーツはみんな猿だぞ。」
「そうじゃなくて!」
 ボケ倒す気か、と花が大きくため息をついて呆れた。そんな花の様子を見ながら、結衣は脳内で恋愛≠フ意味を思い出す。
 まず『恋愛』とは。
 男女が互いに相手を恋い慕う事。またはその感情。『恋い従う』とは、恋しく思って追い従おうとする。恋慕すること。
 また別の辞書には特定の異性に特別な愛情を抱き、高揚した気分で、二人だけで一緒に居たい、精神的な一体感を分かち合いたい、等と思うこと。
 他に古代ギリシア語だと特定の相手を求める気持ちについては他の様々な愛と『エロス』とで明確に呼び分け──
「……い、結衣。現実に帰ってきて。視線が彼方に飛びすぎよ。」
 いつの間にか随分と思考が飛んでいたらしく、花は本日何度目かのため息を交えて彼女の名前を呼んだ。
「あーあ、そんな顔をするうちは結衣に恋愛は無縁ね。」
「えー、そんな事ないよ。恋は理屈じゃないって言うじゃん。」
「じゃあ、私が結衣の今考えていた事あてよっか? 脳内で辞書かなんか出して意味から調べてたでしょ。」
「よく分かったな。」
「マジでやってたの。」
 花が頬杖をつく手からずり落ちた。
 しかし本当に思い当たる節がないのだから返答に困る。生まれてこの方、恋愛どころか『愛』すらよく理解せずに生きてきた。人を愛するという意味は分かるが、それは文章上での話。
 分からないわけではないのに、答えを得ていないこの感覚は苦手だ。
「結衣ちゃんに気になる人が出来たら相談してね。花と私がついてるから。」
 そう言って微笑んだ京子の顔が何故か脳裏に残った。

「──という話があった。」
「だから何?」
 放課後、毎度何かと理由を付けて応接室に呼び出される事に慣れ始めた結衣は、風紀委員長の業務を僅かに手伝っていた。追跡させたところですぐに行方を眩ませる結衣に対して、下手に監視役を付けるよりも自分の監視下に置いたほうがまだ警戒が出来ると判断したのだろう。
「恭弥には居ないのか、恋愛的に見て好きな人が。」
「……僕にその質問をしようとするのは君だけだろうね。」
「どこも変な質問ではないだろう。」
「さぁ。興味無いね。」
 淡々と切り捨て、そこで会話は終了した。彼が見終わった書類を種類ごとに分けるだけだが、稀に中学生が見ていい書類なのかもわからないものが出てくるので目を通すだけでも十分身になる。
 それらを一通り見終わると、ふぁ、と軽く恭弥から欠伸が出た。
「お疲れさま。」
 隣の給油室から勝手に急須を借りて淹れた緑茶を出す。それを恭弥は黙って受け取ると香りを嗅いでから飲んだ。その様子を見ながらまるで秘書のようだな、と思う。成り行きで勝手にやり続けているが、いまだ文句が出ないのは気に入ってくれているからだろうか。
「……君には居ないの。」
 主語が掴めずに首を傾げた。
「さっき、自分から出した話題の事だよ。」
「恋愛的に好きな人がいるかどうか、か。」
「そう。」
「興味が無いんじゃなかったのか。」
「僕はね。」
 ならそう聞く君には居るのかと、彼は聞く。
「僕には恋愛的に好きだと思う相手は居ないと思っている。文学におけるような自覚症状は無い。」
「……へぇ。」
「故に僕にその話は無縁だろう、と言われた。」
 空になった茶碗に緑茶を注ぎながらそう答えると、恭弥は机に肘をついて僕を見上げた。軽く三等分に分けた長い前髪の隙間から覗く紫に近い藍色の瞳は真っ直ぐに結衣を見据える。
 そんなに見られるようなものを顔に付けた覚えはないが。
「確かに、少し面白そうとは思うよ。」
「……何がだ。」
「言ったところで君が理解出来る日が来ると思えないけど。」
「……どういう事だ。」
「なに、やる気になった?」
 眉を少し潜めた瞬間にこれだ。相変わらずどこに仕舞っているか分からないトンファーを構え、結衣は顔を背けた。
「やらない。」
「そういう所が面白くないよ。」
「お前の為に生きている訳ではないからな。」
 へぇ、と零した恭弥はひっそりと口角を上げた。本能的に逃走を図らせる彼の笑いに、無意識と眉間に皺が寄る。
「良いこと聞いたな。」
 この玩具を得た犬……いや、狼のような猟犬はまったく末恐ろしいものだった。

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