高校二年生
偽りのハイヒール
朝から叩きつけるような強い雨に長靴の中で落ち着かずに指を動かす。子守唄のような授業を聞き流しながら明日の宿題にシャーペンを走らせていた。古典の教科書で隠しつつ、既に記載した問題に方程式を当てはめていく。苦手な部分でもなくこの時間中に終わるだろうと思っていたのにピタリと止まってしまい、クルッとシャーペンを回したその時、左側にある窓から強い光が入り込んだ。瞬間、雷鳴が響き渡り思わず声が漏れた。パッと口を抑えて辺りを見渡すも自分以外も声をあげた奴が複数人居て、それ以外のクラスメイトも窓の外を見て続々と危機感を口にした。あまりに情けなかった声が埋もれた事に安堵し、冷や汗を隠しながら自分もそれに同調した。
最後であるその授業が終わるまで、雷が落ちたのはその一回だけだった。それでもなお雨は強まる一方で、早く帰りたいと手早に身支度をしていると先生に雑務を押し付けられた。思いっきり顔を顰めてしまったが、先生は頼んだの一言だけを残して悠長に去っていく。唖然としてしまったが、その背中に舌を出して無言の嫌味言う。頼み逃げされてはどうしようもないじゃないか。
帰宅部や放課後はオフの生徒と一緒に寮に帰りたかったというのに、これでは一人になってしまう。一人で帰りたくないけど、だからって部活動が終わるまでここに居続けるのはもっと嫌だ。クラスメイトはどんどん教室を出ていき、残される不安から嫌な想像ばかりしてしまうのをどうにか振り払う。ノートの山に置かれている紙に提出状況のチェックをしていくと、ふと「手伝うよ。」と次に手に取ろうとしたノートを持っていかれた。そのまま誘導されるように見上げると、そこに居たのはクラスメイトの輝崎だった。いつも伏せがちなその目を細めて人良さそうに微笑んだ。コイツ、本当に綺麗な目をしているよなと思わず見つめ返すと、ビックリしたように慌てて目線を外された。あ、と僕も瞬きして首を振る。
「構わないさ、一人で出来る量だ。それよりアンタ、ユニットの活動はどうした?」
「今日はユニットメンバーの大半が部活動あるから休みなんだ。ちなみに野球部は雨だから筋トレの日。各々でやるから遅れても平気なんだ。」
「ならこんな所で油売ってないで筋トレしに行った方が良い。」
「二人でやった方が早く終わるよ。」
「輝崎──」
 なんだこの強引さ、と顔を顰めた矢先、再び強い光が教室に差し込んだ。身構えてから恐る恐る外を見ると遅れて雷鳴が轟き、肩を竦めてその音に耐えると正面から「ね?」と輝崎が首を傾げた。
「やっぱり苦手だったんだ、雷。」
 図星をつかれ目線を逸らす。
「授業中に雷が落ちた時に何人か驚いて声を上げてたけど、あの中に午宇の声も聞こえて。」
「……だったらなんだ。」
「あれから落ち着かなさそうにしていたからもしかして、と思っただけだよ。」
「……。」
「午宇にも苦手なもの、あるんだね。」
 人より苦手なものが多いと自覚しているのに、周りはいつもまるで無敵かのように扱ってくる。けれど輝崎は僕の苦手なものを知った上で、何故か嬉しそうに微笑んだ。
「一年の時は背筋が伸びていて凛とした背中しか知らなかったけど、なんだか今年は色んな姿が見れて嬉しいな。」
 聞き流そうとしていたのに、予想だにしなかった言葉に書いた文字が崩れた。
「午宇って千紘とはまた違うタイプの遠い存在のように感じていたから、なんか……、勝手に親近感が湧いた。」
「……そうか。……?」
 まるで言いたいことの意図が掴めず適当な返事しか出来ない。それよりも早く終わらせたくてノートを取ろうとすると、角張った長い指が名簿に書かれた名前をトントンと叩いて「次、俺ね。」と示した。面白くなくて睨みつけるような目線をやってから、渋々とチェック付けると彼は控えめに笑う。
「大丈夫、今は俺が傍にいるから。」
 そう言ってふわりと僕の頭を撫でる。優しく温かいその手はまるで泣く子を宥めるようだ。突然の行動に驚き、一瞬固まったものの、安心感を与えるそれが照れくさくて頭を振るって払い除けた。乱れた髪を手ぐしで直しながら「……構わなくていい。」と言ってみせると、彼は寂しそうに眉を下げた。
「少しは不安が無くなるかなと思ったんだけど……。」
 なんでそんな小動物のようにしょんぼりした顔をする。甘やかそうとする彼にお人好し、と零せば「午宇にだけだよ。」とまた訳の分からない事を言った。
「次は……っと、あとは午宇の分だけだね。」
 最後の一冊を持ち上げたままトントン、と僕の名前を指さした。彼の指が自分の名前を指しているだけなのに妙に胸がざわつく。それは彼の指が離れると次第に落ち着いた。
「この後、職員室に持っていくんだよね。」
「……あぁ。」
「半分は俺が持つよ。」
「筋トレはどうするんだ?」
「筋トレ。」
 言葉に反して半分以上のノートを持ち上げた彼はこれがそうだと示した。
「野球って腕の筋肉要るからね。」
「……はぁ。もう好きにしてくれ。」
「あはは、うん、そうさせてもらうね。」
 残りのノートを持ち上げると不意打ちに雷鳴が耳を襲った。すっかり気が抜けていたのもあり声と共にバサバサとノートを落としてしまった。え、と振り返った輝崎に苦笑いしたものの続く雷鳴に咄嗟に教卓の下に隠れうずくまる。
「……すまない、先に行ってくれ。後で残りを持っていく。」
「午宇、」
「ボクは平気だ。少し寝不足が祟ったようだから、」
「大丈夫なんかじゃないでしょ。」
「ッ!」
 再び落ちる雷に息を呑む。もうこれ以上は震えて泣き言しか出なくなりそうだ。なんでまた雷が鳴るんだ。遠ざかっただろう、と心が叫ぶ。頭を抱え、耳を抑え、そうして蹲ってれば雷は去るのだ。早く、早く。
 僕の傍らで輝崎は手にしていたノートを置き、僕がばらまいたノートを拾い集めて他所にやってから僕に向き合った。
「そんな所に居たら余計怖いよ。反響するだろうから。」
「……。」
「……、おいで。」
 手で塞いでも届いたそれは酷く優しい声だった。恐る恐る顔を上げれば、輝崎は膝をついて両手を差し出していた。
「二人なら怖くない。」
「──……!」
 バリッ!
 と空を割く轟音と光と共にその腕の中に飛び込んだ。優しく受け止められ、僕の背中をさすっる。身長差はそんなに無いというのに僕よりずっと大きいその背に必死にしがみついた。矜恃などかなぐり捨ててぎゅうぎゅうと抱き締めれば、彼はそっと優しく抱き返してくれた。
「……大丈夫、今度は俺が居るよ。遠のくまで隣に居るからね。」
 人の腕に抱かれるのは何年ぶりだろう。ただ体温を感じるだけで何故こんなにも安心するのだろう。先程より少し遠くに聞こえる雷鳴にもう一度身が震えたが、人の温度がそこにあるせいか、震えはしたが先程より怖くはなかった。


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 another story:輝崎蛍
 朝からたしかに酷い雨だったけど、まさか雷まで落ちるとは思わなかった。六時間目、最後の授業中に雷が落ちてクラスを騒がせる。流石にいきなりの事には数人が声を上げた中で、一人の声がすんなりと耳に入ってきた。え、とその声の主に目をやれば、普段通りで特に変わった様子は無い。なんで気になったんだろう……と首を傾げた時、その子はふと目を閉じてクラスからは見えないように手の甲で顔を隠した。そっと、顔以外にも何かを隠したように見えて少し気になる。
 教卓の中で縮こまるその子……午宇を見て少し分かった気がした。一人っ子だという彼女は昔からこうして一人で耐えてきたのだろう。自分は中学校は離れていたとしても、ずっと隣に千紘が居た。居たからこそ煩わしく思う事もあったが、彼女にはそれすら無かったのだろう。それがどれだけ静かなのか……自分には想像出来ないけど、一年の時に見たあの背中はただ遠い存在ではなかった事だけは分かる。少し先へ走りすぎただけの、同級生の女の子なのだ。
「──……おいで。」
 手を差し伸べるとゆっくりと顔が持ち上がる。鼻を赤くして、目尻に今にも零れそうな涙が浮かんでいる。
「二人なら怖くない。」
 彼女の目が揺らいだのと殆ど同時に雷鳴が轟き、飛び込んできた午宇のその勢いに驚きつつも受け止める。震える背を撫でながら、今までこんなに怖がっていたのに一人で耐えてきたのかと寂しくなる。
「……大丈夫、今度は俺が居るよ。」
 だからもう一人で抱え込まなくていいんだ。
 無情にも落ちる雷に震える肩を抱き、けれど先程よりいくらか落ち着けている様子の午宇の背中を、もう一度安心させるように撫でた。

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