▼ あの日の忘れ物 ∵
なかなかのもんじゃないか。木製のボロ小屋は、一応二階建てになっていた。
一階は車庫か物置のようだ。壁はなく、太い何本かの木の柱が立っているだけ。
広さはあるが、ある程度縛られた藁束が、天井までびっしりと積み重ねてある。
軋む階段を上っていくと、二階は住めるような場所だった。
殺風景だし、ところどころ木製の壁がはがれているが、寒い季節じゃないし、隙間風ぐらい、どうってことないだろう。
隅のほうに藁が積んであるし、親切にも大きめのボロ布まである。
小太郎はバタバタと足音を立ててはしゃぎながら家の中に入り、ボロ布に頬を擦り寄らせた。
頬が汚れるのも気にせず、嬉しそうにそれに絡まる小太郎を見ていると、不思議とこの俺も優しい気持ちになってくるものだ。
赤ん坊を寝かすように、小太郎の腹の上でぽんぽんと優しく手を動かしていると、小太郎はすぐに寝入った。
殺風景な広い部屋、剥がれた壁の隙間から、優しいオレンジ色の光が差し込む。
舞い上がる埃が、光に照らされて霧のように見える。ベールに包まれた、セピア色の昔の映画を見ているような感じだ。
心地良い。いっそ、このまま死後の時間をここで過ごしていたいな。
この、優しく暖かい光に包まれたまま……。
――瞬く間に変わっていく世界、迫る時間に縛られた生活、うわべだけの人間関係。
あれほど汚いと思った社会、喧しいだけにしか思えない親、うざったいだけの友達。何もかもが、ここにはない。
ただあるのは、薄汚れたボロ布とボロ小屋。あと子犬みたいな小太郎。
あれほどまでに手放すまいとした、金やケータイなんて、どこにもない。
それでも、この世界がとても居心地がよくて、俺はいつの間にか深い眠りに包まれていた。
夢を見た。
時々、わかることがあるだろう。ああ、これは現実じゃない、夢なんだ、って。
ただ一つ違うことは、俺は死人で、今見ている夢は、おそらく俺がかつて生きていた頃のこと。
あれだけ必死になって入った名門私立高校は中退。親父のリストラがきっかけで、毎日喧嘩を繰り返し、離婚した両親。残ったものは2DKの狭いアパートと、母親だけの家族。
会話もなく、そそくさと仕事に出る母。早朝から黄色い声をあげ、学校へ行く友達。
残された俺。
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