▼ 背中と背中 ∵
それから、昼が過ぎても、夕方になっても、オレンジ色の夕日が沈んでも、辺りが暗くなっても、天詩は黙々と書き続けた。
母親の夕飯を伝える声が聞こえるが、天詩は一向に立ち上がろうとはしない。
行かなくていいのか? と話しかけようかとも思ったが、あの天詩があまりにも真剣な表情で書き続けているから、邪魔をする気はすぐに失せた。
消しゴムも使わずに、ただ一心不乱に書いている。
顔を上げるのは、時々隣に置いてあるメモを見たり、ふと窓から覗く星空を見上げる程度だ。
天詩のペンの音と、妙に大きく聞える時計の秒針の音、あとは時々通る車の音が耳に入ってくるだけ。
俺は天詩の後ろに立ち、ノートを覗き込んでみた。
明らかに走り書きで、本人にしか読めないような文字ばかり。
しかしよく見ると、ペンを握っている手の中指が、赤く腫れている。相当力を込めて書いているんだろう。
ふと顔を上げると、何冊ものノートが本棚に並んでいた。
全部、小説だろうな……。これだけの量を書くということは、趣味程度などではなく、本気なんだろう。
夢があるのか……。なんだか、可哀想な気もした。
だって、こいつは死ぬ。
俺はその後も黙ったまま、しばらく天詩のノートを覗き込んでいた。
書き進む小説の最初は、さっきの俺達そのものだ。
平凡な少年が、ある日突然カウボーイの格好をした死神に出会う。
死神は自分の言った通りに旅をしないと、魂をひっこ抜くと脅してきたそうだ。
俺、悪役かよ。
主な登場人物は、死神と少年。たったそれだけだ。ただ、名前がない。
「少年」と「死神」の状態で、物語は進んでいく。
会話はほとんどないから、これで十分なのかもな。
文章そのものは、これだけ書いているだけあって、なかなか。
今すぐプロになれる、とまではいかないが、表現が個性的で、面白い。
ありきたりかと思えば、時々展開が突飛なところも面白い。
俺がいろいろな想像を膨らませている間にも、話はどんどん意外な方向へ進んでいく。
悪魔に出会い、天使に出会い、モンスターっぽいものにも出会う。奇妙な電車も出てくる。
俺の教えたことが、物語に入っている。
正直言って、見ていてとても面白い。
たった二人だけの、少年と死神だけの旅仲間。
旅が進むにつれ、死神と少年は徐々にお互いがわかり合ってきた。
死神は、ただ本当の友達が欲しかっただけなんだそうだ。
なんだよ、恥ずかしいこと書くな。
その時、
“そして死神は生まれ変わる。”
たった今、天詩の書いた一行に、俺は思わず目を止めた。
そうか、俺、この物語の中では生まれ変われるのか……。
少年を助け、本当の友情を見つけた死神は、神に認められ、そして――
俺は真剣にペンを滑らせる天詩の横顔をちらっと見て、またノートに目を戻した。
……いいや。
礼は後で言うことにする。
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