077
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 まるで雪崩が起きたようだった。ワッと声があがったかと思うと、倒れて積み重なっていた人々が、次々にマルシェさんに押し寄せた。
「マルシェ、マルシェだろ! 本当に帰ってきやがった!」
 ワァワァと大声でマルシェさんに声をかけ、時々口笛や狂喜じみた叫び声まで聞こえる。
 大勢でマルシェさんを持ち上げて、しまいには胴上げまではじめそうになった頃、ようやくマルシェさんの声が聞こえた。
「待て、待て! わかったよ、歓迎どうも!」
 マルシェさんは手を上げ、喜びではじけそうな皆を制止した。
 皆はぴたりと騒ぎを止め、帰ってきた仲間を見つめて、顔に笑みを浮かべる。
 そんなニヤニヤ笑いに囲まれ、マルシェさんは少しばつが悪そうにそっぽを向いた。
「俺は怪我人なんだよ、あんまり騒ぐな」
 マルシェさんが軽く胸を押さえてそう言うと、近くに居た一番大柄な男性が一歩前に進み出た。
 マルシェさんよりはるかに背が高く、肩幅なんか顔二つ分。筋肉でがっしりとしている。
「怪我だって? どこを?」
 男性はじろじろとマルシェさんを見回し、心配そうに唸った。地鳴りのような声だ。
 マルシェさんは肩をすくめ、何てことないという様子で答えた。
「心臓をひとつ抜き取ったんだ」
「誰がそんなこと!」
 間髪いれずに、髪の毛をもみくちゃにされていたご婦人が叫んだ。
 マルシェさんは黙ったまま、ただすっと手を持ち上げる。
 「あいつ」と指された先は、ポツンと一人たたずむ、ぼく。
「子供じゃないか。誰なんだ? あの子」
「名前はアラン、それだけだ」
 マルシェさんはそれだけ言って、またぼくに背を向けた。
 ぼくは、近寄っていくべきか、行かぬべきか迷ったけれど、やっぱりまだ、自分から人間の中に飛び込んでいく勇気はなかった。
 ヴォルトは相変わらずぼくの頭の中で唸ってばかりいるし、こんなに周りに人が居るのに、ぼくはなんだか独りぼっちの気分だった。
 そんなぼくを知ってか知らずか、マルシェさんは相変わらず右胸を押さえたまま、がたいのいい男性と話している。
「おい、ドルじぃ呼べ。まだ生きてんだろ、あのジジイ」
「ああ、まだ隕石が落ちても一人で生き残るって豪語してるよ。ありゃ、百歳過ぎても死なねぇな」
 明るい笑い声があがる。ぼくはその様子を眺めながら、少しうつむいた。
 あんなにも、早くマルシェさんの仲間に会いたいと思っていたのに……確かに、皆人が良さそうだし、今まで殴り合いの喧嘩をしていた男の子たちも、今では輪の中に入って笑いあっている。
 だけれど、正直な所、ぼくは人間が怖い。こんなにも間近で、人間をたくさん見たのは、“お仕事”の時以外、初めてだ。
 もしも、あの中に、家族や恋人を、ぼくに消された人が居たとしたら……――そう思っただけで、時々ちらりと向けられる視線が、とても鋭く感じる。
「そうだ」
 マルシェさんの声にぼくが顔を上げると、マルシェさんが振り向いた。
 そして、ぼくのほうに向かってきたと思ったら、突然ぼくの首に腕をかけ、引きずるようにして皆から遠ざける。
 ぼくは首を絞めているマルシェさんの腕を叩き、群がりから離れると、ようやく離してもらえた。
「アラン、あれを出せ、茶色い小僧のデータを」
 マルシェさんは手を差し出し、小声でそう言ってきた。
 ぼくの中でヴォルトが振り向き、怪訝そうに眉を寄せる。
「どこに持って行くんですか?」
 ぼくは締められていた首をさすり、同じく声をひそめて問いかける。
「俺に任せろ」
 マルシェさんはビシッと一言そう言って、ただ手を差し出した。
 やれやれ……言い出したら、どんなに嫌だと言っても無駄だろう。
 ぼくは頷き、後ろを振り向いた。
「パスワードを押してください」
 ぼくは首の後ろを撫で、パネルの蓋を開くが、マルシェさんは押そうとしない。
 ぼくが振り向いたら、マルシェさんはなんだか人だかりのほうを気にしているようだった。
「どうしたんです?」
「いや、首はここか」
 マルシェさんがぼくの頭を触り、首に埋め込まれたパネルを探り当てる。
 マルシェさんは間違えることもなく、すばやくパスワードを打ち込んだ。
 ぼくの目の前が、赤くなる。
 ぼくの中で、ヴォルトが立ち上がった。
 相変わらずポケットに手を突っ込んだままこっちへ歩いてきて、出口へ向かう。
「じゃあな」
 ヴォルトがぼくに向かって手を振った。
 その当たり前の言葉に、ぼくは少し不安を覚えた。ヴォルトが公司館から落下した時にも、同じことを言っていたから。
 ヴォルトがぼくから抜け、そしてマルシェさんがパチンと強くぼくの蓋を閉じた。
「乱暴にしないでください!」と言おうとしたら、マルシェさんに睨みつけられた。
 そして、思わず一時停止するぼくの目の前に、人差し指を突きつける。
「お前は、ここでは人間だ。いいな、絶対に正体を明かすなよ」
 マルシェさんはそう言うと、ヴォルトのデータを確かに受け取ったとぼくに見せ、仲間のほうへ戻っていった。
 軽くなった体……その中に、マルシェさんの言葉が入ってくる。
 ぼくはため息をつき、胸を手で押さえた。動かない心臓。しかし、口元はいつの間にか微笑んでしまっていた。
 ぼく、ここでは人間か……――
「じゃあ、あいつを頼む。俺はジジイのところに行って来る」
 マルシェさんがニヤついたぼくを指し、簡単にそう言うと、皆を避け、通りの向こうへ歩いていった。
 ふらふらとした足取りに、何人かが駆け寄って手を貸そうとしたが、マルシェさんはぼくの時のように「いい」と振り払っていた。
 そんなマルシェさんの後を、心配そうにこっそりついていく人も居れば、騒ぎが収まったので、家の中へ帰る人も居る。その中で、あの大柄な男性が、ぼくのほうへ歩み寄ってきた。
「アランか、そうか」
 太く、低い、お父様を思い起こさせる声だ。
 ぼくは思わず身を震わせ、一歩後ずさりをする。
 GXの中では一番背の高いぼくだけれど、この人と並んだら、まるでぼくとヴォルトぐらい差がある。
 男性はぼくの手前で足を止め、じっとぼくを見下ろした。
 口ひげが生えていて、瞳や髪はマルシェさんと同じく黒い。もじゃもじゃの髪の毛の下で、黒い瞳が光った。
 そして、ゆっくりと上げられた筋肉隆々の腕に、ぼくは思わず震え、ぎゅっと目をつむった。
「そう怯える事もないだろう」
 唸るような低い声とは裏腹に、ぼくの頭を掴むように撫でる手に、ぼくはそっと目を開けた。
 その先に、ぼくより少し背の低い、あのご婦人が見えた。ぐしゃぐしゃに乱れた髪を手櫛で整え、輝くような笑顔をぼくに向ける。
「ブリッジスは慣れるまでが怖いのよ。ねえ、アラン君」
 にっこりと笑って、手を差し出された。ぼくは慌てて同じく手を出し、握手をする。
「私はダーラ。さっき騒ぎを起こしていた悪戯っ子たちのお母さんよ。ごめんなさいね、来た早々騒々しいところを見せてしまって」
 ダーラさんはそう言って、腰元にくっついていた二人に軽くげんこつをした。
「こっちはエリック、こっちはラルフよ。双子の兄弟なんだけれど、どうも仲が良くなくってね」
 紹介によると、茶色の髪を後ろで一本に結んでいる子がエリック、同じ茶色の髪だけれど、大雑把に切り刻んだみたいな短髪をした子が、ラルフだ。ティーマより、二歳ほど年下ぐらいだろう。
 なるほど、外見的特長は、ほとんど一緒だ。双子は初めて見た。
「あ……ぼく、アラン。よろしく」
 ぼくはそう言って微笑み、エリックのほうへ手を差し出した。
 しかし、エリックはむっと顔を顰め、ぼくの手を振り払ってしまった。
「「変な頭!!」」
 ダブルサウンドでそう叫ばれ、ぼくは唖然と停止してしまった。
「エリック! ラルフ!」
 脱兎のごとく飛び出した双子をダーラさんが追いかけていく。その様子をぽかんと見送っていたら、ブリッジスさんに軽く肩を叩かれた。
 ぼくは体を起こし、苦笑いする。
 精一杯の勇気が、水の泡だ。
「気にするな。お前のような変わった髪の色は、珍しくもなんともない」
「はぁ……」
 別に気にしても居ないのに、なんだか慰められている。ぼくはなんとなく頷いておいた。
 向こうのほうで双子がダーラさんに捕まり、強烈なげんこつをくらっている。
 その場に残り、ぼくを遠くから眺めていた人たちが、少しずつぼくらのほうへ寄ってきた。
 ぼくは突然たくさんの人に囲まれ、また無意識に後ずさりする。下がりすぎて、家の壁に背中が当たった。
「いくつだ?」
 その中で、小柄な男性が聞いてきた。
「ええと……じゅう…十七です」
 ぼくは、適当に答える。確かに外見年齢はそのぐらいだけれど。
「能力者だろう? 使える能力は?」
「ええと……いろいろと」
「地下へ来たのはいつだ? 赤ん坊の頃か?」
「ええ……まあ、はい」
「家族は? どこへ住んでいた?」
「え……ええと……」
 次々に違う声で浴びせられる質問に、ぼくは目が回りそうだった。
 マルシェさん、こういう時には、人間はどうやって対応するのか教えてください!
「まあ、いいじゃないか。今は休ませてやろう。なんせ、あのマルシェと一緒に居たんだ」
 ブリッジスさんのその言葉に、何人かがクスクスと笑った。
 ぼくも、思わずふっと顔が緩む。確かに、マルシェさんと一緒に居ると、とても疲れる。
「大丈夫だろう、あのマルシェが連れてきた子だ。即戦力にもなるだろう」
 ブリッジスさんが軽くぼくの背を叩き、そう言った。
 その言葉に、ぼくははっと反射的に体をずらし、慌てて首を横に振る。
「せ、戦力なんて! ぼ、ぼくは……」
「マルシェ!!」
 突然、なんだか覚えのあるタックルをくらい、ぼくはぐえっと声をあげて仰け反った。
「バカ! 帰ってくるの遅いんだよ!!」
 仰け反るぼくの首を押さえて、明るい声の主がよじ登ってくる。
 そして、ぼくの肩に足をかけて無理やり肩車をさせ、ぼくの頭をガシッと掴むと、前かがみになってぼくを覗き込んできた。
 まん丸の、明るいブルーの瞳。
「誰だぁ、これ!」
 男の子だ。



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