067
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 その後、ぼくらは慎重に耳をすませて辺りを見回し、地下三階から一気に一階にまで駆け上がった。
 幸い、まだ公司は一人も見かけていない。
 そういえば、ティーマがまだ廊下を走り回っているってゼルダが言っていたっけ……公司より、ティーマに見つかるほうが厄介だな……何かと。
 ぼくは何度かマルシェさんを担ぎ直し、曲がり角からそろそろと顔を出した。
 相変わらず何の変哲もない廊下――足音も、気配もない。
 ぼくはまだ辺りを警戒しながら、素早く足を進めた。
 逆に、何の音もない公司館も、なんだか不気味だ。今までは忙しそうに走り回る公司たちが、ひっきりなしに廊下を行き交っていたのに。
 何かが変化しているんだ……ぼくが変ったように、きっと周りも変わってきているんだ。
 そう思うと、なんだか胸がワクワクした。
 本当に変えられるかもしれない。この地下世界を、何の犠牲も出さない明るい世界へ。
 二度、次の廊下に誰も居ないことを確認して、また曲がり角から飛び出した。
 もうすぐだ。あの曲がり角を曲がってしまえば、後は一直線。螺旋階段を降りたら、扉は目の前だ。
 ほぼ駆け足で最後の曲がり角に差し掛かった時、ついに恐れていた事態が起きてしまった。
「No,5、どこへ行く?」
 後ろから刺すようにかけられた声に、ぼくははっと振り向き、隠せるはずもないのにマルシェさんを壁と背中の間に押しつけた。
 ぎゅっと潰されて、マルシェさんがちょっと唸る。
「それは誰だ? ゼルダ、こちらへ来なさい」
 眼鏡をした白衣を着た公司が、手招きしながら、こっちへ来る。
 ぼくは目を見開き、そしてぎゅっと瞑った。
 もう――終わりだ。
 頭からかけられた絶望感を浴びながら、その場に突っ立っていると、ヴォルトがぼくの頭の中を拳で殴った。
「イテッ」
 ぼくは思わず小さく声を漏らす。
 ぼくの中で、ヴォルトがフンと鼻を鳴らした。
「何やってんだ、お前はゼルダじゃないだろ? 無視して、突っ走れ!」
 ニヤリとしてヴォルトが言う。その言葉で、ぼくの中にまた勇気が沸きあがった。
 ぼくもニヤリと笑い返すと、公司に背を向けて、一気に駆け出した。
「ゼルダ! No,5!」
 公司の声と足音が追って来る。
 他の公司と何か連絡を取り合っている音がする。まずい。ぼくでも、公司が五人以上集まったら、すごくまずい。
 足音が増えた。後ろからも、そして前や横からも聞こえてくる。
 ぼくはぎゅっと歯を食いしばり、マルシェさんを前に突き出した。
 マルシェさんはぐえっと声をあげ、ふらふらしながらなんとか踏み止まる。
 ぼくは素早く振り向き、追ってくる白衣の公司の顔面めがけ、攻撃を仕掛けてやった。
 突然強烈な水鉄砲を顔面にくらい、白衣の公司がよろめいて倒れた。
 他の公司がそれを飛び越したり受け止めたりしている間に、ぼくはまたマルシェさんの背を押し、駆け出す。
 もう少し、もう少しだ!
「さあ早く、逃げて!」
 ぼくはふらふらしているマルシェさんの背中を押しながら、必死に廊下を走った。
 自分でも驚くほどの足の速さに、マルシェさんはほぼ宙に浮いている。
「おい、痛ぇよ。俺はお前たちと違って、デリケートに出来ているんだからな」
 風を切る音の中、マルシェさんがぶつぶつ文句を言っているのが、かろうじてわかる。
 ぼくは前から来る公司を気絶させたり、絨毯を凍らせて後ろや廊下の合流地点から来る公司たちを足止めしたりしつつ、さらにマルシェさんが壁や柱にぶつからないようにしながら、出口に向かって必死に走った。
 ぼくの頭の中で、ヴォルトが何か騒いでいる。きっと、近道があるとか、もっと慎重にすべきだとか、そういう心配事だろう。
 今は、ヴォルトの相手をしている暇はない。
 ぼくの中は、もうパニック状態だ。
「とにかく、出てしまえばいいんだから!」
 ぼくはマルシェさんと頭の中のヴォルトに、何回もそう言い聞かせた。もちろん、ぼく自身にも。
 ついに大扉が見えてきた。出口だ。あとは、螺旋階段を下りるだけ。
 しかしその時、突然後ろから、ぼくの腰に何かがタックルしてきた。
 ぼくは思わずぐえっと声をあげ、足を止める。
 その拍子に、勢い余ってマルシェさんが正面の柵にぶつかり、ずり落ちた。
 何がぶつかってきたのかは、すぐにわかった。いつものことだ。
「ティーマ!」
「どこに、いくんですか!!」
 ティーマはぼくの脇腹からひょっこりと顔を出し、嬉しそうにぼくを見上げた。
 ぼくはティーマの腕を振り解き、ティーマの目線になるまで屈む。
 ティーマはぴょん、と跳ねて、ぼくの首に抱きついた。
 ぼくはまた、ぐえっと声をあげさせられる。
「ティーマ、行く!!」
「ティ、ティーマ! ちょっと待ってよ」
 ぼくは首を振り、ティーマをぼくから剥がす。
 ティーマはきょとんとして、ぼくを見つめ返した。
 ティーマの無邪気な表情が、徐々に曇っていく。
「どこに、いくの」
 ティーマは寂しそうに言った。
 どうやら、ぼくの様子がいつもと違うことに、気づいたようだ。
 ぼくはため息をつき、ティーマの瞳をしっかりと見て、話し出す。
「ぼく、ここから出て行くんだ。ティーマとは、さよならなんだよ」
 ぼくが出した声は、情けないぼくじゃなかった。
 以前のぼくとはまったく違う、しっかりした声だ。
 ぼくの言葉に、ティーマは顔を顰める。
「なんで、ですか」
 いつも元気なティーマの声が、暗い。ぼくが本気だと伝わったんだろう。
「どうしても」
 ぼくは答えた。
「いや」
 ティーマは首を横に振る。
 赤く長いティーマの髪が、ぼくの頬に当たった。
 ぼくも、首を横に振る。
「だめなんだ。もう決めたんだよ。絶対」
 ぼくのとどめの言葉に、ついにティーマが爆発した。
「いやー!!」
 ティーマが叫んだ。
 まずい!
 下に居る門番の公司たちに、気づかれてしまう!
「いや! いやだぁー!!」
 ティーマの声が、赤い廊下に響く。
 螺旋階段を上ってくる無数の足音が、ぼくを行動に移させた。
 ぼくはティーマの首に手をかけ、強制終了スイッチを押してしまった。
 ティーマは大きく開けた口を閉じ、真っ赤な瞳を黒く染めた後、ぼくに覆いかぶさってきた。
 自分の行動に驚愕している暇はない。ティーマをなるべく優しく廊下に寝かせると、ぐったりしているマルシェさんを抱き起こし、足音が近づいてくる螺旋階段を見た。
「何事だ!」と叫びながら、公司たちが駆け上がってくる。
 どうしよう、マルシェさんやヴォルトのデータを背負ったまま、テレポートするのは難しい。
 重すぎるから、目的の場所には着かないだろう。公司に見つかるようなすぐ近くに現れてしまうのがおちだ。
 ええい、あれこれ考えている暇はない。ただでさえ、ぼくの脳みそは出来損ないなんだから!
 ぼくは、一気に勇気を放出した。
 マルシェさんを抱えたまま、螺旋階段の横の手すりから、階下へ飛び降りた!
 ドスン、と鈍い音をたて、ぼくはなんとか着地する。ぼくの重みで、少々床がへこんだ。
 マルシェさんの頭が床にぶつかったが、今は負傷を気にしている場合じゃなかった。
 飛び降りたぼくに気づいた公司たちが、一斉攻撃をしかけてきた。
 多勢の強い念力が、ぼくを押しつぶそうとする。
 ぼくは突然の攻撃に、なす術もなく床に押しつけられた。
 圧し掛かる念力を何とか振り払おうと、首を振り、右足に力を込めて飛び出した。
 ふっと、ぼくの上から重いものが消える。
「逃がすな!」
 一人の公司の叫び声を合図に、いつの間にか集まってきた公司たちがぼくに飛びついてきた。
 ぼくはまた、床に押しつけられる。今度は、人間の手の力によって。
「戻れ! お前は、私たちの下部だ!」
 ぼくに圧し掛かった一人の公司の言葉に、ぼくの回線がブツン、と音をたてた。
「うるさい! 邪魔をするな!!」
 ぼくが叫んだ声は、ヴォルトの声にそっくりだった。
 ぼくの中のヴォルトの強い思いが、ぼくの口から飛び出したんだろう。
 ゴッ、と突風のような音をたてて、ぼくにくっついていた公司たちが吹っ飛ばされ、壁に打ちつけられる。
 ぼくは頭の中でヴォルトに「加勢ありがとう」と言って、また扉に向かって駆け出した。
「戻れ! No,5! ゼルダ!!」
 壁を蹴って咳き込みながら、公司の一人が叫ぶ。
 ぼくの中で、またヴォルトがギャーギャー悪態をついている。
 しかし、“ゼルダ”という言葉に真っ先に反応したのは、ぼくのキレた回線だった。
「ぼくは、アランだ!!」
 頭のショートしたぼくの出した声は、何倍もの騒音に膨れ上がっていた。
 耳の爆発しそうな周波が、ありったけの念力を込めて、公司たちを次々と床に突っ伏させる。
 気づいたら、ロビーに居た公司たちは全員、白目をむいて床へばったり倒れていた。
 ぼくはふん! とティーマのように威張り、正面の大扉から、外の世界へと駆け出ていった。



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