【企画】歌刀戦記 | ナノ

銀の花 16  


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 菖蒲は結局、出発予定時間になっても現れなかった。
 行き先は前持って伝えてある。本気で花を引き取るつもりなら、追いかけてくるだろう。そう話がつき、遠慮する花を無理やりシグネの馬車に荷物ごと乗せて、俺たちは流浪の村を後にした。
 行き先は西に向かう道で、俺もそこまで同乗させてもらう。
 荷物の隙間で丸まっている花。側面側の出入り口に腰掛け、外に足を投げ出している俺。
 何か世間話でもできればよかったのに、二人の間には痛いほどの沈黙が流れていた。
 御者席に居るシグネが鼻歌混じりにタバコをふかしている。
 何か話せば未練が残る気がして、ただ過ぎていく景色を眺めることしかできなかった。
 時を戻していくような景色に重なるように、西国を出てからのことが無意識のうちに頭の中を流れていく。
 単調な労働の続く貧民街を出てからは目に入る何もかもが新鮮で、流浪の民を見た時は、こんな生き方もあるのかと驚いた。
 西か東かを決めることが当たり前の世界で、どっちつかずに生きることも出来るのだと。
 各々過去を抱えながらも、陽気に暮らす流浪の民の中で、あの日、闇に紛れるようにうずくまっていたのが花だった。
 それは知れば知るほど硬い硬い蕾で、何とか咲かせようとしたものの、俺は花の春にはなれなかった。
 目を閉じると、花の泣き顔ばかり思い出す。
 結局花の笑顔が見られたのは、殺してくれと頼まれた時の、あの切ない笑顔、それだけだ。
 せめて、最後に……。そう思い、振り返ると、花は膝を抱えたまま、こくりこくりと船を漕いでいた。
 昨日、あれから眠れなかったのかと思うと、罪悪感がちくりと胸を刺す。
 馬車に揺られ今に倒れそうな花を寝かせ、手ぬぐいを頭の下に敷いてやる。
 その時、花の目尻からつっと涙が溢れた。
 最後まで泣き顔しか見せてくれないんだな──それはそれで花らしくて、ふっと口元が歪む。
 花の口の両端をむに、と持ち上げ、無理やり笑顔を作ると、今度は眉間にしわが寄った。

「好きだよ。……桔梗」

 最後に、一度だけ。
 泣かせてしまった名前を呼び、唇にそっと口付ける。
 思ったよりずっと柔らかくて、連れ去りたくなる衝動を必死に堪えた。
 すぐに立ち上がって転がした荷物を拾い、勢いのまま馬車から飛び降りる。
 転びそうになったが、何とかバランスを整え、そのまま歩き出した。
 振り返らず行こう、と思った。しかし不意に背中で異変を感じ、振り返ると、ローズダストの馬車を追って三頭の馬が駆けていった。
 手綱を握る男たちは、武装していた。明らかに賊だと思い、とっさに背中から銃を引き抜き、何発か発砲する。
 一発は先頭の男の肩を、もう一発は最後尾の馬の脚を捉えたが、あとは外した。
 男たちがこちらに気付いた。一人が踵を返し、銃を抜く。
 とっさの行動で、ただ広い荒野に一人。逃げるすべはなかった。

「待て待て! 誤解だ、俺の仲間だよ」

 その時、足を止めた馬車からシグネが飛び降りてきた。
 まさに先手を撃とうと構えたところで、思いがけない静止にはっと指が強張る。
 とっさに身を逸らしたところで、男の発砲した弾が右腕を擦り、地面に突き刺さった。

「待てって!」

 銃を振り上げた俺の前に、シグネが立ちはだかる。

「何なんだよ! やっぱりあんた、裏切ったのか!?」
「違う違う! お前たち、追ってきてたなら声くらいかけろよ。銃声がするから、何かと思った」

 シグネがほっと胸を撫で下ろし、男たちのほうへ向き直った。
 一人は銃を振って煙を断ち切り、一人は肩を押さえてこちらを睨みつけ、もう一人は降りて馬の傷を見ている。

「銀、話したろ。こいつらが、西から来てる俺の古馴染みだよ」
「それにしては、全員、若すぎないか。……明らかに菖蒲が見たって怪しい奴らだろ、それ」
「こればっかりは、信じてくれよ。本当に誤解なんだ」

 困ったように笑うシグネの笑顔が、急に違和感の塊のように思えてきた。
 こっちは一人、あっちは四人。花もまだ馬車の中に居る。脱出口はないと考え、とりあえず目の前の胡散臭い笑顔を信じたくなる。

「……わかった。でも、念のためここからは別行動にさせてくれ。俺は花と行動する」
「飛び降りたのか、お前。いやによそよそしいと思ってたけど、さてはまた振られたな」
「いいから、花を返せって言ってんだよ!」

 噛み付いた瞬間、シグネがすっと手を挙げた。
 それを合図に、三人の男が銃を構える。三方向から向けられた銃口は、真っ直ぐに俺を捉えていた。
 やっぱり、だ。

「銀之助、正直残念で仕方ないよ。俺はお前の馬鹿正直さに期待してたんだ」
「あんた……一体何者だよ。何が目的だ?」
「お前がな、上手に花を西に連れてってくれれば、手荒な真似はしなくてすんだんだ。俺たちは、流浪の民の中から、有望なウタヨミを見つけ出すスカウトさ」
「随分、荒っぽいスカウトだな。誘拐っていうんだろ、それ。俺でもわかるよ」
「半人前が、一端に生意気な口きくんじゃない。世の中にはね、いろんな仕事があるんだよ」

 シグネはため息をつくと、部下たちに銃を下ろさせた。
 そして膝をつく俺に歩み寄り、耳を引っ張る。

「花をお前のウタヨミにするんだ。時間はやる。契約に持ち込め」
「嫌だって言ったら?」
「お前がお喋りなおかげでね、特定は実に簡単だった。東生まれのじいさんばあさんに両親、歳の離れた弟と妹は双子だって?」

 西に残してきた、俺の家族のことだ。人質をとったと言いたいのだろう。
 歯を食いしばり、シグネを睨みつける。

「あんたを信じるんじゃなかった」
「おいおい、随分よくしてやったろ? お前の恋が叶うように、一生懸命応援したつもりだが。それにウタヨミまで世話してやるんだ、ありがたく思いなよ」
「菖蒲から聞いてるだろ……花のウタヨミの能力は」
「人を殺す可能性がある。それだ、俺たちが欲しいのは。珍しいウタヨミには価値がある。花には現場じゃなく、国の将来のための研究に付き合ってもらいたいんだ。幸い顔も綺麗だし、いい種馬にもなりえる」
「ふざけんな! 絶対にそんなことさせない!」

 シグネの手を振り払うと、シグネはようやく冷たい眼差しを向けてきた。
 容赦なく顔面を蹴りつけ、睨み返す俺を見下す。

「前にも訊いたね、家族と花、どちらを取るかって。それにこうも言った。どう動くかは、お前次第だと」
「どっちも、渡さねえ」
「意見を言える立場じゃないだろ。……わかった、じゃあとりあえず花を西に連れて行くことができたら、花自身に軍に協力するかどうかを決めさせてもいい。嫌だと言っても、話くらいは聞くがね」
「それが本当だという保証が、どこにあるんだ」
「これも俺たちを信じろとしか言えないな。いつもはこんな手段取るような仕事じゃないんだよ、恨まないでくれ」

 そう言ってひらひらと手を振り、シグネは俺に背を向けた。
 俺は血の味のする口を拭い、立ち上がる。
 どうするかなんて、とうに決まっていた。
 追ってくる気配を感じてか、シグネがふふっと笑う。

「次に行く場所で、今夜流浪の集まりがあると聞いている。また酒も入るだろうし、口説き落とすにはぴったりだろ」
「……あぁ」
「頑張れよ。素直に従えば、手荒なことはしないから」

 ぽんと俺の肩を叩き、シグネはまた御者台に飛び乗った。
 荷台に乗り込むと、花は横たわったままでいた。この騒動の中眠りこけているのはおかしい。とっさに抱き上げ、揺さぶるが、それでも花は起きなかった。
 道すがら吸っていたシグネのタバコを思い出す。御者台の後ろには覗き窓があり、ずっとそこから煙が荷台に漂っていた。
 俺は外を向いていて大して吸わなかったが、それが花をこうして眠らせているとしたら、説明がつく。
 最初から、俺や花に選ばせるつもりなんかないんだ。誤った判断を下してしまったことに、絶望感がのし掛かる。
 外では、部下たちとシグネが小声で何か話していた。

「あの男、居なくても……」
「まぁ、そうカッカするな。お偉方に花の能力を証明する時、必要だろ? 死にたがりに拷問は通じないからな。ウタヨミに自主的に歌わせないと、能力は見れないわけだし」

 そんな会話が途切れ途切れに聞こえてくる。
 そうか、あいつら、俺を使って花を脅す気なんだ。
 花を抱く腕が、ぶるぶると震える。恐怖と怒りの混ざった、ひどい感情に吐き気を覚えた。
 あいつらまた、花に重い荷を背負わせる気だ。どうして、どうして誰も、こいつを幸せにしてやれないんだ……──。
 白い顔をして眠りこける花をきつく抱きしめる。
 キヨさん、こいつだけでもいい。今すぐここから消してやってくれ。
 お願いだ、助けてくれ、誰か助けてくれ……。
 死者に縋るしかできない自分が悔しかった。
 でも、軍学校で詰め込まれた急ごしらえの軍人じゃ、現場をくぐってきた者に勝てる気がしない。
 ただ花を抱きしめることしかできない俺を乗せて、馬車は動き出した。




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