しっかり見せてもらう、と言った割に、菖蒲は居たり居なかったりだ。
朝から姿を見せないこともあれば、気紛れとしかいえないタイミングで、ひょっこり顔を見せたりする。
それがことごとく花となんとなくいい雰囲気になった時だったりするから、わざと嫌がらせしてるんじゃないかと恨んだりした。
約束の三日間など飛ぶように過ぎて、その日の夜、明日この村を発ちたいと花は言った。
せいぜい稼げたからいいよとシグネは言う。
俺はといえば、すっかり忘れていた本分を、この時久しぶりに思い出していた。
東国をほんのちょっと見てくるだけのつもりだったから、休暇は短い間しか取っていない。
違反したらナントカって言われた気もしたけれど、すぐ帰って来るつもりだったから、まともに聞いていなかった。
除隊とか、罰金だったらどうしようと思いながら、隣に座る花を見つめる。
今日は客から手作りのソーセージの差し入れがあったため、焚き火で炙って食べていた。
俺の視線に気付き、なに、と花がこちらを見る。
離れたくなかった。ここ数日、ようやくまともに向き合えるようになってきたのに、ここで帰ってしまったら、悔いが残って戦場で上手くやっていける気がしない。
開きかけた口を閉じ、不毛な言葉をソーセージと酒で押し込む。
花の苦しみを知った今、俺と西に行ってくれ、なんて残酷なこと、言えるわけがなかった。
*
「まだそれ、するの?」
銘々テントに戻り、就寝の準備をする。
花はたたんだ毛布を広げながら、怪訝そうな顔を俺に向けた。
「うん、ほら」
両手を広げ、花を待つ。
あの日から、花を抱きしめて寝るのは習慣になっていた。
花はあれから自殺未遂を起こしていないけれど、夜中に急に泣き出すこともあり、一人にするのは気がひける。
くっついていたいってのが本音だが、そんなこと言えば殴られるに決まってるし、さすがに口には出せない。
「もう死のうとしないって約束できんのか?」
そう言うと、花はしかめっ面でため息をつき、こちらに背を向けて横になった。
俺も寝転び、首の後ろから腕を差し込んで、ぎゅっと花を抱き寄せる。
花が渡してきた毛布をかけながら、あと何回こうして寝ることができるのか考えた。
花が「もう死なない」と言ったのは、シグネの寝床で迫った、あの時だけだ。
嘘なのはすぐわかったし、花はあれからでまかせでも同じことは口にしなかった。
つまり、今でも機会があれば死にたいと思っていることに変わりはないのだろう。
西に帰る前に、それだけはどうにかしてやりたかった。
焦りが、正直な口を滑らせる。
「なぁ……花。もう寝た?」
「ん……何?」
「花がさ、キヨさんを好きだったのって、恋とか、そういう好き……ってことで、いいの?」
張り詰めたような沈黙が流れた。
花が小さく頭を動かし、深呼吸する。
「馬鹿みたいだって、思ってるんだろ」
「思わないよ。なぁ……そうなの?」
「……女の人が、男の人を好きになる、みたいな……そういうのだと、思う」
「キスとか、したかった?」
「わ、わかんないよ、そんなの……」
「側に居たくて、見てると愛しくて、胸が苦しくて……一緒に居る程に、そいつの全部が欲しいって欲が出てくる、そういう好きか?」
「銀? 何、言って……」
「俺のこと、そういう風に思えないか?」
きつく抱きしめて言うと、花の肩がびくりと震えた。
花の呼吸が、少しだけ早くなる。泣いているのかと思って仰向けにさせると、案の定花は涙を溜め、困り顔で俺を見上げた。
「銀は、いい奴だと思う。でも……友達で、いたい」
「俺は、もう花をそんな風に見れない」
「わ、わかんないよ、どうすればいいんだよ……」
戸惑う目の端から、ぽろりと涙が零れた。
それを皮切りに、次々と溢れる涙を指で拭い、花の額に額を当てる。
「花のキヨさんの側に行きたいって気持ち、少しはわかったよ。でもさ、キヨさんと同じくらい……キヨさんよりずっとずっと強く、お前を想ってる奴がこの世に居る。それだけじゃ、お前をこの世に留めておくことはできないかな」
気付けば、俺の目尻からも熱いものが溢れそうになっていた。
恥ずかしくなって、目を瞑る。暗闇の中で、花が小さくしゃくりあげる音だけが聞こえた。
花が何かを言おうとしているのは感じ取れた。言葉にならない吐息を聞くのは、喉を締め付けられるように切なくて、目を閉じたままゆっくりと顔を近づける。
唇に当たったのは、花の手のひらだった。
「嫌だ……」
唇の前に片手を置き、花は俺を拒んだ。
頭に血がのぼって、その腕を力任せに地面に押し付ける。
もう一度キスしようとしたら、今度は逆の手で頭を押さえられた。
「銀はいい奴だと思う! でも、やっぱり僕は、清さんが……!」
「キヨさんはもう死んでんだろ!」
「うるさい! お前に何がわかるんだっ……銀の馬鹿! 大嫌いだ!」
捕まえようとした手をすり抜け、花が俺を引っ掻いた。
ジタバタする花を押さえようと躍起になっているうちに、花の拳が目に当たる。
思わず顔をそらすと、花は俺の下から抜け出し、隅のほうで毛布をかぶって丸まってしまった。
硬い硬い岩みたいになってる花を一瞥し、テントを出て行く。
満天の星空の下、熱のこもった頭を冷やしながら、しばらくその場から動けないでいた。
花が好きだ。
花が好きだ。
それなのに憎らしく思ったり、応えてくれないことを恨んだりしてしまう。
恋がこんなに苦しいものなら、きっと戦場で胸を撃ち抜かれて死ぬほうが、よっぽど幸せなことのように思えた。