この気持ちに名前を
「花火しようぜ」
長い沈黙。ベランダでぼんやり外を眺めていた晴矢が、やっと口にした一言だった。
「きみは、今のこのわたしの姿とわたし達の状況をわかっていて言っているのか?」
しゃべる度、塞がりかけた唇の端の傷ががぴりぴりと痛む。床に無造作に置かれた絆創膏と、消毒液。部屋に染み付いたらどうしようか。この匂いは昔から、わたしの数多くある嫌いな物の中の一つだ。
「夏のお買い得わいわい家族セットをな、この間買ったんだ」
「やってくればいいじゃないか。一人で」
「一人でやってどうするんだ。わいわい家族セットだぞ?」
「じゃあ誰か誘えばいい」
「だから、風介」
「だからわたしはやらないと」
「おまえとやろうって、その為に買ったんだ」
だからやろう。だなんてそんな、何を勝手に。そう思ったけどこいつの強引さはいつものことで。そのまま外に出て、男二人で、花火。これはあれだ。あまり美しくない。
「ねえ、わたし達喧嘩してなかった?」
「知らね。忘れた」
わたしには親も、兄弟もいない。正に、天涯孤独というやつなんだろう。特に親しい友と呼べる者も、居ないように思う。昔からあまり他人と言うものに関心が無かった為、孤独や苦痛等を感じたことはなかったが、この今までのわたしの記憶を構成しているのは何なのだろうと考えてみると、自分のことながら、正直よくわからない。
だからこうして、わたしが誰かと一緒に騒ぐ、喧嘩をする。共に肩を並べて笑う。いつの間にかいつも隣に晴矢が居ること。それが当たり前になっていること。それが今感じている不自然さの原因なのだと、そう思った。
いつの間にかあんなに大量にあった筈の花火は、残り少なくなっていた。それを手に取り、しゃがんでライターで火を点ける。見上げた空はあまりに深く、気を抜くと呑み込まれそうだ。
ふと、視線を感じて横を見ると、晴矢と目が合った。何か、変な、そんな不安そうな顔。
「あと残るかな、ごめん」
あぁ、傷のことか。そう気付くまでに少々時間がかかってしまった。あんなに痛かったのに、すっかり忘れていた。人間なんて案外単純なものだ。
「きみだって、目、腫れてるけど」
「こんなの寝たら治る。風介にあと残ったらさ、責任とる。一生」
「何それ。いやだよ。女じゃないんだから」
「うーん、だよなぁ。何言ってんだろ、俺」
「うん、そうだよ」
「…じゃあさ、」
突然近付いてきた手を、振り払う事なんて出来なかった。俺はただ凍り付いたように固まって、息をすることさえ忘れた。
晴矢の手が、少し腫れた頬に触れる。金色の瞳は、暗闇の中でもはっきりとわかる程、不思議な色をしている。小さく、ぱちぱちと線香花火の音だけが耳に響く。
「一生は駄目でも、治るまでは責任とらせて」
あ、落ちた。
そう言って立ち上がった晴矢の表情は、見えなかった。
そろそろ帰るかと言って立ち上がった晴矢の背中を、思いっきり蹴り飛ばしてやりたいような飛び付きたいような、もう自分でもよくわからなくなってしまった。