1・白と黒の世界の狭間で
イエスもノーも
白も黒も
0も1も
ココでは酷くハッキリしている。
日常は、ゆるぎない定位置を築いて続いていく。
私はそれまで何の疑いも無く
そう、信じていた。
◆酔芙蓉◆
緩やかな曲線を辿るように
フワフワとした雲の流れに沿うように
浮かんでは沈む感覚に酔いしれていたいと思った事がある。
「科学者にロマンがあるとするならば、それは0と1の狭間の可能性を探求する瞬間に垣間見る感情だヨ。」
眠れない冬の夜。
潜り込んだ父の布団の中で、幼かった自分は優しく髪を撫でられていると父がそう呟いたことがあった。
「お前は…少なくとも科学者とは一緒にならない事を、私は父親として祈っているがネ。」
珍しく曖昧な表現をする素顔の父の横顔はとてもキレイで、意味も解らぬままその言葉にコクコクと頷く。
「だがまあ、阿近は…その願いを聞き入れそうな男ではないのが残念だヨ。」
(なんで、阿近さんの名前が出るんだろう…。)
その疑問は、
幼かった頃も成長した今も解けぬままだ。
山積みになった資料で遮られた日光を浴びるのは慣れっ子だった。
書きかけた書類のインクの香りが、朝の空気に乗って香り覚醒は間近だった。
「んー…、なんで……」
夢と現実を行き来するのは海辺に浮かぶ浮き輪に体を預けるのと良く似ている。
「なん、で…あこ…さ…」
「俺が、何だって?」
今一度、あちらの世界に溺れかけそうになった時、何処からともなく低くて優しい声が聞こえた。
「……あ、…」
「お前、徹夜の意味解ってるのか?寝坊したら意味ねーだろ。減点一点。」
見慣れた角と真っ黒な髪と苦笑気味の上司の顔。
「阿近さん…。…おはよー…。」
「おはよう、ぷらす。さっさとコーヒー淹れて来い。」
”減点分の罰。”そう言って、カツンとピンクと黒の色違いのマグカップを鳴らし阿近は少女にそれを手渡した。
イエスもノーも
白も黒も
0も1も
科学者ばかりが集う
ここでは酷くハッキリしているものだった。
「あー、ぷらすおはよー。何、そっちも徹夜〜?」
色違いのマグカップにブラックコーヒーを並々淹れて元来た通路を歩いていると、ぷらすと同じくボサボサ頭のままのメガネの少女が声をかける。
「おはよー。うん。ここ最近阿近さん宛ての発注が多くって、それの優先順位や必要な備品のリストを作ってたら遅くなっちゃったの。」
「阿近さんの作る義骸人気高いもんね。」
「もーそんなこと言いながら、阿近さんと一緒に夜明かしして。局長拗ねちゃういますよーぷらすちゃん。」
「あ、リン君。おはよう。」
爽やかな朝日の注ぐ通路で可愛らしい少女二人の雑談に入ってきた壺府リンは、少し茶化すように咥えていた飴玉をカラリと鳴らせぷらすに言った。
「正直、昨日の夜は阿近さん徹夜する程仕事も無かった気がするんだけどな〜。ぷらすちゃんが居たからわざわざ残ったんだったりして…。」
「そうかもそうかも、キャー!」
ニヤリと口先を上げた壺府とメガネ少女にぷらすはキョトンとして小首をかしげる。
「阿近さんが?何で?」
「え…;いや、何でって…。」
「…ぷらすの鈍感さもここまでくると罪よね〜;」
「???」
彼女・涅ぷらすは技術開発局と十二番隊のトップを勤める涅マユリの養女にして、技術開発局副局長の阿近の秘書兼その他庶務を務めるここでは珍しい”技術外”の人間である。
幼い頃からここで働き、他の死神とは一線を置いた存在の彼女を他の隊でよく知る者はあまりいない。(最も、コレには彼女を溺愛する父・マユリが一枚絡んでいると局員達は踏んでいる。)
年齢は正確ではないが十三番隊隊長のそれと同じくらい。
陶器の様に白い肌に栄える藍かかった黒髪は顎のラインで切りそろえられたショートヘアで顔の幼さに拍車をかけながらも、どこか少年の様な中性的な魅力を掻き立てる万人認める美少女である。
涅マユリの娘と言う肩書きに技局の白衣…一見すれば、非常に知性的に見える彼女であるが…
「も、もしかして私阿近さんに一人で徹夜させられないくらい信用無いってこと…?;」
「「……。」」
哀れ、阿近副局長。
彼を仕事上尊敬する二人の部下は苦笑いをする。
ぷらすの外見とは裏腹なそのド天然ぶりは、技術開発局員なら誰しもが知るところであった。
「もうさあ、何も言わない阿近さんも悪いけどぷらすちゃんもいい加減周りの為に気づいた方が良いと思うよ。」
「?…何に気づくの?」
だから…と続けた壺府の後ろに影が差す。
「お前ら、仕事はどうした。」
「うわ!!;あ、阿近さん!?;」
壺府はたまらず肩を飛び上がらせるとしどろもどろになった。
「ぷらす。お前コーヒー淹れてくんの遅すぎだっつーの。」
「あ。」
阿近はぷらすの持っていた自分のマグカップを受け取るとブラックコーヒーを啜りながら壺府を睨んだ。
「オイ壺府。ぷらすはこんなんだが、お前よりよっぽど長くここには居るんだ。ちょいちょい敬語抜いてしゃべってんじゃねーぞ。」
「う…;は、はい;」
「あと、ちゃん付け禁止な。お前も局長に毒盛られたく無えだろ。」
「…毒!?;」
「阿近さん。阿近さんは昨日徹夜する程仕事無かったって本当?」
「ああ?」
「……!!;(ひえー;ぷらすちゃんそれは…!;)じゃ、ボボボク仕事の続きが有りますから!!;失礼しますうぅぅ!!;;」
阿近の表情が変わらぬうちに、壺府はそそくさと逃げて行った。
「ったく、アイツはいつも菓子食ってるかサボってるかのどっちかだな。」
「お菓子食べてるのもサボってるのと同じだよ…;」
「副局長おはようございます、ダメですよーあんまりぷらすを徹夜で働かせちゃ。ぷらすは私たちの庶務でもあるんですからね!」
「ああ?…うるせーなァ。」
頭を掻きながら阿近は溜息を吐く。
「それに、局長の留守を狙ってって言うのもいただけませんね。」
「……。」
形勢逆転と言うべきか。
メガネ少女の笑顔の言葉に阿近は手を止め一瞬無いはずの眉がピクリと動く。
「…や、別に狙ったわけじゃねえって。」
「そうですか、では今日お帰りになった局長にお会いしたらご報告を…「解った、金輪際こういうことは無いようにする。」
「じゃあ、ぷらす。後でうちの研究室にも来てね〜。請求書がすごい事になってるのよ。」
「解った、後で行くね。」
メガネ少女はぷらすに微笑むと、阿近にはどこか裏のある笑顔で一礼し研究所へ去っていった。
「……。」
「……。」
「…戻るか?」
「うん。」
色違いのマグカップを持った”技局の鬼”と一人の”少女”。
いつからかこの二人が並んで歩く姿は技局の当たり前になっている。
現世で言う”古風な習慣”が息衝く尸魂界で、緑茶よりも疲労回復の効果があることからコーヒーを愛飲しているのはぷらすと阿近位であるが、案外阿近にとっては一時的な禁煙の口寂しさから飲んでいる節がある。
「阿古さん。」
「ん?」
研究室に戻ると、作成中の書類に目を通す阿近にぷらすは聞いた。
「私って、阿近さんやみんなの役に立ってるのかな?」
「……。」
どこまでも澄んだ黒い瞳。
こんなにキレイな黒を阿近は今まで見たことは無い。
「この前の経理報告書、また一桁数字間違ってたぜ。」
「はう!;」
「あと、いい加減局員の名前の誤字直そうな。」
「…うう;」
「だがまあ少なくとも…」
「?」
吸い込まれそうになる彼女の瞳。
阿近はぷらすがコーヒーを淹れに行く前に置いていった資料の束を手にして言った。
「俺の役にはたってるから安心しろよ。」
「……!」
「資料ごくろーさん。後は良いから、局長が帰ってくる前に一度家帰って風呂でも入って来い。お前残業させると俺が周りから非難されんだよ。」
「う、うん。…ありがとう、阿近さん。」
ポンポンと自分の頭を撫でる阿近に対し気恥ずかしさから顔を赤くするぷらすは荷物をまとめると研究室から出て行った。
「…全く、世話の焼ける嬢さんだぜ…。」
頭を掻き毟りながら、そういえば自分ももう三日も風呂に入っていない事を思い出し彼女より先に自分が家に帰るべきなのではなかったかと苦笑した阿近だった。
***
シャワーのノズルを捻ると自分の薄い肌には少し熱いお湯の雨粒が降り出して、それはまだ成熟しきらない体の曲線を伝い、やがて真っ暗な溝へ流れていく。
「うーん…誤字と計算ミスはどうにかしなきゃ…。」
阿近の隣でこの仕事についてもう数十年。
未だに周りに仕事のフォローを入れられる自分が情けない。
「頑張ってるつもりなんだけどな…。」
科学者の父・マユリまでの天才には到底及ばずとも、いつか学の無い自分も姉・ネムの様に庶務的なポジションから研究のサポートをするくらいまでにはなりたいのがぷらすの本音である。
(そんな事を言えばマユリに”お前とネムでは遺伝子からして違うのだヨ!”と言われるのがオチであるが、あくまで理想として。)
ノズルを半回転させ湯を止めた時、脱衣所の方で気配を感じる。
「…?、お父さん?」
「ぷらすさん。ネムです。」
「あ、ネムちゃん。お帰りなさい。」
マユリとネムは破面と死神の戦いが明けて以来、虚圏へ足を運ぶことが増えていた。
空気中に含まれる霊子を吸うだけで虚が生きながらえるという虚圏にマユリが興味を示さないはずは無いのだが、今回はどうやら彼の興味を満たしに行くための出張では無く上の命令なのだと阿近からそれとなく聞いていたのを思い出す。
(きっとお父さん、不機嫌だろうな…。)
誰でもないマユリの事だ。
自分の意思と反する実験や研究にはとことん気力を見せない父の姿はぷらすも知っている。
「ぷらすさん。ご準備が整いましたらマユリ様がお呼びですので第四研究室までお越しください。」
「え!?」
今まで研究室などに呼び出されたことも無かったぷらすはそこで風呂場の扉を明ける。
全裸のぷらすが血相を変えて出てきたせいか、若干戸惑った様子のネムは置いてあったバスタオルを無言で手渡した。
「お父さんが…?」
「マユリ様は頼みごとがあるようです。」
(頼みごと…。)
「…!わ、解った!すぐ行くね!」
雫の滴る髪のままぷらすが微笑むとネムは顔を赤くし玄関で待っていますと一礼して外に出た。
慌てて体中の水分を拭き取っって着替えを済まし玄関へ向かうと、マユリの出勤用の荷物を持ったネムが待っている。
「お父さん、家に帰ってないの?」
普段ならば家族三人で通勤に使う道のりをネムと二人で歩くことはそう少なくは無い。
しかし、長期の出張後だというのにマユリのみが家に帰宅せずというのも不自然だ。
ぷらすの問いにネムは数秒間を空ける。
「…実は、虚圏から技局に直接お戻りなったのはもう数日ほど前のことです。」
「じゃあ、今まで研究室にずっと…?;」
「はい、虚圏から持ち帰ったサンプルの緊急のオペが続いておりまして、今日ぷらすさんにお願いするのはその方の今後の看病かと思われます。」
「え。」
ぷらすは正直、そこで真相驚いた。
「もしかして…その”サンプル”って…」
”あの”父がまさか、そんな大役を自分に任せるだろうか?
「はい、破面の生残りでございます。」
「…!」
***
技局に着き、まっすぐと父の待つ第四研究室に向かう足取りはぷらすにとって少し重い。
「……。」
「…ネムちゃん…。」
「はい。」
「私、大丈夫かな…。」
単純に父に頼られたことへの嬉しさと、
上手く期待に応えられるだろうかと言う不安。
「ぷらすさん。」
「?」
「マユリ様は、ぷらすさんなら出来るとお考えになったからこそお呼びになったのだと思いますよ。」
「…あ、ありがとう。」
「では、マユリ様にぷらすさんがお越しになったことをご報告して参りますので、ここでお待ちください。」
「うん!」
ネムが研究室に消え、廊下で待つ数分間はとても長く感じるものだった。
(ドキドキする…。)
マユリに養女として迎え入れられ技局に勤めだしてから数十年、父であるマユリと家で会話したことは毎日でもあったが、仕事場で局長としての彼と会話したことは殆ど無かった。
研究室に居るマユリに会うだけでも緊張するのに、仕事を依頼されるなんて。
(うう、ネムちゃん…まだかなあ…)
失敗したらどうしよう。
自分は未だに経理書もまともに作れないのに…
――「俺の役にはたってるから安心しろよ。」
(阿近さん…。)
角の生えた眉の無い優しい上司の笑顔が浮かんだ。
(うん、頑張ろう。お父さんの役にたってみんなにも認めてもらうんだ…。)
イエスもノーも
白も黒も
0も1も
ココでは酷くハッキリしている。
ならば自分も、グレーのままいつまでもふらふらしていたくないのだ。
やがてマユリの怒声と共に開いた研究室の扉からネムが顔を出し、手招きを受ける。
息を大きく吸って拳を握る、扉の開いた入り口に立つと無影灯に照らされるベッドに横たわった人物に話しかけるマユリの姿が目に入った。
「寝てしまう前に紹介するとしよう。…ぷらす。」
「はい。」
マユリ呼ばれて、ギクシャクと一歩踏み出す。
バタバタして落ち着きが無いだなんて思われたくない…そっと近づくとマユリの金眼はぷらすを一瞬捉え、ここに横たわる彼がそう(破面)なのだと解った。
余りの緊張で破面の彼を見る前に頭を下げると、口を開く。
「涅ぷらすと申します。」
自分の名前を告げて、
次はどうしようかと顔を上げ、とりあえず笑顔を作った時
初めて破面の彼の瞳の美しさにぷらすは気づいた。
(…あ……。)
それはまるで宝石か何かを埋め込んだ
造り物かと見紛う程の
美しい翡翠。
「…以後、よろしくお願い致します。」
強く握り締めていたはずの拳は
いつの間にか解けていた。
イエスもノーも
白も黒も
0も1も
ココでは酷くハッキリしている。
日常は、ゆるぎない定位置を築いてこれからも続いていく。
私はそれまで何の疑いも無く
そう、信じていた。
この瞳に
出会うまでは…。
-------
今回の裏テーマは”どこまでも報われない阿近さん。”です。(趣味悪っ)
本当、ウルキオラさえいなければ〜!って阿近ファンが悶え苦しむくらい阿近とヒロインは仲睦まじくって良い感じに仕上げたいです…。
つまりお邪魔虫ウルキオラさん。←
まあ完全アウェーでも持ち前のドSっぷりを乞うご期待くださいませ(笑)
2012.02.17up
戻る
- 4 -
[*前] | [次#]
ページ: