後編






「ウルキオラ見て、今日は空が高いと思わない?」



あれ以来、現世に降り立つことが増えた。
数日前までは沢山の薬品につながれていたぷらすも体力が回復し、それに比例してあのノイズを発するようになった。

彼女の体質、それは特殊なノイズを発することで受信した虚や自分達破面に力を与えるというもの。
しかし、彼女自身には霊圧と呼べるものは殆ど存在していない。


そこに存在しているのにもかかわらず、辺りに影響を与えながらも自分の姿は決して主張しない…まるで神に隠されたかの様な存在。



「天気のことは詳しくないけど、空が高い日は開放的な気分になるんだ。」


初めて出会った屋上とは違い、そこは患者達が集う緑化された屋上庭園が広がっていた。
そこで2人は他愛も無いことを話す。


不意に、何処からか声が聞こえる。


――「げ、白髪お化けがいる。」

――「やだー、そんなこといったら聞こえちゃうよ。」


クスクスと、それは彼女を遠巻きに見ていた少年と少女だった。
あざ笑う声はウルキオラはもちろん周りにいた大人たちにも十分に聞こえる大きさだが、彼女を庇うものは誰も居ない。
老人の車椅子を押す看護士ですら、それは同じだった。


「…、他の人間の目が気にならないのか?」

「え?」


他の人間には消してみることの出来ない自分に、彼女はいつも堂々と話しかける。


彼女はただ笑った。


特殊なのは力だけではない、色素を失った髪と瞳。
彼女に対し周囲の患者達は皆、好奇の眼差しを向けていることは薄々感じていた。

一定の距離をあけたほかの患者達とぷらす。
霊圧同様に同じ世界に存在していながらも、彼女の存在は人間達の世界でも何処か無視された孤立した場所にある。


「ねえ、ウルキオラ。今日も話し聞かせてよ。」


ベンチに座ったままのぷらすは横に立つウルキオラに向かってキラキラとした笑顔を向けた。



”ウルキオラ”

そう彼女に呼ばれる度に、

疼きに似た小さな痛みが胸の孔を走る。



「人は死んだら、尸魂界という場所に送られるんだろう?」


白く美しい髪を風に靡かせる。
ぷらすはウルキオラに死後の世界を聞くことが多かった。
ウルキオラも聞かれるがままぷらすに知っていることを話す。


「そこは、どんな場所なの?」

「…霊圧というものが存在し、高いものは輪廻をせずに死神になり低いものは輪廻を待つ。」

「へえ!霊圧かあ。」


「……本当に、何も知らないのだな。」

「え?」

「いや、なんでもない。」




「ウルキオラ、破面は輪廻を待ってるの?」

「……、」


彼女の言葉に、ウルキオラは一瞬身を固める


「破面は虚が進化した存在。…輪廻などしない。」

「虚…。」

「虚は、死神の敵。」


ぷらすは、ウルキオラの横顔を見入った。



「じゃあ、ウルキオラは死神の敵?」

「ああ。そうなる。」

「戦争はどの世界でもあるんだね。」

「……。」



切なく、仰いだ空を2人はただ黙って見た。




「あ、ほら、みてウルキオラ。飛行機雲…」


空を指差したぷらすが立ち上がると、地面に転がる小石に躓く。


「…あっ…!」

「…っ」


とっさに手を伸ばした、ウルキオラの体をぷらすは通り抜け地面に倒れこむ。


「ごめん、少し無理しすぎたみたいだ。」

「……。」


彼女の体をすり抜けた掌。


「ウルキオラ?」


自力で立ち上がった彼女の瞳に写る、自分。


「……。」


触れ合うことは出来無い。

なのに、彼女の瞳の中には自分が確かに存在している。

その、もどかしさ。



「お前は、独りで平気なのか?」

「?」



ここ数日間、尋ねてみて解ったこと。

彼女はいつも独りだった。


「人間は群れて生きる。お前はいつも独りだが、平気なのか?」

「……。」


一瞬、ぷらすは大きく瞳を揺らした。


「ウルキオラは…?君はいつも独りでここに来るけど、寂しくないの?」

「破面に心は無い、何も感じぬから聞いている。」

「……。」


何処か悲しげな表情を浮かべながらも彼女の答えを待つ。
数秒の沈黙の後、ぷらすはいつも通りに笑うと空を見上げながら言った。


「平気じゃない、寂しい。」

「……。」


「この髪と瞳の色は、染色体の異常なんだよ。」

「……。」


「体もね、そのせいで生まれつき。おかげでもう十年近くここに居る。」


長く伸ばされた髪を一束掬い上げるとぷらすはそれにそっと唇を当てる。

穏やかなその仕草と髪に口付ける彼女の唇を見て、ゾワリとした何かが蠢いた。


「人間はね、ウルキオラの言う通り。同じでないものを嫌う。」


「……。」


「親には随分昔に見捨てられて、病院側も回復の見込みの無い私を生かし続けるのは面倒がってる…誰一人として私を生かすことを望んでいないのに、私はいつまで経っても死ぬことはできない。」


「……。」


「私はただ生かされているだけの籠の鳥。」


この場の空気に似合わないほどに爽やかな風が2人の間を吹きぬけた。
蒼空には小鳥が飛び交い、チュンチュンと平和な昼下がりを知らせる。



「私は羽ばたけない。この籠(病院)から。」



笑いながら話す言葉一つ一つが悲しい悲劇。
酷く自分と似ている気がした。



「外の世界を、見たいのか。」

「え?」

「来い。」


翻したウルキオラは背中で彼女を呼ぶとスタスタと院内を闊歩していく。


「ウルキオラ?」


それにぷらすはたどたどしい足取りで付いて行くと、やがて彼女の病室に通された。


「個室の方が都合が良い。そこに座れ。」

「……。」


彼女をベッドの上に座らせると、ウルキオラは自分の瞳に手を当てる。


「何をする気?」

「黙っていれば解る。」


ぐっと力を入れ、自らの眼球を取り出すウルキオラに、ぷらすは思わず目を瞑る。

そして…


「目を開け。」



開いたと同時に、

明るくなる”世界”。



「わ…ぁ……。」



それはウルキオラが任務の傍ら目にした現世の世界だった。


ある時は町並みを歩く人だかり

ある時は木漏れ日が輝く森の中

ある時は花が咲き乱れる野原…



「綺麗…。」

「……。」


自分の”かつて見た”世界の中で、ぷらすは幸せそうに笑った。


「ウルキオラ…。」

「……。」

「ありがとう。」



ちりちり



胸の置くが静かに燃えるようだった。

そこには、何も無いというのに。




◇◇◇



ギャアアアアアア!


断末魔と共に醜い魂の残骸が滅ぶ。


「……。」


あれから自分は定期的に彼女が影響を及ぼす範囲内にいる虚を退治して周っている。

主の命令でもない、ましてや死神の仕事を減らす目的でもない。


それは彼女に影響を受けた虚が減ることで、どちらからの干渉も受けなくなる為に。



――「ウルキオラ。」



そう、

彼女の為に。



「俺は…何をやっているんだ…。」



破面と死神の戦いの最中、もし彼女の存在を知られれば間違いなくこの戦争に巻き込まれる。
彼女の存在を隠すために、ウルキオラは虚を出来る限り排除する。



黒膣から虚圏に戻った所で、未だに慣れない声が聞こえた。


「あら〜、ウルキオラやないの。現世に行ってたん?」


振り返るとキツネ目をした死神が立っていた。


「……はい。藍染様から任務を任されていますので。」

「任務ねえ〜毎日毎日ご苦労なこっちゃ。」

「いえ。」

「…なあ、ウルキオラ。」

「はい。」


市丸の表情は破面である自分ですら真意が掴めない。


「最近、キミ霊圧ちょっと上がったんとちゃう?」


何を企み、何を求めているのか。


「……ご冗談を。」

「そう?勘違いだったやろうか〜?」

「お久しぶりにお会いしたので仕方ありません。」


この男は主よりも、あるいは…


「せやね。きっとそーや。」



”したたか”。



「それより、市丸様がお戻りということは藍染様も?」

「さっすが、ウルキオラ察しがええね。」


”ホンマに藍染はんにはよくなついとるね〜”と市丸の茶化しを聞き流す。
すると市丸も先ほどとは違い少しだけ真顔で言った。


「とうとう始まるで、ウルキオラ。」

「……。」


始まる、大きな戦いが。直に…



「覚悟しいや。」



動きつつある、破面・死神・人間それぞれの世界が。


このまま、馴れ合いに過ごせばいつか彼女の存在は遅かれ早かれ見つかるだろう。
そして戦いに巻き込まれる。


少なくとも、自分の主に見つかれば。

その危険を一番背負っているのが、


この自分。



(解っていたことだ…。)



この出会いに終わりがある。

なのに、何故自分は長々と彼女と関わりを持ったのか?


結末の解っていた出会いに、真意の解らぬままのこの衝動。


今後は彼女の周囲の虚は今後も定期的に退治し、戦いが始まれば自分は彼女と関わりを経てば良い。


それが最良の選択だと、ウルキオラは考えた。



「明日で、最後だ…。」



◇◇◇






「かーごめ、かごめ…」


単調な歌声。

独特な霊圧。

頭で響くノイズ。



「かーごのなーかのとりーは…」



「何を歌っている?」

「ウルキオラ。」


その日も、虚を退治してから彼女の病室に来ていた。


「今日は、病室に居るんだな。」


今まで何度も彼女を尋ねたが、よほど体調の悪い時で無い以外は殆どを屋上で過ごして来た。


「え、ああ。そうだね。予感…かな。」

「?」


窓越しにぷらすは空を見る。


「さっきの歌。」

「ん?」

「初めて会った日にも歌っていただろう。」

「ああ。わらべ歌の一つだよ。」

「わらべ歌?」

「子供が遊ぶときに歌う歌。」

「…随分と奇妙な歌だな。」

「確かに、変な歌詞だよね、ただ聞いているだけじゃ何の意味かも解らない。この歌詞には諸説あるけど、私は…」

「……。」

「籠から出られなくなった鳥が、独りで死を待つ歌に思えて…凄く共感する。」

「……。」


その瞳は、決して嘘をついているようには見えなかった。

ぷらすクスリと笑う。



「暗いだろ。」

「……。」


儚げに病室のベッドから空を見詰める彼女は、まさしく籠の中の鳥に見えた。



胸につかえるような

熱い感覚。


「ウルキオラは、いつもどうやって現世に下りてくるの?」

「黒膣という物を開く。それは虚圏に繋がっている。」

「そっか。じゃあ、今日もそれで真っ直ぐココへ来たの?」


いつもの質問攻めにはもう慣れているウルキオラはそこで一瞬彼女を見た。
先ほど倒してきた虚たちが脳裏をよぎるが、直ぐに目線を外し振り払うようにして答える。


「…そうだ。」

「……ねえ、ウルキオラ。」

「何だ。」

「虚は、人を襲う?」


不意に投げかけられた質問。


「ああ。」

「そうなんだ。じゃあ、破面もウルキオラも人を襲うことはある?」

「…何故、そんなことを聞く…。」


こちらを向いたぷらすは、酷く真面目な顔で言った。



「ウルキオラになら、魂を喰われても良いなと思って。」

「……。」



特殊な彼女の体質は虚や破面に力を与える、しかし彼女自身の霊圧はさほど高いわけでもなく、仮にいつか尸魂界に行ったとしても死神煮れるとは思えないレベル。


(有る意味、こんな所に居るよりも尸魂界に送ったほうが安全なのかもしれないな…。)



その見た目から忌み嫌われ誰からも必要とされない彼女を、こんな下らない世界にいつまでも繋ぎ止めておく必要など果たしてあるのか?


(それでも…)



「お前はバカなのか?」



自分が彼女を喰らうなど

有り得ない。



「冗談じゃないさ。」


並んで座っているベッドがギシリと鳴った。
ぷらすはウルキオラの方へ顔を近づける。


「……。」


灰色の瞳に掛かる、美しい髪。

サラリと揺れて、ウルキオラの鼻に掛かりそうな程に近く。



「ウルキオラに食べられて、ウルキオラの一部になるならソレもいいかなって思ったんだよ。」


初めて嗅いだ、彼女の薫り。

茶目っ気に笑うぷらすだが瞳の奥は真剣で、それ以上見ることは出来なかった。


「破面は人間の魂など喰わない。」


嘘。


「……そうか、残念だ。」

「お前は、」

「…?」



「生きて、この籠をでろ。」

「……。」



生きていて欲しい。

たとえ、

そこが彼女にとって籠の中であっても。



籠の中に居る限り、安全なのだから。



「死も、輪廻も、今を生きるお前には関係ないことだ。」

「……私は――」



ぷらすが言いかけた刹那。



ガタン!


「!」

「?…ウル…。」

「――っお前は、ここに居ろ。直ぐ戻る。」



突然立ち上がったウルキオラはぷらすを残し病室を出る。


「……。」


取り残されたぷらすは、ウルキオラの背中を黙って見送った。









自分としたことが、こんなに近くに来るまで気が付かなかった。



(くそ…っ!)


感じ取ったその霊圧は今まで倒してきた虚などではなかった。


死神、

それも2体。



(俺の霊圧を探られたのか、もしくは…)



彼女の存在がバレたか?


死神の霊圧は既に病院まで迫っていた。
ウルキオラは人気の少ない彼女と初めて出会った屋上に向かうと、そこには黒い死覇装の影…霊圧からして隊長クラスではなく平隊員だということは直ぐにわかる。


「虚ではないと思ったが…お前は何者だ…!!」

「ま、まさかこれが破面…っ!?;」


(俺が狙いだったか。)


死神たちは初めて対峙する破面である自分に動揺を走らせる。


「……、死神が霊圧を探れるのであれば解るだろう。お前達が何人束になろうとも俺は倒せん、今すぐに消えろ。」

「何い!?破面がああ!!」


戦いを回避するはずの台詞は逆上させ、死神が斬魄刀を抜き襲い掛かる。


キイイイイン!!


殺すか否か…しかし、ここで彼らを殺せば間違いなく彼女の存在は明るみに出るだろう。


「…っち。」


死神の刀を手刀で防ぎながらも、迷っていた瞬間だった。



「ウルキオラ!後ろ!!!」



聞きなれた少女の声が屋上に響く。



「やあああああ!」



気配を隠していた三人目の死神がウルキオラの背後で刀を振り上げる。



「――っ!!」



ザンッ!!



一瞬にして

黒い死覇装は床に倒れ堕ちる。



「ぐ…くそ…引き上げるぞ!!」

「……。」


歴然とした力の差を見せ付けられ他の死神たちは倒れた仲間を担ぎ上げると姿を消した。
















「知っていたのだな、最初から。」


人気の無い屋上で人間の少女と白い破面は肩を並べ空を見ていた。


「ああ、名称は君に教えてもらうまで知らなかったけれど…死神も虚も、小さい頃からよく見ていたよ。」


幼い頃、ぷらすは気配がする方向の空を見る度に現れる恐ろしい化け物と、それを退治する黒い死覇装を着た戦士たちをいつも遠くから眺めていた。
彼らは当たり前のようにぷらすには気づかず戦いに興じていることから、彼らは人間に”見えない”事を前提に戦っているのだと察していた。


「何故、知らないふりなどした?」

「気味悪がられたくなかったから。キミに。」

「俺に?」

「キミが初めてだったから。私を見つけ出してくれたのは。」


今まで、沢山の虚や死神を見てきた。
それでも、彼らは一度だって自分には気が付いてはくれなかった。
当たり前だ、”ただの人間”のはずなのだから。


「人間にも死神にも虚にも無視されていた私に、初めて声を掛けてくれたのがキミ。」

「……」

「だから、知らないふりをして、少しでも気味悪がられないようにした。」

「…お前は…っ」


彼女らしくない。

なんて、幼稚な…


「嘘ならキミだって同じだよ。」

「…、何の話だ。」



「破面は人の魂を喰らう。」


「……。」

「お相子だよ。」

「……何故解った。」


形良く笑顔を作った、自分の傍らに居る少女。


「キミはね、思っている以上に自分のことを知らないんだ。」

「…。」


傍らで空を見上げていたぷらすはウルキオラに向き合う。
大きな灰色の瞳の中に自分が写りこむ度、ウルキオラはゾクリとした疼きを感じる。



「ウルキオラ、キミは心が無いと言っていたけどそれは違う。」

「何故?」


「心の無い化け物は、そんな優しい嘘は付けない。」

「……っ。」


大きな灰色の瞳の中に自分が写り込む度、ウルキオラはゾクリとした疼きを感じる。


「ウルキオラ、血が…」


弾むことの無いはずの心臓が大きく脈打つ。

彼女の指先は自分の腕の傷口に伸びたが通り抜け、やがてその手を下ろすとじっと見詰めた。


「目の前に居るのに、触れることすら出来ないのか。」

「…当たり前だ、俺とお前は違う。」

「でも心は繋がっている。」

「……。」

「キミには見えないキミの心。君の体には触れられないけど、心はいつも触れ合ってる。」

「…心…。」


虚無の自分に…?


「ああ…でも…」


下ろした指先が再び伸びる、

それは優しく


「…なっ…。」

「君に触れられたら、どんな気分なんだろう。」



まるで触れるように、

ぷらすはウルキオラの髪を撫でる仕草をした。


「この髪は柔らかいの?その肌は冷たいのかな?」


髪を伝い、頬を伝い…


「ここは…、」

「……。」


唇…

指先が静かに離れる。


「今日は、もう疲れたみたいだ。」

「そうか。」


疲労感を見せる表情に、ウルキオラは今日ココに来る前に決めていた事を告げる。


「話がある。」

「何?」


「戦いが、本格的に始まる。」



瞳が、疲労感以上に動揺を映した。


「それは…」

「これでお前と会うのは最後だ。」

「…そう…。」



彼女の曇った表情にウルキオラは引き裂かれるような胸の痛みが走った。



「そうなんだ…。」


痛い

痛い


「寂しくなるな。ねえ、ウルキオラ。」


痛い

痛い


「ウルキオラも、寂しい?」



”寂しい”?



「…解らない。」




解らない、

寂しいの”気持ちも”、この胸の痛みも

何もかも。




「……最後に、一度だけお願いを聞いてくれない?」

「なんだ?」


「今日きりなんて急だから、最後を…明日にして欲しい。」

「……。」

「明日で最後。それが私のお願い。」


明日で、本当に最後…


「解った。」


ウルキオラはぷらすの瞳を真っ直ぐに見つめた。
その返事に、ぷらすは少し悲しみを交えて微笑で返す。


「信じてるよ。」




◇◇◇



自宮に戻ると全てが気だるくソファーに横になった。
ここは彼女達の世界とは大分違う、酷く静かな世界。

瞳を閉じれば儚げなぷらすの笑顔。

明日で本当に最後。

それが過ぎればもう二度と彼女には会えなくなる。
空間を共有し、話すことも、あの笑顔を見ることすらも…。


ふと、自分の髪に触れた。
彼女が指を伸ばした場所に、自分の指を置いていく。
こんなにもまじまじと自分に触れることなど今まで一度も無かった。



――「君に触れられたら、どんな気分なんだろう。」



自分も、彼女の髪に、肌に

この指を這わせることが出来たなら…


「……。」


胸の孔がチリチリと疼く…彼女に初めて会った日から、この乾いた痛みは増すばかりだった。


「これも心か…?」


彼女が言った”心”が、
もしも自分の中にあるのだとしたら…。


「そんな馬鹿な。」


自分は虚無を背負っているというのに――?



苦しみも

痛みも

彼女を見るたびに熱くなる

鼓動も…


解らない。


全てが、

理解できないことばかり。




でも




「落合ぷらす…。」




唯一つ、

解ることがあるとするならば…




「俺も、お前に触れたい。」




伸ばした掌は

何も掴むことは無く

ただ白い天井を仰いで落ちた。



◇◇◇



翌日、いつもの様にウルキオラが現世に着くといつも感じるはずの違和感がその日はクリアになっていることに気づく。


(何だ…?)


違和感の無い、違和感。

それは前にも一度味わっていた記憶がある。


まさかと思いながらも彼女を探しに屋上に出ると、緑化された庭園にはあの特徴的な白のシルエットは見当たらない。


「……。」


いつも彼女が決まって座るベンチを独り眺めていると、不意に後ろでナース同士の話し声が聞こえた。


「ねえ、例の子の話聞いた?」

「ああ、よくここのベンチに座ってた例の子?」


ウルキオラは振り返る。


「深夜に、急な発作だったらしいわよ。」

「あら。発作なんてあの子しょっちゅうじゃ…?」

「でもね、それがあの子――…」



次の言葉に背筋が凍る。



”ナースコール、押さなかったらしいのよ。”


ザンッ!!


「きゃ…!」


瞬間に、響転により辺りの草木が風圧で揺れた。


「何?…風…?」







――「ねえ、ウルキオラ。」




嘘だ。




――「また来てくれる?」




響転ですぐさま彼女の病室に移動すると、ベッドは綺麗に片付けられておりネームプレートも消えていた。




「―――…っ。」




――「キミはね、思っている以上に自分のことを知らないんだ。」



ガックリと、自分でも驚くほどに力をなくした膝が地面に着く。幾人の人間達が自分の体をすり抜けていった。


「……嘘だ。」


初めて脂汗というものが自分の額に浮かぶのを感じた。




――「今日は、病室に居るんだな。」


――「え、ああ。そうだね。予感…かな。」


予感。

彼女はわかっていた。




自分の死を。



「…嘘だ。」


信じたくは無い。


しかし現実に、鳴り響くはずのあのノイズが無い。


彼女の生きている証、

彼女からの信号



「…っ…。」



胸の孔の疼きが、激痛のように自分を蝕む。

瞳を強く閉じ、息を吸い込んだ時だった。




――かーごめ、かごめ……





何処からか聞こえる。

あの単調で

奇妙な歌声。



「…まさか…」




ウルキオラは立ち上がると響転で宙に浮かんだ。

そこは初めて彼女と出会った場所。

あのわらべ歌を聞いた、屋上。


そして空から目を凝らす。


「…かーごめ、かごめ…」


何処からとも無く聞こえる声。



「…っ!」



見つけた、白いシルエット。



「……っ!!ぷらす!」



屋上は風が吹いているが、彼女の白い髪はそれに靡くことは無く美しく垂れたまま。

ウルキオラの声にシルエットが振り返る。


「ウルキオラ…。」



そこには、笑顔の彼女。

ウルキオラは前に立つと鋭い目で彼女を睨んだ。


「…何故、諦めた。」

「え。」


屋上に立つ白のシルエットが二つ。


「何故、死んだ!」

「……。」


初めて聞くウルキオラの荒げた声にぷらすは固まった。
ウルキオラ自身、自分がここまで取り乱している事実が理解できぬままで居る。


「俺は…お前に、死ぬなと言ったつもりだったが伝わらなかったか?」

「……。」

「生きて籠の中から出ろと、」

「…ごめん。」


「お前の言う、心とは繋がっていても伝わりはしないのか?」

「……。」


「何故、死んだ。」

「……。」




さんさんと降り注ぐ太陽光には不釣合いな冷たいビル風。


「初めて会った日、本当はあの時私は死ぬつもりだった。」

「……。」


再びあの日と同じ場所に足を踏みしめ、ぷらすは言った。


「この高さから全てを捨てて飛び立たてたら、どんなに楽だろうって。…でもね…」


クルリと体を回転させウルキオラに向き合う。


「キミに会って気持ちが変わった。」

「……。」

「一瞬で綺麗なキミの翡翠、心奪われたんだ。」


心…



「笑えるだろう?死に際に一目惚れだなんて。」



ぷらすはウルキオラに向き合うと一歩前に進む。



「ウルキオラ。」



彼女の瞳に映る自分に、

やはり鼓動はこうも早まる。



「キミが好きだ。」

「…――っ。」

「君だけが私の存在に気づいてくれた。」



この世界で、

ただ独りで、

誰かが声を掛けてくれる事を

ずっとずっと待っていた。



「だから、別れ際にキミに触れられるのならそれでもいいと思って手放したんだ。」


命を。

鎖を。



「…もし、嘘を付いて俺が来なかったらと思いはしなかったのか?」

「思わないよ。キミの嘘を、私は見抜けるから。」

「……。」

「キミはいつも嘘が下手なんだ。」

「ずっと、虚から守ってくれてありがとう。」

「…何故……っ」



何故、こうも

彼女は自分の一歩先に居るのか?



「ウルキオラ…。」


白く長い指先が、

再び自分に伸びる。


昨日までは掠めることの無かった彼女の指先は

自分の髪を梳いた。



「髪は、意外と硬いんだね。」

「ああ。」



流れるように頬へ


「肌はやっぱり冷たい。」

「ああ。」



そして



「唇は…」



グイッ…



唇に触れられるより早く、ウルキオラは腕を掴んで懐に引き寄せるとぷらすの細い顎を持ち上げる。


「……。」

「……。」


そして、どちらからともなく合わさる唇。

確認し合う様な口付けが終わると、ぷらすは顔を離してウルキオラの懐の中で微笑んで見せた。


「やっと、君に触れられた。」

「……。」


やがて彼女の体が優しい光に包まれ、徐々にその姿は透き通っていく。


「お別れだね、ウルキオラ。」

「ああ…。」



つかの間の触れ合いに、2人は手を合わせ瞳を閉じる。


「今更だけど、キミに生きていて欲しいって言われたときは嬉しかった。」

「今更だな。」


「怒っただろう?」


少し困った顔をしてぷらすはウルキオラの頬に触れながら言う。


「…お前の歌…。」

「?」

「籠の中の鳥は、羽ばたけたのだろう?」



その問いかけに、少女は穏やかな笑顔で言った。



「ああ、キミが籠の鳥を見つけてくれたからね。」

「なら、良い。」


「ウルキオラ、いつかまた他の世界に私が生れ落ちる事になったとして、キミが輪廻に逆らい存在し続けるのだとしたら。」

「……。」



透き通る彼女。

優しい声。



「その時は、また私を探し出して。」



彼女の願いに

ウルキオラは頷くと額にキスを落した。


もう先ほどのような感覚は無い。

それは彼女の最後が迫っていたから。


消えかける中、




「愛してるよ、ウルキオラ。」




サアアアアアア…






爽やかな風、

照りつける太陽光

真っ青な空。


透き通り消えていった

彼女。



跡形も無く消えた懐の彼女の空間を、ウルキオラは強く強く抱きしめ言った。




「愛している――。」




囁いたその言葉、

溢れ出るその感情も、

もう、

籠の外へ羽ばたいた鳥に

届くことは無かった。




僕の愛した

籠の目の鳥


それはいつまでも

この刳り貫かれた心に

熱を持たせる。



キミを愛していた。






■籠目の鳥■ -完-




2011.08.05

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