女と初めて出合った12月の近づくある日。
今年も降誕祭前のミサの準備で教会中が慌しくなる頃だった。



「神父様。お体の調子を崩されてはおりませぬか?」



伯爵は酷く焦っているようだった。
小走りに近寄る初老の姿を見て、内心ほくそ笑む。


「耳や鼻、口を刺激する事でもありましたでしょうか…?何か毒物でも仕込まれるような事はありませんでしたか、ジェイド様。」

「私の身体には何も問題はありませんが、何か。」

「…先日お見えになったヴァルス公爵の容態がその後も芳しく無い様で…この様なことは今までに無かった事ですからもしや神父様の身に何かあったのではと思いまして。」


(なかなか察しが良いな…。)


今までならば全快させていたはずの患者の思わしく無い状況に、伯爵は何時になく焦っていた。
当たり前だろう、献金が手に入らない事態は彼にも初めてなのだから。


「そうでありましたか。それは残念な事では有りますが、神の言付けによっても回復の兆しが無いのであればそれこそ神のご選択なのでしょう。」

「それは…!しかし、そうなのですが…。」


言葉を濁す伯爵に目を細める。


「それでは、ミサの時間が近づいてまいりましたのでこれで。」

「ああっ…神父様…ですが、本当にご体調は…、」


尚も縋る伯爵に足を止めた自分はとうとう隠しきれなくなった笑みを浮かべて言った。



「至って健やかにございますよ。エドガー卿。」



女を手に入れてからのこの一年、自分の心は恐ろしいほどに健やかだった。

そして、引替えに女を抱く度力が薄れていく事を感じ取っていた。



(つまりはやはり、この力は神の与えたものだったという訳か…。)



生涯清らかなままであらなければならない司祭だからこそ、神に託された力。

神に背き己を汚した自分に、女を抱く度神はこの力を奪っていっている。



以前ならば吐き気がした伯爵の香りが、今では笑みを零す余裕が出るまで鼻が利かなくなった。

貴族の上っ面な礼の言葉を聴いても、それが嘘かどうかなど解らなくなってきていた。

言付けを口にした所で、その効力も日々弱まるばかり。



(ただの人に戻りつつある…。)



それで良いと思った。


これで”ただの人”に戻り自分が司教の立場を追われ、用無しとばかりに殺される事になろうとも。
自分は教会の裏の顔を知りすぎていた…もう、後には引けないだろう。

しかし…それまでの束の間、あの女が手に入るならばこの生涯に悔いなど無かった。





用が無くなれば殺されるのは自分なのだろうと、踏んでいた。
神を冒涜する行為に、幸せな未来など描けるほど勇気も無かった。

だがそれは、全ての幕を自分が引くという解釈であって…、



だからこそ、頭から抜けていたのだ…

なんて自分は愚かだったのだろう。






「今宵ミサがあるのでしょう?神父様。」

「ぷらす…。」


山の湖畔に佇む寂れた森小屋。
暖炉の火と、互いの体温で温め合うベッドの中で裸の女が形良く笑う。


12月1日。
今夜は降誕祭前のミサが執り行われる。
女と出合って、この日で丁度一年が経とうとしていた。


「神父様への告解はとっても人気があるとお聞きしましたよ。今夜も遅くなられるのでしたら無理に来られなくても良かったのに…。」

「構わん。俺が来たいと思って来ているだけだ。…それともお前は俺が此処へ来るのが不満か?」

「いえ!…そんなこと…」


”あるわけ無い”と言いかけた女の華奢な身体を抱きしめて唇を重ねる。


「…ん…。」

「俺から逃れようなどと、今更考えても無駄だぞ。」


何度触れても口付けても、奪い尽くせぬ女の清らかな薫り。
力を失う事に未練は無いが、女のこの薫りが嗅げなくなるのは残念だった。


「神父様…。」


腕の中で顔を赤らめて見上げる女に、再び湧き上がってくる欲望を感じるとつい可笑しくなって口端を僅かに歪め笑う。


「お前と居ると、俺はどんどん欲深くなっていくな…。」

「人間誰しも心があります…神父様とて仕方ない事ですよ。」

「ふん…心か…。」


覆いかぶさると、まろやかな胸元に口付けを落としていく。
女は迫られるように息を吐いた。


「…ぁ…、っ…神父様…それ以上はお体が…っ、」

「俺に嘘は効かぬぞ。ぷらす。」

「……っ!;」



心あるが故に、この女から逃れられぬというならば…。



「お前も、俺がまだまだ欲しいのだろう?」



神に背を向け、

二人で何処までも…。




「……愛している。ぷらす……。」





幾度かその後も愛を交わして、日も傾きかけた黄昏時。
女は採ってきた薬草を餞別し、俺はその傍らで本を読んでいた。


突然、小屋の扉が荒々しく開いたかと思うと数人の男がなだれ込み……そして記憶が途切れた。






パチパチと暖炉の火が燃える音が聞こえる。

しかしそれはあの小さな部屋の簡素な暖炉ではなく、教会地下に設けられた秘密部屋の暖炉と解るや自分はまだ目覚めかけない身体を無理矢理に起こし声を上げた。



「…――っ何をしている!!!」



徐々に視界が澄んでゆくと、広がったおぞましい光景に息を呑んだ。



「…ぷらす!!」

「…っ、ぁ…神父…さま…。」



陣の中に張り付けにされた女は、罪人を裁く際に掛ける白い布を纏い横たわっていた。


「貴様ら…!この私に無断で何を行っている!その女をどうするつもりだ!」



「おお、ジェイド神父様…!」

「やはり、噂は本当か…何と哀れな…!」


感情を剥き出しに怒声を上げた自分に、黒いローブを被り顔を隠した教会の幹部たちは皆慄きヒソヒソと呟く。

背後に、嗅ぎ慣れた香りを感じて振り返った。


「エドガー卿。…この事態は、貴様が招いた事か…っ。」

「ジェイド様…なんとお労しい…、力を奪われるだけではなく、よもやお心までこの女に取り込まれてしまったのございましょう…。」

「!?…なに、を…っ、」


掴みかかりたくとも、身体にはいまだ力が入らない。
鋭く眼光を向ける間、伯爵が次に言った言葉に自分は驚愕する。



「皆様もこれでお分かりになった事でしょう。ジェイド様はこの忌わしい東洋の魔女によって御力を奪われたのです!」

「…――――!!!」



(…魔女…。)



「おお…何と言うことだ…。」

「ジェイド様…。」

「恐ろしい…まさかこの村に魔女が住んでおったとは…。」



この男は何を言っているんだ。



「神の化身ジェイド司教を誑かし、その力を吸収しようとするこの魔女に裁きを下さねば…!」



聞きたくない。



「そうせねば、司教は今以上に力を無くし、我らへの加護もなくなるやもしれん!!」

「…そうだ!」

「神の力を狙う、欲深い魔女に裁きを!」

「裁きを!!」



聞きたくない。



「やめ…ろ…!!!」



女に構えられた短剣の刃が暖炉の炎に反射しキラリと光る。
女の目からは涙が零れていた。



「…ぁ…あ……神父…さま…っ!」



――やめろっ!!!!



「神よ!!魔女の死で、ジェイド神父に再びお力を与えん事をッ!!!」



ザン!!!!



飛び散った鮮血に、目を見開くしかなかった。






(……――嘘だ…。)





用がなくなれば殺されるのは自分なのだろうと、踏んでいた。

神を冒涜する行為に、幸せな未来など描けるほど勇気も無かった。



頭から抜けていたのだ…


なんて自分は愚かだったのだろう。




まさか、ぷらすが魔女裁判などに掛けられるとは。





自分は人の欲深さを…

甘く見ていた。




「…ぁ…ぁあっ…ぷらすっ…ぷらすっ!!」


這うようにぷらすに近寄ると、刺さった短剣を引き抜いた。
傷口からドクドクと流れる血液に混ざり、彼女の清らかな薫りまでもが溢れ返る。


「ぁ…神父、様…?」

「ぷらす!ぷらす…っ!何故、こんな事に…俺は…っ!!」


俺のせいで…!!


「神父様…だい…じょうぶ…。」


完全に傷は塞がらなくとも命までは取られぬ様、そこに手を沿え力を注ごうとする自分にぷらすはやんわりと手をどけさせる。



「…神父様…、私は…罪を犯しました…。」

「…こんな時に、何を…っ。」

「知って…いたのです…初めから。」

「!?」



それは、彼女の最初で最後の懺悔だった…。



「…神父様…私はアナタを…手に入れては、いけない事…知っていました…。」

「な…っ!!」




「わたし…は…清らかな、アナタを汚しました…。」



「…――――っ。」



何処までも、澄んだ瞳をした女だった。

清らかな薫りを醸し、心地よい声色を持つ…本来、神に愛されるはこの娘のような人間のはずだったのに…。



「汚されてなどいない!ぷらす…お前は私の闇を取り除いただけだ!お前に穢れなどあるものか!」

「…でも、神は…赦しませんでしたわ…神父様……良いんです。私は…それすら、望んだだけの事…。」



血の気が失せ、普段の黄色い肌は白人のそれと同じぐらいになっていた。
紫色に膨らむ唇が弧を描き、慈しむ様に自分の頬に掌を添える。



「ただ…叶うならば…次こそは、アナタと共に…永遠に…。…また…私を、見つけてくださいね…。」

「…!まて!逝くな…ぷらす!ぷらす!!!」



掌に掌を添え。必死に呼びかけた。

大きく肩を揺らし息する女は、本当に美しく…女神の様に笑い、言った。




「神父様…アナタの真実の名を…次の世では…、」




――”次の世では、呼べますように。”




「っぷらす…!!」



ヒュ…と。

一つ息を吸って、女は息絶えた。


トサリと落ちた彼女の細腕に、目が放せず食い入るように見つめ……そして…



「……ぁ…ぁあ…あああああああああああああ!!!!!」



ブッツリと、
今まで自分が必死に塞き止めていた何かが弾けた。



パアアアン!!!!



「ジェイド様!?…っぎゃぁ!!」

「うあああああ!!!」

「こ、これは…一体っ!!;」



萌黄色の光りが弾け空間を包み込んだ瞬間、黒い自分の”影”が変化し近くに居た幹部を独り握りつぶした。



「あ、悪魔…っ悪魔だぁああ!!!」



恐れ慄いた幹部の一人が鮮血を浴びて叫ぶ。
伯爵がこちらを見遣り、恐怖をで震えながら呟いた。



「違う…ルシファー…!!!」



初めてこの教会に来た日に言われた魔王の名を…自分に浴びせた。




(そうか…俺は…。)




やはり、神などでは無かったんだ…。




「ひいい!…っぎゃあああああ!!!!」




断末魔の最後。
年老いた伯爵を踏み潰した”影”は、静かに消えていく。


残ったのは幾つもの肉片と、血溜り…そして愛しい女の亡骸と自分ただ一人だけだった。



「…は……はは…はははは…っ!!」



笑いしか、起こらなかった。

それでも涙が瞳から零れるのは、自分にもまだ心が残っているからなのだろう。



「…ぷらす…。」


彼女を仕留めた短剣を握り締め、彼女を見やる。
こんな場所でも、死んでも尚、美しく輝く女…自分がただ一人愛した人。



(俺のせいで…。)



この耳のせいで。


この鼻のせいで。


この口のせいで。



欲に目が眩んだ人間が彼女を殺した。




彼女を欲した、

この心のせいで。



……彼女は死んだのだ。





「…いらない。」





全て。

何もかも。


彼女を愛してしまった心ですら、今では憎かった。

自分に彼女を欲する心さえ無ければ…彼女が死ぬ事はなかった。




短剣の切っ先を喉元に当てた。

ヒンヤリと冷たいそれは、肌をツプリと引き裂き雫を伝わせる。




――”「神父様。」”




短剣が肌を突き破る最中。
女の声が、聞こえた気がした。



(ぷらす…。)



”神父様。”女は出合った頃からずっとそう自分を呼んだ。
不吉な我が真名を晒せば、きっと女は不幸になるだろう…そう思い努めて隠し続けたその名を教えなかった事を今になって後悔する。



(名すら、解らぬままに…あの女はまた次の世も俺に会う気で居るのか…。)



短剣を奥まで差し込み、呼吸の出来なくなった口からはヒューヒューと情けない音が漏れた。
最後の力を振り絞り、彼女の隣に横たわると冷たくなった頬に手を沿え瞳を閉じる。




…次の世では…。




(俺になど…もう会わない方がいい。)




ぷらす。

次こそは、幸せに。

自分はその傍らにあってはならない…。





(……ならば、せめて受け渡そう…この力を…彼女を守る道具として…。)




自分には、もう何も要りはしない…

心すらも。




だからどうか、


自分の代わりに…


神の力よ…


彼女を守りますように…。







薄れ逝く意識の中で。


命を落とすその時まで。




心よりそう願った…。





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(……月…?)



目を覚ますと、

欠けた三日月が自分を一人照らしていた。


純白の砂漠。

静寂の闇が一面に広がった世界に独り横たわっていた。


此所はどこだ?

消滅した記憶を探っても答えなどでない。
そのうち考えることすら無意味に思えた。



暗闇の中、

辺りを見回せば皆黒く、

自分だけが白い肢体を持っていた。



耳は無く

鼻も無く

口も無く



しばし彷徨い、白く輝く木の中に身体を沈める。

溶けて消え去れば良い物を…自分はその刹那に遠い昔…いや近い過去だろうか?
この清らかな香りを嗅いだ事があると、かすかに思い出した。



パアアアアア!



光りが包み込み。
自分の殻を剥いでいく。

全てが吸収され元の純白の砂漠に転がった時、背後から男の声が聞こえた。




「…君の名は、何かな?」



怪しげな笑みを貼り付け絶対的な力を匂わせそれでも潔白に立ち振る舞う男がそこに立っていた。

気だるげな肢体を起こせば、不思議と当たり前の様にその名を紡ぐ自分が居た。




「我が名は、ウルキオラ・シファー…。」




ウルキオラ・シファー


魔王に酷似した名を持つ者。





全ての感覚を、

心を捨てた哀れな魔物が…



確かに、誕生した瞬間だった。




END



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