***



「神父様。珍しい事でこんな所でお目にかかれるとは…。」

「ああ。」

「先日のミサでのお言葉ありがとうございます。娘もこれで来年良い子が授かりましょう。」

「私の妻もあれから足の調子が良いと言っております。」

「……。」



朝の祈りを終え、夕刻まで予定が空いた為村へ降りていくと自分を見つけた村人は皆わらわらと群がってくる。
口数少なく村人の言葉に返事を返すと、皆満足したのか元の生活に戻っていく。
人混みを抜け、周囲に気を配りながら森の獣道を進むとしばらくして泉の美しい開けた空間が広がり、そこに一件の小さな森小屋が見えた。


森小屋のドアにノックをしようとしたところで、背後から声が降る。


「あれ!神父様、いらっしゃってたんですか。」

「……、近くまで用があってな。そのついでだ。」


自分が村に下りてまでする用事など本来無いが、この国の常識の無いこの女には毎回その台詞で解決するのだ。

野菜や薬草を籠一杯に抱えた女が笑ってこちらに駆け寄ってくる。
近づいてくるたびに彼女から香る深緑の薫りが、いつからか自分にはクセになっていた。
最初こそただの興味で無駄に清らかな空気を持つこの女に会いにきていたが、最近ではそれとはまた違う”何か”を求めて女に会いにきている節を感じる。


(面白い…この自分が欲を満たしに東洋娘の下に通うとは。)


神の使い…修道士や司教は欲を持つことを禁じられる。
しかし、自分は確実に目の前のこの女に没しているようだった。


「すいません私ずっと裏の畑に行っていて…寒かったでしょうお入りください。」

「!」


泥だらけの籠を置き、簡単に前掛けで手を拭った女の手が不意に自分の手に触れ思わず手を振りほどく。


「ああ、スイマセン。私の方がよっぽど冷たい手をしておりましたね…!」


母が子の手を温める仕草に似た物だったのだろう、爪の隙間にも泥が詰まったそれは世辞にも美しいものではないが何故か非常に神秘的に映った。
労働者を表すひび割れた手。
普段相手にする貴族達の手に比べて肉は少なくか細い指先。
その手のイメージがそのまま女の体系にも当てはまり、その度自分は思うことがある。


(着飾らせて磨けさえすれば…貴族よりもよっぽど輝くのだろうに。)


「…?どうかされましたか?」

「いや。上がらせてもらうぞ。」

「はい!あ、ヤギのミルクが手に入っておりますのでそちらを温めますがいかがですか?」

「俺に余計な構いはいらん。」

「…神父様にそのような事は出来ませんよ。」

「……。」


苦笑する女は暖炉に火を入れ、温かくなった室内にホットミルクを持って自分の座る椅子の脇の床に腰を付ける。
一人分の椅子しかなく、それすらギシギシと不愉快な音を立てるが、女だけの匂いが住まうこの小さな小屋で飲む臭いミルクは悪くなかった。


「神父様には感謝の言葉しか浮かびません。」

「何だ急に。」


ミルクを半分ほどまで飲んだ女が形良く笑う。
茶掛かった大きな瞳。クリーム色の肌も同じだが女は黄色人種の類の中では色白の方なのではと思う。

白よりも優しい色合いは無条件に柔らかな雰囲気と溶け込み、女に笑みを向けられる度心が溶けていきそうになる。


「今年はミルクのほかにハムや卵まで買える程になりました。収益が増えたのも神父様のお力添えのおかげでございます。」

「俺は別段何もしていない。働きを褒めるのならば商人に言え。」


森でひっそりと暮らす女に口の堅い商人を紹介したのは、教会から返して直ぐの事だった。
その後商人に聞けば女の作る薬草はどれも栽培が難しいものばかりで、なかなか良い値で売れるらしい。
訳有りな身分の為、得た収益は商人と半々という普通ならばありえないものだが、その分女の情報漏洩には口を硬く塞ぐ様誓わせているため信用は出来た。


「春になればこれより更に多くの薬草が育ちます。商人の方から私が使う生活用品も手に入るようになりましたから、最近はコソコソと村の市へ出る必要もなくなりました。」

「そうか。それは何よりだったな。」

「はい!」


黄色い肌の女が市をうろついているという噂は聞きいた事が無い。
まだ気づかれていない今のうちに女をここに止めて置ければリスクは大分減ったように思えた。


「神父様。何故…神父様は私などにこんなにも良くしてくださるのですか?」


まさか意図的に市に出向かせないよう操作されているなどと知らぬ女は、ボウッと暖炉の揺れる火を眺める自分を見つめ頬を赤らめ言って来た。


「何故だと思う。」

「……それは…、」


問いを問いで返せば、女は目を伏せどこか思いつめたように唇を噛んでいた。


「私が、奴隷商から逃げ出した身分だからでしょうか?」

「ほう、お前はまだ売られる前に逃げ出したのか。」


知らなかった過去に興味を持つと、女は少し悲痛気味に綴る。


「10の年頃でした。領地の川辺で一人遊んでいた所、見知らぬ男達に捕まり気が付くと舟に乗っておりました。」

「……。」

「舟を降り、馬車を乗り継ぎ王都の闇市まで付いた時、男達の目を掻い潜り死に物狂いで逃げました。」


この女が成人しているという事を知ったのはつい最近。
てっきりまだ15程の年齢かと思っていたが、幼い顔立ちの東洋の娘は自分とさほど年が変わらなかった。
領地と聞いて女の生家は母国ではそれなりの階級にあった事が解る。


(所作に妙な品があるのはその為か…、)


凛とした彼女の所作は美しい。
貴族ほどではなくとも育ちの良さは見て取れた。


「その後は?」

「運よく、良心的な教会に逃げ込みそこで数年隠されるように育てて頂きました。」

「良い教会に世話になりながら、何故このような小さな村へ?そこの神父はどうしたんだ。」

「死にました。」

「……。」

「流行り病でした。神父様が亡くなり私を匿い切れなくなった教会に迷惑を掛けてはならぬと自らそこを出たのです。幸い出る頃には言葉も話せましたし、薬学の知識も教わっておりましたから辛うじて生きていく事はできました。」

「ほう。たった数年で言葉と学を…なかなか物覚えが良いようだな。」

「母国では幼い頃より、女では珍しく学を学んで要領得ておりました。兄である長男が早くに無くなり娘の私のみが血を受け継ぐ者でしたので。」

「…両親はさぞかしお前の運命に哀れんでいるだろう。」

「……。」


両親の話を出すと流石に女も深く息を呑んだ。
かく言う自分は”哀れむ”などと言葉を選んだくせに、微塵もこの女の運命に同情などしていない。


女が奴隷としてこの国に流れ着かなければ、自分は出会えなかったのだから。


(俺も大概…歪んでいるな…。)


「憎かろう…。奴隷商人が、手引きした者たちが、お前はさぞかし憎しんで生きてきたのだろう?」


女の本性を探ろうと言葉を掛けてみるが、やはり潔白な女の醸す薫りは微塵も変化しない。
期待を裏切らぬ香りに、自分は安堵する。


「憎くはありません。悲しいだけです。」

「悲しい?」

「私は母国で多くの重圧の中押しつぶされそうに生きてきました。それこそ、憎かったのは己が女であると言う事。此処へ来てからはその重圧も無くなり、薬学を学ぶ事で好きなことにも出会いました。」

「……。」

「貧乏と人に会えぬ寂しさ、両親に親孝行の一つもできなかった事や、世話になった神父様との別れの悲しさは残りますが、私はこうして今も生きております。それが幸福なのです。」

「……。」

「それに…。」


少々含んだように言葉を濁した女は、恥ずかしげにこちらを見やる。


「神父様に出会えました。ですから今は寂しさすらありません…悲しいだけなのです。」

「……そうか。」


パイパチと燃え上がる炎のせいで、暑さを感じた。


「お前、こんな辺鄙な所までこの俺が毎度毎度用事で現れると本気で信じているのか?」

「え?」

「いや…いい。」


空になったカップを机に置き、自分も女の座る床に腰を付けると女は驚いたように慌てて近くにあったひざ掛けをこちらに寄越した。


「床は冷えます!;神父様の身に何かあられては――…」

「構わん、自分の身ぐらいどうともできる。俺の力を知っているだろう?」

「……ぁ…。」


胡坐をかき、膝に肘を付いて斜めに見やれば女は大層顔を赤く染め上げ挙動不審に視線を逸らす。

愉快だ。


「女、俺の噂をお前は何と聞いたことがある?」


楽しげに口角を上げれば、女はおずおずと村中で語られる噂を口にした。


「”ジェイドの司教は人の持つ忌しを鼻で嗅ぎわけ、闇を耳で聞く。神の言付けを口に乗せればそれらは浄化され、加護すら与える。母をも持たぬその存在はまさに神の化身。”…大司教様として王都に上がる日もそう遠くは無いとお聞きしました。」

「くっく…神の化身か…。」


まるで喜劇でも観ているかのように笑った自分に、女は戸惑った。


「俺は生まれてこの方、神の声を聞いたことも無ければ夢に見たことすらない。」

「え…。」


「この力は8つの時手に入れたが理由など解らん。エドガー卿は体面上、神からのお告げを受けたと皆に報告しているらしいが、夢にすら現れぬ神の言葉など誰が言付け出来よう。ましてや神の化身などと、娼婦の子供が何故そう言われるまでになったのか…くっくく。」

「じゃ、…じゃあ、神父様は…っ。」


「馬鹿馬鹿しい。この力に魅入られた者が皆俺を神と錯覚しただけの事。」

「……。」


「俺は、俺の鼻と耳で肉体的・精神的腫瘍を感知し口に出し葬る事が出来る。人は皆この力を良くも悪くも利用する事ばかり考え、それで肥やしを作る。俺が教会に縛られている事を良い事にな。」

「っ!……何故、そのような……。」


「生きる為に。」

「!」



女の表情が凍った。
今まで向けられた尊敬のまなざしが、息絶えたのだろうと覚悟は出来ていた。


「所詮、お前と俺は同じ様なものよ。生きる為に神の僕としてこの身を捧げる自分は奴隷身分も同じ事。力は…それを手助けする道具、生きるためには仔羊たちの望みを聞かねばならぬ。心あるが故に他の動物達より一層欲深くなった人間の…。」

「……。」


力を欲した仔羊から崇められる程、自分は確実に生き延びる。
生きるための道具として神から使わされたこの力を、最大限に利用しのし上がってきた。


「それを含めて神がこの俺に力を託したというのならば、神ほど滑稽な道化師は居ないがな。」


絶句した女を前に、自分はもう押さえなど利かなくなっていた。



「お前は以前、俺のことを悪魔と言ったな。」

「!…あ、あれは…神父様のことを知らなくて…っ。;」

「良い。存外それは間違っていない。つまり俺は力を利用し強かに生きる…神の巣に隠れた悪魔に過ぎぬのかもしれない。」

「そんなこと――…!!!」




正面に座る女に近寄り、顔を寄せた。

びくりと跳ね哀れんだ表情でこちらを見つめる女を見て、自分のなかのタカが外れたようだった。


「この俺が、お前は怖いか…?」


体勢は違えど、縋るようだった。



「俺は…誰をも慈しみ愛さねばならない…仔羊を…しかし、表面では幾らでもそう繕うくせに……心などもう当の昔に壊れている。」

「……。」


女の真剣な眼差しが、自分の罪を更に曝け出すようだった。
この女に嘘はつけない。心がそう叫んでいる。


「怖くなど、無いですよ。」

「……何故。」


柔らかな…笑みと涙を浮かべる女を見て、女は自分の変わりに泣いているのだと解った。
慈しみと愛情の混じる心温まる薫りと声に体中の細胞がそれを求めていた。


「神父様は、私のような者にもこれだけ良くしてくれたじゃないですか…命を救い気を掛けて下さったアナタ様を私は怖がる理由など有りません。」

「……。」

「私は、宗教は解りません。信じる神もおりません、しかし…今の私にはこの目の前に座る翡翠の瞳を持った方こそが私の慕う唯お一人の存在であります。」


女の体から薫る強烈な匂いに、眩暈がした。
いつもならば深緑の中に身を委ねた感覚に近い香りが、どこまでも甘く…まるで熟れた果実に似た香りに変化する。



(ああ…俺は…。)



この女に、捕らわれる。

そう、脳内が自分に告げた。



「アナタ様が悪魔でも、天使であっても…あるいは神であっても。私はアナタ様を見る目は変わりは有りません。初めてお会いしたその時から既に…私は悪魔とさえ見えたアナタ様に心奪われいたのですから。」



優しく鼓膜に絡みつくような声に、息を飲んだ。

胸が熱くなった。
クツクツと喉が鳴る。



「悪魔でも構わぬ…か。」

「はい…。」


俯き不敵に笑う自分を見て、女はどこか不安げながらも重く返事を返した。


「どうやら、お前と俺は互いに心を奪い合ったらしい。」

「え?」


細い腕を取り、引き寄せると容易に華奢な身体は自分の中に納まり、その小さな温もりを抱きとめ紅に染まっている女に言った。



「俺は、一度奪ったものは返しはしないぞ。」

「―――っ、…はい…。」



吸い込まれるまま、唇を落とし女を手に入れた幸福に心から呟く。



「…お前を、俺は愛してしまったようだ…。」



再び重なった体は引き離れることは無かった。


あんなにも清らかだった女の初めて見る艶やかな醜態に、心は歓喜を上げ体は情熱を吐き出す。
骨と皮だけに見えた肌は触れると思ったよりも柔らかく、危険を掻い潜ってきたはずの入口は膜の張られた男を知らぬ聖域だった。


男を知らなかった女と、

女を知らなかった男の身体は、

それでもしっかりと結合し

まるで元から一つだったかのように馴染む。




女を貪り、甘美に浸る。

自分はまさに悪魔だ。



「ぁあ…っ、ふ…ぁああ…!」



暴いた女の身体は…その醜態ですら、白くまろやかで美しかった…。





それからと言うもの、女の山小屋へ通う生活が続いた。

春になり、夏を過ごし、秋の深まりも共に見つめた。


会えばお互いを求め合い、自分は女の中を暴き続ける。



……女は知らなかった。

自分はあえて教える事はしなかった。



禁欲であり、清らかな身体で神に全てを捧げなくてはならない司教の自分が、

女と交わるという事の重罪さを…。



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