終・同じ空の下この幹が有る限り(下)



芙蓉◆




…時は二年前。

一人の破面と一人の科学者が

姿を消す事になった日の早朝の事…。





――「覚悟は良いかネ?…破面ヨ。」



冷たい刃は容赦ない終わりと始まりを備えているようだった。
ウルキオラは再び目を閉じ言った。


「ああ。」



瞬間、マユリは刀を振り上げる。



ザシュン…ッ!…キイイン!!!!


白塗りの科学者が振り下ろした刀はウルキオラの前髪を掠めると、そのまま重厚な床に叩きつけられた。


「……っ!」

「おや、我ながら丈夫に作ってしまったモノだヨ。」



手元が狂ったのかと思いきや、刀を振った本人は刃こぼれだけで済んだソレに不服な笑みを称え、信じられない事をしだした。


バキン!!


「…な…っ!」


マユリは刀身の即部に掌を当てると一気にそれを真っ二つに折ったのである。
それどころか、短い柄の方を投げ捨てると残りの刀身を何度も折り続け粉々にしてゆく。


バキンッバキンッ!


「おやおや、これでは…」


バキンッ!


「……;」

「これでは、もう使い物にはならないねえ。」


血みどろになった両手を楽しそうに眺め、床には粉々になった刀が散らばった。
異常な光景に瞳を見開きウルキオラは言った。


「何のマネだ、涅マユリ。」

「何のことは無い。これはただの事故だよ。」

「何を…言っている…?」


ココまで故意的に刀を折っておいて、平然と事故と言い張るマユリの真意が解らない。


「お前の答えは以前阿近との会話で聞かせてもらった。…だからこれは、私の答えだヨ。」

「……――っ!」

「フン…ッ!こんな刀一つの開発に数週間も私の貴重な頭脳を煩わせていたと思うとこうなってスッキリしたネ。全く。」

「意味が解らん…、お前は正気か?」


血を白衣で拭い止血剤を口に含んだマユリは面白げに口端を上げる。


「ハテ、正気だと?科学者に対してその質問はご法度だヨ。」

「……狂っている。」

「否定はしないがネ。狂っているというならばお前を犬に欲しいといった私の上の者に言ってくれたまェ。」

「……。」


血が止まり、椅子に腰掛けたマユリは言う。


「お前のもっとも幸運だった点は、我々技局にとってこの計画自体は何のメリットも、そしてデメリットも無かったという点だヨ。」

「なんだと。」

「当然ならば中央の命令に背いた死神は何らかの処罰が与えられる。」

「……。」


死神達は中央の命にそむくことは出来ないのが原則である。
そむけば最後、待っているのは島流しか処刑か…あるいは蛆虫の巣行きか。


「しかし、今回の計画の中で私は兼ねてより独自で勧めていた研究のきなヒントに繋がる情報を得ることが出来た。」

「情報?」


マユリが破面戦時から目をつけていた”稀少DNA”。
それを一般化し死神に投与することが出来れば死神の戦闘能力は格段に上がる…今の涅マユリはその大きなヒントを得ていた。


「完成すればお前のような紛い物の死神など…中央は欲しなくなるだろう。」

「……。」


暗に、直ぐに用済みの時期が来る事を悟らせる言葉にも、ウルキオラは動じる様子は無い。

しばらく考えた様子のウルキオラは、思い当たる節を口に出した。



「…それは、井上織姫の能力が関係していたのか?」

「オヤ、察しが良い。何故そうだと思うのかネ?」

「ふん…お前は存外解り易い性格をしているからな。…つまり、お前の本当の目的は俺を囮に井上織姫をこちらの世界へ呼び寄せる事だったのか?」

「ご名答。」

「…ならば尚の事…何故、その刀を折った。」

「…。」


全てを理解したからこそ、納得いかない。


「お前がこの俺や、この計画に興味を持っていないのならば、わざわざ完成したその刀を折る必要も無かろう。俺を中央に差し出せば、尚穏便に済むと思わないのか?」


例え…その後マユリの研究によって、直ぐに自分の必要性は無くなり処分されることが解った所で…ウルキオラはその研究が実を結ぶ頃には最後を遂げているつもりだ。


「それとも、お前も俺の運命に良心が痛むとでも?」


そんな仏心を、この科学者が持ち合わせてなど居るのか?


「…誤解してもらっては困るネ、私は阿近の様にお前に同情してなどいないヨ。」

「……ならば…俺を切ればよかっただろう。お前にとって俺の存在はデメリットこそ無ければメリットも無い。」

「ああ、そうしてやりたいネ。出来る事ならば。しかし、そうもいかない理由が出来てしまったのだよ。」

「?」


マユリは片目目尻をピクピクと痙攣させ、一昨日の夜に見た娘の表情を思い出していた。

目の前に立つ翡翠の破面の為ならば、全てを投げ出しかねない決心を秘めたぷらすの顔。


「お前は、ぷらすの為ならば全ての真実を隠したまま死ねるかネ?」

「ああ。」


戸惑いなど無く頷くこの若い男が、父親心からマユリは憎らしく感じる。


「お前は前に言ったネ。真実とは、時に全てが価値のあるものでは無いと。」

「……。」

「残酷な真実ならば、いっそ知らぬままにしておいた方が幸せな事もある。」

「そうだな。」


頷くウルキオラに、マユリは言った。


「だが、だからと言って我らの心は”希望”の中だけで生きられるほど強くない。」

「…?」

「あの子は、お前に再び出会う事に”希望”を持っている。」

「!」

「あの子の望みを、死神の前に父である私は叶えてやりたいのだヨ。」




――「私も、ウルキオラの事が好き…。」



酔芙蓉の様に、赤く染まった頬で彼女はウルキオラに昨晩そう告げた。
自分の心を差し出す代わりに、どうか傍から離れないで欲しいと願った少女は今はまだあのベッドで夢の中に居るのだろう。


「お前がこの先自分の命を如何するのも、私は関与しないヨ。お前が全て決めれば良い。」

「……。」


どこからとも無く取り出してて来た布をマユリはウルキオラに向けて放った。
広げるとそれは下がり物の古い木綿着物だった。


「悪いが、それは私が古くに愛用していたものでネ。着心地云々は文句言わないでおくれヨ。…まあ、そもそも新品を羽織っていこうものなら追い剥ぎに会う所なのだから調度良いだろう。」

「何の話だ?」


差し出されたメモには流魂街の住所が書かれていた。


「ここの決まりだヨ。死神で無い魂魄は皆流魂街で暮らす。」

「流魂街?」

「まっさらな…ただの魂だけが集う集落だヨ。」

「……っ。」


言葉の意味を理解したウルキオラは、手にした木綿着物を握り締めた。


「そこは我ら十二番隊管轄の番地でネ。暮らしやすさは補償しよう。」

「…元破面の俺が、死神の世界で暮らしている事が他の死神にバレぬとでも思うのか?」

「貴様、私を誰だと思っている?」


訝しげなウルキオラに、マユリは笑みを掲げる。


「…改造魂魄の技術で私の右に出るものはこの世に居ないヨ。お前はまず、過去戦った死神に達にはバレることは無い。」

「?」


絶対的な自信を満たすその言葉には、確かな確信があった。


「本来、ただの魂魄たちは人間であった時の様に人相や体格で識別を行う。しかし、死神はそれを余り当てにしない。何故だと思うかネ?」

「……霊圧か。」

「そう、霊圧だヨ。霊圧は指紋同様に個々によって全く違うものだ。霊圧を感じる能力がある故に、死神は五感からの情報を頼りにはしないのだヨ。…ックック、皮肉な事に、今のお前の霊圧は私が作った”オリジナル”。お前は破面・ウルキオラ・シファーに”瓜二つ”なだけの善良な市民になる。」

「……。」


クツクツと耐えられぬ笑い声を漏らす姿を見て、ウルキオラは呆れた溜息を吐く。


「解ったならばさっさと消えたまえ。正午までならば監視の目を緩めるよう私の方で手引きしてある。」

「……。」


汚れた犬を追い払う様に、手を払うマユリにウルキオラは言った。


「その研究で、お前の今計画に対する罪は本当に無罪放免になるのか?」

「…そこまでは敵わないだろうネ。中央にもプライドは有る…しかしこの研究を知れば、奴らが私を長くは閉じ込めておけないヨ。それほど程までに価値がある物なのだから…せいぜい隔離されても二年か三年と言う所だろう。」

「……。」



「最後に、一つだけ忠告しておいてやろう。」



朝焼けの時刻は当に過ぎ、人々が活動を始める頃になった。


「お前は自分の命の終わり方は自分で決めるといったが、それは孤独を愛する者が言う台詞だ。」


活力を灯す太陽は、容赦なく今も登り続けている。



「お前が孤独ではなく女を愛する者ならば、命はお前の意志で決めるものではない。…愛する女に捧げるものなのだヨ。」

「……。」



大きく開いた翡翠の瞳とは対称に、白塗りの科学者は目を細めた。



「それが解れば、さっさとここから立ち去りたまエ。」



***



それから二年。

そこには、

見間違えるはずも無い

愛しい翡翠の瞳が

ぷらすを見つめていた。




爽やかに吹き抜ける初夏の風を浴びて、年月を経た男と女は静かに互いを凝視し立ち尽くしていた。


「…何で…ウルキオラが、ここに…?」

「…日に二度…ここの畑に水をやるのが役目なんだ。」


水の入った木製のバケツを片手にウルキオラは言う。


「じゃあ、この畑の管理人は…ウルキオラ?」

「いや、正確には別に居る。ただ、まあ世話になっている…俺が。」

「……この、酔芙蓉は…」

「俺が植えた。」

「……。」



薬草畑の青々しい中、白く咲き誇る芙蓉の花は誰が見ても目を引く物だった。


「私…っ、ウルキオラは…虚圏に帰ったって聞かされてて…。」

「事情が変わったんだ。色々と…。」


その言葉を皮切りに、ぷらすは吐き出すように言い放った。


「だったら…!もっと早く、教えてくれればよかったのに!お父さんも、阿近さんも!皆黙ってたなんて…!私、私っ!!」

「ぷらす。」

「…わたし…っ、ウルキオラが――…っ」


大粒の涙とともに溢れ出る言葉。
そして…


「…――っ、生きてて良かった…っ。」

「……。」


つわもの犇めく虚圏に帰ったと疑っていなかったぷらす。
何百年と生きる死神にとって見ればたかが二年の歳月…。
しかし、ぷらすにとってみればこの二年間は…自分が生きた数十年間のどれ程よりも長い年月だった。



「ぷらす…こっちに。」

「え…。」


差し出された掌は、やはりとても白いものだった。
白く節の有る指先は、泥作業をしているものとは思えぬほど傷一つ無い美しいまま。


手を取られ連れ攫われる様に芙蓉の幹達の隙間を縫って早足で歩いていく。


「ウルキオラ…ッ、事情って何があったの?…私、何にも―…ひゃっ!」


花畑の中央まで辿り着いた辺りで、繋いだ手を強く引き寄せられぷらすはよろめいた。

体勢の崩れた先にあったのは二年前に一度だけ肌を合わせた事の有る彼の懐の中、すっぽりと収まったぷらすをウルキオラはキツく抱きしめる。


この感覚を、温もりを…二人は二年間ずっと探していた。



「…ウル…ッ、」

「ずっと…会いたかった。」

「…――!」


息を切らしたかの様な切ない彼の声に二年の年月を感じた。

二人で過ごした時間は流れた時間に比べれば一つの季節にも満たないが、あの日の思いが呼び戻されたかのように鮮明に蘇る。


強く抱きしめ合い、相手の存在を確認しあう。


「解ったよ…何があったのかは…聞かない。こうやってウルキオラと会えたから。」

「……すまない。」


「私、ずっと不安だった。」

「……。」

「またいつか会えるって、信じてい様って決めたけど…二度と、ウルキオラには会えないんじゃないかって不安だった。あの時のウルキオラは…今にも消えちゃいそうな顔してたから…。」


初めて肌を合わせたあの晩。
ぷらすは何度も彼を手放すまいと囁き続けた…それでも、彼は一度たりとも応えはしなかった。


「俺は、確かにあの時…命の見切りはつけていた。」

「!」


ウルキオラの言葉に、ぷらすの体は小さく震えた。
彼の着物の裾を掴む手に力が入る。


「だが…お前の父親に、一つ…希望を貰った。」

「希望…?」


梳くように、ウルキオラの節のある細い指はぷらすの藍がかった髪を撫でる。


「待っていれば…またいつかお前に、あえる日が来るやも知れぬと言う希望。」

「…え…。」

「不思議なものだ…。どうでも良いとさえ思えたこの命も、お前を待つためならば惜しく感じた。」

「…ウルキオラ…。」

「ぷらす。今でも俺を…想ってくれるか?」

「!」

「俺は、今でも未練がましく酔芙蓉に捕らわれたままなんだ。」


あたり一面の芙蓉の花。

彼はこの二年、何を思い芙蓉を植え続けたのか…。

ガムシャラに勉強に打ち込んでいたぷらすには共感するものがあった。



男の懐の中で少女の頬は一足先に朱に染まる。


「…この二年間忘れたことなんて一度も無かった…。」

「同じく。」

「ウルキオラ…私ウルキオラの事が好きだよ。」

「……。こんな姿の俺でもか?」


土で汚れ染みが付き、裾も擦り切れた古着の着物を晒しウルキオラは言った。


「関係ないよ、そんなの。」


言い切るぷらすに、ウルキオラは頭を振る。


「見てくれだけではない。…今の俺は破面でも死神でもない…以前のような力は何一つ持ってはいない。」

「……。」

「お前の為に、命を差し出せといわれれば幾らでも覚悟はある。だが、守りきる事は約束できない。」

「……。」

「そんな俺を…お前はまた、選んでくれるのか?」

「……。」


嘗て、クワトロエスパーダとして戦いの最前線に居た男は、今や全ての力も地位も失った。
見返りの何一つ期待できぬ者に、価値を見出せるのかと聞けばぷらすはクスリと一つ微笑を漏らす。


「良かったじゃない。」

「何…?」


翡翠の瞳に写りこんだのは、自分が愛してやまない優しい笑顔。


「だって、戦いも、競争も、破面も死神も今のウルキオラには何も関係ないなら…ウルキオラは、ようやく全部から…解放さたってことでしょう?」

「……――っ。」



解放。
この言葉の意味を、昔一度あの栗色の髪をした少女と話したことがあった。



「今のウルキオラは、何も背負って無い。」

「!」

「今のウルキオラは…私が好きな、ただのウルキオラなんだよ。」

「……――っ。」



少女の眼差しに、とうに塞がれていた筈の孔が焦がされたようだった。



(俺は…何かを勘違いしていたようだ…)


虚無と言う大罪は、いつか自分の背後に忍び寄り飲み込んでいくものだと思っていた。

しかしこの二年間を振り返れば虚無おろか、自分は酔芙蓉の花を植え少女との幸せな思い出だけが積み重なり心を埋め尽くしていた。

そして今、目の前には愛しい少女が…自分の未来すら明るく灯している。


そこにはもう、自分の器を糧に住み付いていた悪魔は居ない。


「もう…とっくに…俺は自由だったのか…。」

「?」


空を見上げ、立ち尽くしたウルキオラに少女は微笑む。


「私は、ウルキオラに守って欲しいなんて思わないよ。」

「…?」


「だって、これからは私がウルキオラを守ってあげるから。」

「!」



笑顔の少女は屈託無くウルキオラに言った。
二年経とうと、芙蓉の様なその笑顔に変わりは無い。


「…この俺が、お前に守られるのか…。」

「うん!私、鬼道が得意なんだよ!」


ただ父の背中に隠れて、自信の無かったあの頃のぷらすはもう居ない。
彼女も二年間で成長したのだ。


ウルキオラは些か不服そうな表情を滲ませたが、輝く大きな瞳にそれもうやむやにされる。



「フン…それも存外、悪く無いかもな。」

「やっと、ウルキオラにお返しできることが見つかったね。」

「……、ぷらす。」

「ん?…わわ…っ!」



酔いの周る前の、まだ白い酔芙蓉が風に棚引きその花弁を揺らした。

その幹たちに見守られる中、二人の影は重なり…一つになる。



「こうして寄り添える事は少なくとも、互いの時の速度は変わらない。」

「うん。」

「壁が二人を隔てようが、時間は平等に俺にもお前にも分け与えられているから。」



流魂街と瀞霊廷。

場所は違えど

同じ朝日を向かえ

月を見ることができるならば…





そう、

この幹が

この私達が

存在す限り






「…大好きだよ…ウルキオラ。」



きっと何度でも、

出会うたび

互いに酔って、

白い心を恋の紅に焦がすだろう。


一日限りの花

しかし、

枯れることは無い幹

それはまさに…

酔 芙 蓉


   -完-





------------


あとがきは後日更新いたします…。


2012.06.29up

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