終・同じ空の下この幹が有る限り(中)
◆酔芙蓉◆
――「ウルキオラ・シファーは一体、いつ死んだんですか?」
マユリは些か時間を空け口を開いた。
「つまり…私が、ウルキオラ・シファーを殺し、研究結果を得たと言いたいのかネ…。」
「……―っ。…はい。」
「フウ…参ったねェ…。」
長い溜息の後、マユリは阿近から手渡されたデータ書類を放り投げる。
「…っ!」
ヒラヒラと舞う、数枚の白い紙が返答を待つ身としてはスローモーションの様に写った。
「…研究者は全ての検体に対し可能性は見出しても自己暗示はしてはいけないと、昔お前に教えたはずだヨ。阿近。」
「……。」
「思い込みとは時に些細な事実を見逃す恐れがある。よって科学者は予想は立てても暗示はしてはならない。」
「局長、答えてください!」
「……。」
鬼気迫った阿近の促しに、マユリは呆れた様に両手を広げる。
「答えはノーでありイエスでも有るヨ。」
「!」
「…お前の推測は半分は合っているが半分は間違っている。…現に私はこの二年間、虚圏になど行っては居ない。居たのは…中央監視下にある…独房だヨ。」
「!…独房!?;」
「察しの通り、研究結果を得る為にウルキオラ・シファーならびに井上織姫を利用する目的で計画に参加した事が中央にバレてネ。しかしながら今回の研究結果の先駆けを司法取引に出した途端ヤツらは目の色を変えたヨ…ククッ…」
「…な…っ;」
「二年間の、独房での監視付き実用化研究は…まあ悪くはなっかったがネ。」
「…――っ。;」
余りに範疇を越えた回答に阿近は声も出せないでいると、マユリは答え合わせを行う教師の様に弁論を広げる。
「つまり私はずっと独房の中で生活をしていたんだヨ。だから、翡翠の破面の現在の動向を把握出来るわけも無い…すなわちヤツの生死など知ったこっちゃあ無い。」
「じゃあ…!;このレポートの破面の死体より摂取したDNAと言うのは…っ。」
「君は、私が日に何体の破面の死体を解剖していると思っているのかネ?…別にわざわざあんな気難しいエスパーダを切り刻まなくとも…死人に口なし。私の最も好きな言葉の一つだヨ。」
「!!;……そう…だったんすか。」
まさか独房にいたとは思ってもみなかったが…。
肩の力は抜け…反面、少しばかり安心した様な、妙な感覚が阿近を包んだ。
「どうだい?気が済んだかネ?頭の良い…可愛い部下ヨ。」
「……はあ…。;」
「まあ、それだけの情報量でここまで推理できたのは褒めてやろう。しかし、最後のツメが甘いねェ…。」
「……。」
彼は、自分の娘が愛した男を自己利益の為だけで殺してはいなかった。
これで心底、自分の長年にわたって尊敬してきた上司を一人見損なわずに済んだのだ。
「ん…でも、待ってください…。だったら何故…ぷらすだったんですか?」
「?」
安心のつかの間、湧き出たように新たな疑問が浮かぶ。
「どうでも良かったはずの計画の為に、ウルキオラ・シファーをわざわざ洗脳までさせることは無い。…なのに何故、ぷらすをヤツに引き合わせたんですか?」
「!…ックック…ッ」
阿近の言葉にマユリはクツクツと喉で笑い声を上げ腹を抱える。
「…?…局長?;」
「……クックック…。お前は、本当に私があの子を洗脳の道具に遣ったとでも思っているのかネ?」
「え…っ。」
完全に馬鹿にされた笑い声に不愉快さを覚えながら阿近はマユリの回答を待った。
「私はネ。あの子の父親なのだヨ。…可愛い可愛い私の娘を他の屑隊士同様に扱うと思うかネ。」
「…じゃ、じゃあ…;」
マユリの人差し指はクルクルと円を描きながら周る。
これは彼がなにか意地の悪いイタズラをした時の話をするクセだ。
昔から大抵この手の話しを聞く時の阿近は、最後にそのイタズラの火の粉を被った被害者に同情している。
「この計画を初めて聞き、あの破面の欠片を目にした時…思ったのだヨ。」
「?」
「孤独を模した瞳に白い肌、黒い髪。そして誰をも寄付けぬその振る舞い。」
「……。」
「性格的なものは、井上織姫の当時の証言によって得ていた物だが…非常に、昔の誰かに似ているとは思わないかい?ねえ…阿近?」
「……え…?;」
そこで阿近は盛大に顔面を引きつらせた。
思ってもみなかった火の子を被ったのは…もしかして…
「私の娘に長年色目を使っているくせにいつまでも煮え切らない、どこぞの科学者がネ…ぽっと出の破面にちょっかいをかけられてどう反応するのか知りたかったヨ。」
「はあ!!??;」
ニンマリと笑ったマユリは目の前に居る助手を下から上へ舐めるように視線を這わす。
「局長…俺の気持ち…何故、知って…?;」
「お前の感情など、私は全てお見通しなのだヨ。全く、頭は良くてもとんだ腰抜けの部下を持ったものだネ。」
「……まっ、まさか…本当に、そんな理由で…??;」
悪ふざけにしては、緻密さと趣味が悪すぎる内容に阿近はワナワナと体を震わせた。
「そんな理由とは失敬だネ、阿近ヨ。親とはネエ…娘をいつまでも囲っていたいと思う反面、いつか花嫁姿が見たいと思うものなのヨ。」
「…は、花嫁!!??;」
(…局長の台詞とは思えない…!!;)
だってそうだろう。
彼ほど歪んだ愛情と征服欲を持ち合わせた死神は瀞霊廷中探した所で、そう居ない。
てっきりぷらすは一生涅マユリと言う名の折の中でのみ飼われていく存在なのだと思っていた為、耳を疑うしかなかった。
「何をそんなに驚くことがある。私だってネ!あの子が”実の娘”ならば汚らわしい他の男なんぞにくれてやる気も無いのだヨ!だが、残念な事にあの子は私の血は引いていない!」
「……?;」
なにやら葛藤の見えるマユリの言い回しは、聞いている側としては非常に不自然なものだった。
「あの子には…私以外の男と生涯幸せに添い遂げてもらう。そう言うことになっているんだ。」
「え…そう、なんですか?;」
一体、誰との約束なのか?
そう聞こうと思ったが、マユリの矢継ぎ早に飛び出た言葉で掻き消される。
「まあ、現時点で娘を誰かにやる気はサラサラ無いのだがネ。だからと言って、あの子の一番近くに居る男がいつまでも私の監視などに怯えるヘタレでは…」
「…ッ!;」
「もし現世にはびこっている様な薄っぺらな愛情で私の可愛いぷらすに、ある日突然迫る事があったなら…それこそあってはならぬ事態なのでネ。お前の覚悟と本心を知りたかったのだヨ。」
「…そんな…;」
事の真相は、信じられないほどに幼稚なものだった。
つまりこの父親は…愛しい娘の近くにいる男(つまり阿近)が本当に娘に相応しい男なのか品定めする為に、あの翡翠の破面を自分の研究目的の”ついで”にぶち込んだのである。
(なんて…自分勝手な人だ……っ。)
自分の欲望を満たすためならば、多大なリスクをも背負って実行する。
それは時に、法を司る最高機関や自分を尊敬し長年尽くし続けている部下であっても…躊躇などしない。
「あの破面は十中八九ぷらすに絆されることぐらい予想は付いていたヨ。ハア…そこまでは、計画通りだったのだがねェ。」
「!」
「言っておくが。最初は、本当にただの”嫌がらせ”のつもりだったのだヨ。」
「……。」
その言葉に苦い表情を浮かべたのは阿近だった。
「…お前とぷらすの間には強い絆がある…初心なぷらすはきっとその絆の名前を知らぬだけなのだろうと、私は勘違いしていたようだ…。全く情け無いが、自己暗示に掛かっていたのは私の方だったのだヨ。」
「……っ…;」
「見事予想は覆され、ミイラ取りがミイラになった頃にようやく気が付いた。まさか、あの子まで翡翠の破面を愛してしまうとは…恋愛とは…科学者泣かせにも程が有るネ。」
同情の眼差しでもなければ、憤慨の眼差しでもない…研究者が検体を見つめる眼差しで、ただマユリは阿近に皮肉を漏らす。
「どうだい?負け犬になった気分は…私が、憎かろう?阿近。」
「…っ、負けただなんて思ってませんよ。俺は。」
憎いかどうかの返答は伏せて、阿近は鋭い眼光を向ける。
「ハテ、違うのかネ?それにしては…破面が去って二年も経ったのにも関わらずお前とぷらすは何も変わらない。てっきり諦めたものかと思ったがネ…?」
「諦められるわけ無い…!」
「!」
希薄の篭った言葉に、マユリは出しかけていた皮肉の言葉を思わず呑み込んだ。
「確かに、俺は…少しばかり覚悟が足りてネエ時期が長かったっす…局長のおっしゃる通り…今回俺はそれで痛い目見ました。」
「……。」
思い返すはあの翡翠の瞳の青年。
愛の密度に年月は関係していても、恋の始まりに年月は関係しないという事を阿近はその青年によって嫌なほど味合わされた。
「なら、何故今になってもお前はその場に立ったままなんだネ?…あの子はこの二年で一歩も二歩も歩みだしてるというのに。」
「…俺が、嫌なんすよ。単純に。」
「嫌?」
自傷気味に笑った阿近は、庭に咲く芙蓉の花を見つめ言う。
「…他の男への失恋につけ込む形で手に入れたくなんて無い。アイツが自分の気持ちにケリが付いたときに打ち明けたい。」
「……随分と悠長な事を…。」
「ええ。もう数十年間俺は待ってきたんだ。今更あと数十年や数百年くらい余裕っすよ。」
「……。」
清清しいほどに、待つことを選択した阿近にマユリはしばらく言葉を無くすとやがて口元に手を置き目線を斜め上に上げる。
それは阿近とは正反対の…なんとも言えない、臭いものでも嗅いでしまった様な微妙な表情。
「気持ちに決着ネェ…?……ならばお前には悪い事をしたネ…。」
「は?」
最後の言葉を極端に音量を下げて呟いたマユリに、阿近は聞き返す。
「まあ、私としてはお前の本心がしっかりとしたもので安心ヨ。ウン…だからと言って、今すぐお前にやる気はサラサラ無いのだから、これからも日々我が娘に見合う男として精進したまエ。」
「??;」
急に取り繕った様な言葉と共に視線を合わせたマユリは、やはりどこか意地悪げに笑っていた。
阿近の嫌な予感が背後から迫った。
「…ちょ…ちょっと、待ってください。局長。もう一つ、聞きたいことがあります…。;」
「何だネ?」
ここで阿近は振り出しに戻り、全ての現況となる一つの問題を思い出したのである。
「結局、”破面完全死神計画”は…成功したんですか?」
***
「うーん、この辺で良いはずなんだけどな。」
マユリに手渡されたメモを頼りにぷらすは森の中を歩いていた。
住所として書かれていたのは、流魂街でも比較的治安の良いとされる土地。
(まさか、場所が流魂街だったなんて…。)
盗賊などに出会う心配は無いだろうが、今まで瀞霊廷内しか歩いたことのないぷらすにとって流魂街は未知のエリアだけに不安が過ぎる。
何かあっても良いように斬魄刀を握り締め歩み続けると、森を抜けたところに広くはないが開かれた土地が現れた。
(もしかして、ここかな…?)
幾つもの畑がある中央に民家が一つあるだけのその空間。
畑道を民家に向け歩いていくと、嗅ぎ慣れた香りに足を止める。
「あ…。」
青々とした薬草達ばかりが生える畑の中、その一角だけは芙蓉の花が咲き誇っていた。
しかし幹から花を咲かせる芙蓉は庭に普段咲く淡紅色のものより更に白い。
(違う。…これは…、)
「酔…芙蓉…?」
思わず、畑に入り手を伸ばした。
白い芙蓉の花はまるでぷらすを歓迎するように優しく吹く風に乗って揺れる。
「……。」
鼻いっぱいに香りを吸い込みぷらすは空を見上げた。
――「間違っても俺のこのベッドに手向ける様な事はするなよ。」
「……。」
二年前、この花を見る約束をしたあの青年は皮肉交じりにそんなことを言っていたのを思い出した。
(結局、花を手向けるどころか…、酔芙蓉には今近づく事だって出来ないよ。)
思えば、こんなにも間近に酔芙蓉を眺めたのは久しぶりだと気づく。
未だに…庭に咲く酔芙蓉の花には思い出が残りすぎていて近づくことが出来ないからだ。
最後に酔芙蓉を見た二年前。
ぷらすはあの夏の日から、悲しみを振り払うつもりでガムシャラに勉学に打ち込んでいった。
芙蓉の花の命の様に、儚く散った恋心。
しかし、その幹は未だにこの心に根を張り
あの翡翠の色の美しさを忘れさせてはくれないのだ。
「……。」
忘れたいなどとは思わない。
それでも、こうして彼を思い出したとき
心の奥が痛むのは、
きっとまだその傷が癒え切っていないから。
もしかしたら一生癒える事など無いこの傷ごと
ぷらすは彼を今も愛している。
「…私、変わっていくよ。これからも…。」
喪失感で時は止まらない。
ならば自分は残されたこの時間を、
彼を思う気持ちを糧に、進んでいく。
いつか…
いつかきっと、再び出合った時。
自分が胸を張って彼に笑える様になって居たいから…。
「ウルキオラ…。」
ザワザワと揺れる芙蓉の幹と広がる青空は、彼を失った日の朝に良く似ていた。
胸に手を置き瞳を伏せて、今日もぷらすは彼を思う。
その時、背後の森の木の陰から声が聞こえた。
「そこに居るのは誰だ?」
「あ、すいません勝手に畑に入って…、…――っ!」
現れた畑の管理人に、ぷらすは振り向くと体を硬直させる。
「…――なん、で……っ。」
男も、ぷらすを見て同じように体を固めていた。
「ぷらす…。」
視界に入った漆黒の黒髪が風に舞う様子に息を呑む
「ウルキオラ…。」
対峙した二人はしばらく、言葉を失ったままだった。
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2012.06.29up
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