9・告白(後)※



芙蓉◆



その後、阿近の自宅に着くまではまるで通夜の様な空気だった。
阿近は隊舎に住まいを設けてはいるが、実際のところほとんど寄り付く事は無い。
布団と大量の書物が収められた本棚、簡単な日用雑貨だけが並べられただけの殺風景な部屋にぷらすを通すと、とりあえずあまっていた日本酒を棚から取り出し色気のない湯飲みに注ぐ。


「いただきます。」

「どうぞ。」


湯飲みのせいか、まるで茶を啜るように酒を口に含んだぷらすは飲み終え息を吐く様にしてこう言った。


「私、とうとう最後までウルキオラに何もしてあげられなかった。」

「…そうか?」

「うん…。もっと注射も上手くなる予定だったし、料理もいっぱい作ってあげたかった…。」

「お前は、頑張ってたじゃないか。」

「頑張っても、時間に追いつかなかった。」

「そうか…。」

「明るく…見送ってあげようって、昨日一晩考えて決めてたのに…それも上手くできなくって…」

「……。」

「今だって…。」


胸の内を少しずつ解くかのように、ぷらすはポロポロとそんなことを話し出す。
上の空の返答を決め込みながらも、阿近はたまらず湯呑みいっぱいの日本酒を一気に飲み干した。


「ねえ、阿近さん…」

「ん?」



「阿近さんは、好きな人っている?」



一瞬にして、湯呑み一杯分の酔いは冷めていった。



「…何んで?」

「芙蓉をね、見る約束をしてたの。酔芙蓉。」

「庭のか…」

「うん。」



技局の庭に咲き乱れる芙蓉の花々。
その中の一つに酔芙蓉の幹はあった。
本来日が沈めば枯れるはずの一日花、しかし酔芙蓉だけは夜が深くなるごとに色を増し紅に染まる。


「何でだろう…、頑張ったのに努力したのに、全部上手くいかなかった。」

「……。」


ぽたりと、湯飲みの中に雫が一つ零れ落ちる。



「たくさんのものを貰った…、なのに何一つ私は返せなかった…っ私は…!」

「ぷらす…。」


めったな事では泣かないぷらす。
いつも決まって悔しいときにしか彼女は涙を見せない。


「阿近さん…、阿近さんには、そんな大切な気持ちになれる人はいる?」


涙を零すぷらすの居るその情景に、阿近はどこか昔の…彼女に初めて恋焦がれたときの記憶が蘇った。



「……いるよ。」



今、ここに。



「もし、その人が居なくなってしまう時が来て…阿近さんなら如何する?」

「……。」


大粒の涙が零れ落ちながら、少女は阿近に擦り寄った。

ウルキオラとはもう二度と会うことなど出来ない。
なのに彼女は今もこうしてヤツを思い、自分を見つめている。


「……――っ、」



言い様の無い思い。

怒りでも

悲しみでもない

ただ、目の前に擦り寄る少女にもう歯止めが利きそうに無かった。



(…ああ、局長…スイマセン…。)



懐で小さく震えるぷらすの肩をゆっくりと抱きしめる。
すっぽりと収まるその華奢な体に、自分はどれだけ長い年月思いを馳せていた事か…。


「ぷらす…良いこと、教えてやるよ。」

「…え…?」


抱きしめているから彼女の表情は見る事はできない。
自分の今の醜い表情も、彼女に見られる事は無い。



「悲しいとき、辛いとき…如何しようもならないとき。」

「…うん。」

「…そういう時は…、」



耳元で囁いた、

全て

もう

どうにでもなってしまえ。




「…他の男に、抱かれちまうのが手っ取り早い。」



この言葉の意味を、きっと少女は解らない事も承知の上で…。



「…?…阿近さん?」

「……。」


抱きしめる腕の力を強くすると、ぷらすは苦しそうに上ずった声と共に息を吐く。
その声が自分を更に欲情させて、白衣を着ていないぷらすの死覇装の共衿を乱した。


「…ぷらす…っ。」

「…ひゃ…っ、」


重なりながらもつれ合うようにして布団に引き込むと、彼女の首筋に唇を落とす。
柔らかな体に、手を這わせ肌蹴させた共衿から覗く小さな膨らみを覆うと強弱をつけて揉みしだいた。


「…ひぁ…!…阿こ…さ…!?」

「……。」

「…んん…っ、ぁうっ!」


どうして良いかも解らず、ただされるままにその感覚に悶える少女の声に阿近は返答しない。


拒みもされず、肯定もされず…。

解ってはいたが、ぷらすは本当に無知な少女だった。


撫で回した乳房に唇を寄せると、啄ばむようにその先端を弄る。
ぷらすの声は一層に高いものになって、阿近の頭に手を乗せた。


「あぁ…ん!阿近さ…何か、変だよ…、や…ぁ…!」


ツンツンとした直毛の固い亜近の髪を掴み、ぷらすは唇を噛み締め感じた事の無い感覚と戦う。


「…ぷらす…忘れちまえよ。」

「ぁ、阿近さ…っん…!…ふぁ…っ;」


「忘れろよ…!…ぷらす。俺はお前の傍にずっと居てやるから…。」



絶対に、傍を離れるような事なんてしない。

彼女はまるで芙蓉の蕾。

その幹に水をやり続けてきたのは自分。

悲しませる事も、寂しがらせる事も、自分は彼女になにも不自由はさせない。


だから…



「あの、破面の事は忘れろ…っ。」



無防備に開いた唇に自分も同じ場所を重ねようとした時、ぷらすは瞬時に手でソレを拒んだ。


「いやぁっ!!」

「…――っ!!」


初めて放たれた拒絶の言葉に、阿近は我に返って瞳を見開く。


「ダメだよ…!…阿近さん…っ、」

「……ぷらす…。」


「ここは…、ウルキオラが…。」

「!」



無知な少女は、解らずとも他の男に奪いかけられた唇を必死で守った。

全ては彼女のそこに、初めて触れた男の為に……。


全ての意味を悟った阿近は、ガラガラと崩れ落ちる心の音に耳を傾けながら自傷気味に笑みを浮かべる。



「…は…っ、他は構わねーのに、アイツが触れた唇だけはダメだってか。」

「……阿近…さん?」

「……ちくしょう…っ。」


だれがこんな不器用な娘に育てたのか。
責めたい所だったが、あいにく阿近にはそれもできない。

ゆるゆるとぷらすの上から退くと、阿近は乱れた死覇装もそのままに日本酒を一升瓶ごと煽った。


「阿近さん!?;…どうしたの!?;酔っ払ってるの!?」

「はあ?俺が…っ?…っち、つまんねー…まあ良い。そうしてやるよ。」

「???;」


全ては酔いの回ったせいだと解釈したぷらすに阿近は弁解する気も起きずに一升瓶をドスンと床に置くと言った。


「いつまでこんな所にいるんだよ。」

「え?」

「お前は…お前は如何したいんだ?アイツに、何を望んでる。」

「…!」


死覇装を整えていたぷらすの手が止まる。
阿近はいつもよりも些か厳しい目でそう言ったが、決して怒りを含ませたものでもなかった。


「お前の笑顔で見送るってのは確かにあってる。でも、ソレはそこらの死神がやるセオリーだ。」

「……。」

「お前は死神、アイツは破面。んなこたぁ、誰だって解ってる。だがな、お前とアイツはそんなセオリーに収まるような仲じゃねえだろ。」

「…!」

「初めて、お前が技局に来た時も…お前はゲテモノ揃いの俺らに周りの死神とは別の態度で接してきただろ。…お前は、お前の思いをちゃんとアイツに伝えねーと先には進めねぇんだよ。」

「阿近さん…!」


摂理から逸脱した破面という魂を、他の死神たちは如何思おうとも。
ぷらすは絶対に”違うもの”とは捉えない。

笑顔でお見送りだなんて物は、ぷらすには最初から本心として出来るものではない。

だったら、自分は何を伝えたいのか…



「私、ウルキオラのところに行ってくる!」

「……ああ。今晩は局長がかかりきりで居るらしい。事情をしっかり話せば少しぐらい二人の時間を取ってくれるさ。」


ぷらすの決心に、阿近は優しく頷く。


「ありがとう、阿近さん!」


慌てて立ち上がったぷらすは、そのままの勢いで阿近の部屋を後にした。


「……。」


彼女が何を伝えようとも、運命はそう簡単に変わるものではない。

それでも…彼女が本当の意味で彼との別れを受け入れるには…少なからず本心を一度全て晒さなければならないはずだから…。


「コレで良かったんだ…。」


阿近はそう呟くと、再び一升瓶に手を伸ばした。



***


「はぁ…!はぁ…っ!!」


初めて一人で通る夜道。
優しく照らす満月と頼りない街頭の明かり達を辿って通いなれた技局の門を潜ると、ぷらすは真っ先にウルキオラの居る治療室に足を運ぼうとした。


「…ぁ…あれ…?」


不意に目に入った光景に、ぷらすは焦っていた事を忘れ足を止める。






満月の夜は新月よりも人を孤独な気分にさせるものだと、ウルキオラはベッドに横たえながら思っていた。
先ほどまで様々な数値を取っていた白塗りの科学者ももう居なくなり、残すは明朝の術式だけとなった。

きっと明日を終えればそう長くない自分の命に、語りかけるように月を眺め庭先の芙蓉の幹達に目配せする。
日が落ちると共に枯れてしまう芙蓉の花は今はもう成りを顰め幹の青々しい緑だけの姿になっている中、一つの幹に目を留める。


「…今更か…、神はどうにも俺が気に入らぬらしいな。」


まさか、今日その花を拝む事になるとは。

少女との約束はとうとう果たされる事は無かったのだ。


「……。」


もう眠ろう。
そう瞳を閉じると、なにやら扉が勢いよく開いた音がこだました。


「なんだ、まだ数値が……っ、…ぷらす。」

「はあ、はあ、…ウルキオラ…」


現れた少女にウルキオラは夢でも見ているのではないかと驚愕する。


「何故…こんな時間に…、」

「あはは、ごめん。私やっぱり良い足りない事ばっかりで、それに―…」

「!」


彼女が差し出した手には、先ほど眺めたばかりの紅の花が握られていた。


「酔芙蓉…。一緒に見れたね!」


満面の笑顔のぷらすに、ウルキオラは面食らう。


「…馬鹿が、わざわざ摘み取らずともココから見える。」

「あ!?;そうだった、本当だ!;」


ヨロヨロとしながらぷらすはいつもの椅子に腰を下ろすと盛大な溜息を吐いた。


「…酒を飲んでいるのか?」

「え?あ…うん。ちょっとね…。」

「それで、酔いに任せてココまで来たと。」

「えへへ…;」

「何をしに来た。」


苦笑しながら頭を掻いていたぷらすの手がピタリと止まり、真剣な表情でウルキオラを見た。


「…お願い、しに来たの。」

「何?」



怪訝な表情で彼女を見る。



「ウルキオラに…虚圏に帰らないで欲しいって言うお願い。」

「…!…お前、その意味がわかって…」

「解ってるよ!本当は死神ならウルキオラを引き止めちゃいけないって事ぐらい、解ってる!」

「……なら何故。」

「だって、私が…ウルキオラにお返ししたいから。」


芙蓉の花の茎を握り締める少女。


「貰ってばかりの私から、今度はウルキオラに返したいものが沢山あるから…。私、ウルキオラに虚圏に帰って欲しくない。」

「……。」

「ウルキオラと、離れたくないの…!」


笑顔から困った表情になり、今は涙を瞳に溜めて…なんと様々な表情をする娘だろうとウルキオラはその必死の訴えにゾワリとした震えが走った。


「私じゃ…私じゃウルキオラがここに居る理由にはなれないかな?」

「…―――!」


理由になどには、とうの昔からすでになっている。

しかしそれは、知らぬ真実の中の話。

彼女の願いを聞き入れてやることは…自分には…



「…何も返せていないなとどとは言うな。」

「…え…?」


「俺は、お前に心を与えてもらった。」

「心…?」


手を伸ばし、濡れる少女の睫毛に触れて雫を拭った。


「目に見えぬ己の核となるモノ。俺一人では到底…見つける事などできなかったこの感情を、お前は俺に与えたんだ。」

「…ウル…――っ、」

「ぷらす。」


クンと肩を引かれてぷらすの視界はひっくり返った。
気が付けばベッドに組み敷かれ、天井と…美しい翡翠の青年が自分に覆いかぶさっていた。


「お前を、愛している。」


「――!」



月夜に咲いた八重咲きの酔芙蓉…。

短い命を一晩燃やすその様は

まるで結ばれぬ運命に落ちた男と女の


恋焦がれるその思いを

強く、儚く、身を焦がすように


紅く

紅く

染まっていく。




「私も、ウルキオラの事が好き…。」



朝日が昇って

花が枯れるまで、

一瞬たりともあなたの事を…



「離したくないよ、ウルキオラ…。」



落ちてきた唇を瞳を閉じてぷらすは受け止めた。

彼は、彼女のその訴えに最後まで返事をする事は無かった。




それでも、

今だけは離れまいと

やがて昇る朝日に怯える様に

必死に心と体を寄せ合い

愛を心に刻んだのだ。







-------

次回でようやく最終回になります。
阿近さん…!未遂でしたけど頑張った!大健闘でした!←←
このお話と最終回の間のお話はオール裏になるので裏ページに置かせて頂きます。
(読まなくてもストーリー上は問題ありませんよ!)

2012.06.10up



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