9・告白(前)




意味なんて無かった

この心

この身体

でもね、

あなたが触れたその瞬間から

きっとそこには特別な意味が与えられるの…



芙蓉◆



今まで存在してきた中でこんなにも穏やかに時が過ぎた事は無かったと思う。
彼女が最後の薬物投与を終え、名残惜しそうに去っていったのは一時間前の事。
幸福な時間とは意地悪なもので過ぎるのを早く感じさせた。

ウルキオラはもう何冊目かになる書物の表紙をパタリと閉じると開け放ったままにしてある窓に目を向け空気を吸い込む。

瑞々しい初夏の緑の風邪の匂いは尸魂界に来て初めて体験したものだ。
虚圏に居た頃も度々現世に降りた事はあったがその時はいちいちそんな物を意識したこともなかった。
ゆったりと、しかし振り返ればめまぐるしい矛盾の中にある心地良い時の流れに、この自分が身を置く事になるなどとあの時は予想だに出来なかっただろう。

閉じたばかりの本の表紙を一撫でした。
重厚感ある歴史文学の書物はそれに見合わぬ少女が自分に手渡したものだ。
彼女の父の書斎から父の指示通りの本をセレクトしたに過ぎないのだが、それが解っていながらもあの少女に手渡されれば何故か拒む気にもなれずにこうして最終行まで読破してしまった。
”勉強熱心なんだね。”と彼女は笑ったが、そんな事は無い。


事の経緯も、これからの運命も、そして彼女を世話役に当てた本当の意味も…あの白塗りの男の発言によって大方検討は付いていた。
だが、だからと言ってそれを受け入れまいとする精神的なエネルギーすらももう残っては居ないのだ。

完全に体が回復しようとも、きっとそれは変わらない。

再び誰かに利用され、自分が戦士として戦いの場に出向いたとしても、もう自分は昔の自分ではない。

だから、そのときは…きっと…。


「…冥土の土産にしては、少々贅沢だったのかもしれないな…。」


彼女に触れた唇を撫でた。

こんなにも暖かな静寂に満ちた、時間を思い返す。


ザッと吹いた風によって、光に透かそうとも漆黒のままの自分の黒髪が揺れた。

芙蓉の淡紅色の花は今日もしぶとく、その幹から新たな花を開かせている。



「…ホウ、随分と穏やかな顔つきになったじゃないかネ。」

「……。」


いつの間にやら扉の前に立った白塗りの男はウルキオラに対しニヤリと口先を上げた。
その後ろには彼女の上司でもある角の生えた助手が神妙な面持ちでこちらを見張っていた。


「ふん、診察だヨ。明朝の霊圧結合に向けてネ。阿近、準備をしたまエ。」

「…はい。」

「……。」


ウルキオラの返答の余地は無く、阿近によって幾つもの機器が運び込まれた。


「念のため今の魂魄の状況も調べておく必要があるからネエ…。娘には今朝の薬物投与で任務を終えてもらったヨ。…名残惜しかったかネ?」

「……下らんな、最初から解っていた事を名残惜しむなど。」

「素直じゃないネエ。」

「局長、準備整いました。」

「悪いが今晩は私も技局に居残ってお前の容態を事細かに見させてもらうヨ。霊圧を結合させるというのは繊細な作業なのでネ。サテ、ではまず何からはじめようか…。」


並べられた不気味な機器を眺め、マユリは両掌を擦り合わせながら目を光らせた。
マユリの最初に手にした器具を見て阿近はベッドに腰掛けたままのウルキオラの浴衣の共衿を開き肌蹴させる。
されるがままに、人形の様に動かぬウルキオラに阿近はパッチを彼の冷たい素肌に取り付けながら言った。


「…結局、最後までぷらすには話さなかったんだな。」


不意に、阿近はそんなことを口にした。
無表情のままだったウルキオラの表情が一瞬反応する。


「話した所でどうなる?」


感情を殺した声で放った言葉に、阿近は腑に落ちぬ曇った表情を称える。


「…ぷらすはこれから先もずっとお前は虚圏に帰ったものだと思い続けるんだぞ。」

「だからなんだ。」

「だからって…、…惨めじゃないのか?真実を知らないぷらすは今日も明日も明後日も、きっとお前の覚悟に比べればもっと浅はかに毎日を過ごすだろう。希望があるからな、いつかお前と再会する…そう信じてるんだよ。」

「……。」

「局長の娘のぷらすに全て打ち明ければ、彼女が局長に頼み込んで自由になれるんじゃないかと期待はしないのか?」


捲くし立てるかのように次々と言葉をぶつける阿近に対し、ウルキオラはやはり反応は薄かった。


「……。」

「黙ってんなよ…!いつまでも他人に利用され続ける運命に抗おうとはしないのか!?」

「阿近。」

「っち…!」


マユリの静止に、阿近は耳を傾けようとはしない。


「局長も、お前も…俺には理解できない。」

「……。」

「俺は…っ中央の犬を作る研究もしたくなければ、犬になりたいとも思わねえ…!」


阿近の鋭い眼光は、嘗て最大の敬意を捧げた自分の上司であるマユリに向いた。
ウルキオラは数秒阿近を凝視した後、こう告げた。


「てっきり嫌われているものだと思っていたが…つまりお前は、俺に同情しているのか?」

「……――っ。それは…っ、;」

「虚圏に帰還した所で、俺はあそこにそもそも執着は無い。」

「!」

「俺にとってみれば、俺のこの後の運命もアイツに伝えぬままにした真実も何の価値もない。」

「…な…っ;」


大きな翡翠の瞳は、阿近の三白眼に痛烈な視線を送った。
全てを悟り、覚悟したその瞳に阿近は小さな息を呑む。


「確かに全てを話せば、何かが変わっていたかもしれない可能性はある。だが、それは結局の所可能性でしかない。だが、その可能性の対価として真実を差し出し、結果として残酷な真実を知ったアイツには何が残る?」

「……!」

「俺には…アイツを悲しませる事しかさせない真実を差し出すくらいならば、運命など…もう必要ではない。」


摂理から逸脱した魂に、初めから始まりも終わりも用意されてなどいない。


「…――っ。;」


清清しいほどに、自分の運命を投げうる青年の姿を…阿近とマユリは黙って見つめた。



***


滞りなく行われた診察の片付けを終え、阿近とマユリはそれぞれの研究室に向かおうとウルキオラの治療室から出たときだった。


「阿近。」

「…はい。」

「随分な物言いだったじゃないかネ。お前らしくも無いヨ。」

「……。」


バツの悪そうな表情を浮かべた阿近、マユリの表情は相変わらずその濃い化粧によって掴みきれない。


「フン、破面などの為に上司である私に喧嘩を売るとは良い根性だヨ。」

「喧嘩なんか売ってないっすよ。…ただ…、」

「何だね。」

「…俺は科学者として、今回の計画には納得がいってねぇだけっす。」

「科学者として、ネェ。」


そこで軽く会釈をした阿近は背を向け廊下を歩き出した。
先ほど初めて歯向かって来た部下に対し、マユリは以外にも憤慨しておらず小さくなっていく背中に呟く。


「お前もまだまだ青いネェ…。阿近。」








廊下を闊歩する阿近は終始厳しい顔つきで、すれ違う他の局員達を蒼ざめさせていた。


本来ならば、恋敵が永遠に去ることを喜んでも良いくらいなのに、その気分は晴れない。

廊下の角に差し掛かったとき、見慣れた小さな姿があった。


「…ぷらす?」

「あ、阿近さん!」


少女は笑って自分に駆け寄ってくるが、その笑顔にいつもの元気や覇気は無い。
明るさをどこかで枯らしてしまったようなぷらすの目の下は、少し黒ずんでいて顔色も悪かった。


「大丈夫か?顔色悪いぞ…?;」

「へーきへーき、阿近さんウルキオラの診察手伝ってきてたんでしょ?何か私落ち着かなくって、迎えに着ちゃった。」

「迎えにって…;お前なぁ、そんなことする暇があったら仕事を―…」


仕事をしろと叱咤するツモリだった言葉は濁った。


解っているのだ、ぷらすだって仕事をするべき事くらい。

たかだか研究対象の破面一人がココを去るだけで、大事にしてはいけない事くらい。
ましてや、送別に悲しむなんてもっての他だ。
死神にとって、破面は…敵なのだから。


「……。」


決して、周りには言えない悲しみをぷらすは今必死に押し殺している。


「よし、ぷらす!」

「何?」


阿近は先ほどの表情とは打って変わって企んだ笑顔を称えるとぷらすの両肩をポンと叩く。


「お前、今日定時で上がれるように仕事終わらせろ。」

「へ?」


呆気に取られたぷらすの腕を引いて阿近は研究室に足早に入り言った。


「俺も定時で上がるからよ。今日、飲みに行こうぜ。」

「…――っ!うん!」




***



その日の夜、阿近は行きつけの小料理屋に、初めて自分以外の人間を連れて行った。
長い付き合いにはなるがぷらすは例の如くあの父親の影響で、夜遊びおろか自由な外出もろくに出来ない。
当然その父親に了承を得て彼女を今日ココに招待し散るのだが…思った以上にその許可が簡単に下りた事に正直驚いていた。


「うわー、私こういうトコ来るの初めて。」

「おー、食いたいもん食え。今日は俺の奢り。」

「ふふふ、何にしよっかな〜。」


カウンターに設けられた大皿の中にはどれも上品ながら親しみやすい料理がずらりと並んでいた。
ぷらすは目移りしながらも幾つかの料理を選ぶと、阿近はそれに追加して日本酒と冷奴を注文する。


「お前は?アルコールの無ェ飲みもんは…」

「え、私も飲むよ、日本酒。」

「え?」


少女の迷う事無い注文に阿近は口を開いたまま。


「だって、飲みに誘ってくれたんでしょう?」

「…まあ、そうだけど…。;」

(大丈夫か、こいつ…)


ぷらすは阿近の知る限り酒を飲んでいる姿を見たことは無い。
だが一見して幼く見える彼女ももう何十年と生きているのだから嗜む位の経験があってもおかしくは無いかと了承し、阿近は日本酒のお猪口を二つに変更する。


「かんぱい。」

「かんぱい!」


あからさまに明るい乾杯は、二人の心境からすると非常に不自然なものだった。

お猪口に口を一つ二つ口をつけるごとに仕事の話や私生活の話など他愛ない話は広がった。
気分良く酒と料理は進み、周りに居た客もまばらにそろそろ潮時かと阿近が席を立ったときだ。


「まって…!」

「?…ぷらす?」

「もうちょっと、もうちょっとだけ一緒に飲もう?」


慣れない酒に高揚気味のぷらすは珍しく強引に阿近の死覇装の袖を掴む。


「や…だが、もう店じまいの時間も良い頃だぞ?」


そう言いながら店の大将を見ると、やはりこれ以上は簡便と軽く頭を下げられ阿近は溜息を吐く。


「ぷらす。ほら、帰るぞ。」

「うぅ…;阿近さん…あ、待ってよ!」


さっさと勘定を済ませた阿近はフラリと店の外へ出て、千鳥足のぷらすが店から出てくるのを待った。


「阿近さん…、」

「あんまりお前を外に出すのは局長に止められてんだよ。」

「…、」


天下の箱入り娘。
そもそもこんな隠れ家のような小料理屋に彼女を招待したのだって、あまり他の死神に彼女の姿を晒させないためだ。
彼女自身を見たことは無くとも、技局員の自分と連れ添った藍の髪を持つ少女はあの涅マユリの愛娘だという情報は流れている。

ぷらすは少しの間考えた後、良い方法を思いついたのか彼女の自宅方向に向かっていた阿近の袖を再び掴んだ。


「だったら、阿近さんちに行こうよ!」

「はぁっ!?!?;」


ココで血相を変えたのは阿近である。


「だって、外はダメなんでしょ?阿近さんちだったら問題ないじゃん。」

「…あのなあ…っ;」


むしろその方が問題大有りなのだが、ぷらすは頑として意見を曲げようとはしなかった。


「どうしたんだよ、ぷらす。さっきまであんなに元気だったのがいやにわがままじゃねーか…」


茶化して帰宅の方向に誘導しようと阿近は笑って見せたが、ぷらすはその言葉に顔を強張らせた。


「元気じゃないよ?」

「え。」


夜道の暗闇で今は漆黒の髪が風に靡いて、その奥にゆれる瞳が阿近を捕らえていた。

悲痛を浮かべたその黒に、今更ながらに阿近はまずい事を言ったと後悔する。


「私、元気じゃないよ。阿近さん…、」

「ぷらす…。」


そんな事は解っている。
だから今日彼女を誘って少しでも気を紛らわせてやろうと務めたのに…自分ときたらとんだヘマをした。

無意識に避けていた話題を、ぷらすは初めて口にした。


「ウルキオラが、明日居なくなっちゃうのに…元気でなんて居られない。」

「……っ。」

「だから、今日は一緒に居て。お願い…、阿近さん。」

「……解ったよ。」



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すいません、あんまりにも長いためココでいったん区切らせていただっきます。

2012.06.10up

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