6・眠れる芙蓉





それはまるで

淑やかで淡い初恋の様に。

永久に叶う事の無い片想いの様に。


芙蓉◆




災厄は豪雨の中で、

幸せは懐の温もりが育てる。






ずっと昔。
暗闇の穴の中で、まるでちっぽけな蛆虫の様に蹲って怯えながら世界を呪った。

少し前。
やっと穴から這い出し眩しい光に目を晦ませ、全ての元凶である死神を呪った。


新設された技術開発局の創立メンバー。
呼び寄せられたのは二人の蛆虫。
容姿の変わった死神への迫害は、当時まだ色濃く残っていた。


この世には真の正義など無い。
生えかけのこの角はその象徴、だからあえて取り除こうとはしなかった。
死神であって、死神になりきらぬと決めた自分への戒め。
皮肉にも死神嫌いの死神は、所詮死神としてしか日の目を見ることは出来なかった事への足掻き。




このままずっと

誰かを

何かを

呪ってしか生きられない運命なのだろう。



だったらせめて心を無にして、研究に没頭しよう。
他人と関わりの少ないこの仕事は自分には合っている。






――ある酷い雨の振る午後の日の事だった。
自分の唯一と言って良い尊敬する人物が幼子を抱えてやってきて、そっくりそのままソレを自分に手渡した。


てっきり彼も自分同様、温度の通わぬ性なのだと思っていたから、自分は少々孤独感を感じた。
懐で浅く呼吸する命に、今だ嘗て無い戸惑いを過ぎらせた。



数年の後、幼子は少女へと成長する。


どこまでも澄んでいて無垢な瞳。

舌足らずな言葉にはどんな魔力が込められていたのか、気が付けば灰汁の濃い技局員全員を虜にしてしまっていた。



子供の扱いなんて解らない。

虜になった局員を尻目に自分はいつもどこか素直に受け止めきれないながらも大切にはしようとしていた。

だから適当な仕事を与え、褒美にはいつも飴玉を一つ。

少女は小さい掌でイチゴ味のそれを握り締めて笑顔だった。



「あこんさん。」



その笑顔を貰うたび、自分はそれを如何すれば良いのか解らなかった。

開花前の固く蒼い蕾。
触れるのにも躊躇がいる、清らかな笑顔。
成熟した女とは程遠い、自分とは一回り以上も年の離れた小さな少女。


この年になるまでに、女は何人も抱いた。
珍しい経歴と出で立ちに興味を持つ物好きな女から、単純に性欲処理で拵えた娼婦に飲み屋で出会った行きずりの女…。
どれもみな快感は得られたが、結局はそれまでだ。

感情が疾うの昔に冷え切ってしまった自分を、内側から熱くするものは何も得られなかった。


きっともう自分は他人を愛する事などできなくなってしまっているんだろうと諦めていた。



「あこんさん。」



なのに、この笑顔だけは妙にすんなり自分の内側に染み渡ってくるのだ。

愛だの恋だのは出来なくなってしまったが父性”本能”くらいは欠片でも残っていたのだろうかとその度に問うてみたがどうもそれとも違う気がして、むず痒くなる胸の疼きを誤魔化すようにタバコを一本吸うのが精一杯だった。


局長の養女として隊長格の死神の娘となった少女は、恵まれているはずの環境に反して規制の厳しいものだった。

一つ、
余計な知識や研究の手伝いなどは一切させない。

二つ、
仕事中局長には会ってはいけない。

三つ、
外部との接触は極力避け、外出は彼女の上司である自分か涅家の者を同行させる。


局長の事だから、仕事中は子供の相手などしたくないのだろう。
しかし外の世界を知る行為の禁止はさながら、それとは矛盾した嫉妬からの束縛の表れか…。

元々彼も同じ穴の狢だ。

真っ当な愛し方など知っているとは思えなかった。
歪んだ愛情は時に憎悪の行為よりも残忍なものだと、自分と二人きりの研究室で暇そうに毎日過ごす少女を横目に思ったものだ。

そう思いながらも局長の言いなりに縛るしか無い自分を、彼女はきっと本心では良く思っていないのだろうとタカをくくっていた。




そしてある日、少女が自分の研究室から姿を消している事に気づく。
研究に没頭して数時間気づかないでいたが時刻は既に正午過ぎ、最後に会ったのは朝だった。

どうせ仲の良い鵯州の所にでも行ったのかと思ったが、ふと先程した会話を思い出す。



――「あこんさん、それいつものと違う。」

――「ああ?ちょっといつもの店で品切れにあったんだよ。」


自分の取り出したタバコの銘柄を見るなり彼女が少し考えたような顔をしたのが引っかかってはいた。


――「まあ、正午には入荷するらしいから帰りにでも買うさ。」



…――正午。


「まさか…。」



予想が正しければ少女はきっとタバコ店に向かった。
一瞬焦った自分だったが、直ぐにその心は沈静する。

だってそうだ。
局長こそが今まで散々彼女の行動を禁止し狭めてきただけであって、実際の所彼女自身はガキとは言え一人で使いが出来て当然の年頃である。
彼女だってたまには一人で外に出てみたいと思うのではないか?

近所のタバコ店へ行ったくらいで…死覇装も着ているのだし何かあれば隊長の娘の肩書きもある。

別に誘拐されたわけでもないのだ。

事がバレれば局長にお咎めを貰うかもしれないが、きっと大事になどなるまい。


そんな安易な発想を巡らせながらも、与えられた義務の一環で彼女を迎えに外へ出た。

久しぶりに浴びた太陽の光は、チリチリと自分の病的に白い肌を焼くようだった。


普段は夜に歩きなれた道は、意外にも日中は人通りの激しかった事に気づかされる。


(…何だ?)


闊歩している自分を見て振り返る人々。
コソコソと指差しささやく。

視線の先が自分の額と白衣に集まっている事で、理解する。


(そうか、夜より目立つものな。)


…結局、死神になったって格差はあるのだ。


まだ新設して間もない技局は周囲の不信感を拭うには少々変わり者が多すぎる集団だった。
生え揃った角は局内ならば大した事無いが、日中の街中では非常に目立ったのだろう。


(……。)


良い気はしないが、そんな目にも慣れきっている。
無視してタバコ屋のある角を曲がった。



どうして…
そこまで理解しておきながらも、自分はこの時まで暢気で居られたのだろうか…。



もう二・三軒先に店があると言うところで、数人の子供たちが何かを囲んで騒いでいた。


(子供…?)


ぷらすと同じほどの年の子供たち。
取り囲んだ中の一人が言った。



「お前、その白衣技局のだろ。」


一瞬、ギクリとした。
そして瞬時に自分はとんでもなく安易な考えを持っていたのではと徐々に気づいてきた。


(まさか…その中心に居る子供は…。)


冷や汗が流れるのと同時に、
子供たちは一斉に口を開いた。


「気持ち悪い!変な研究ばっかりやってる奴らだ!!」

「えー、やだーっ。」

「しかもお前涅マユリの娘だろ!藍色に光る髪の毛だって、うちのお父様が言っていたもの!」



次々に飛び出る予想だにしない言葉に息を呑んだ。



「涅マユリは危ない死神だってみんな言ってる!」

「虚よりも邪悪なヤツだ!」

「涅マユリの娘が、なんでこんな所にいるんだよ!」

「きっとみんなを殺そうとしてるんだろ!」



子供の言葉とは何とも不躾で、鋭いものか。



「涅マユリの娘がなんでこんな所にいる!!」




(……――!!)




そこでようやく
自分は我に返った。


「ガキども、すぐにここから失せろっ!」


自分らしくも無い大声で子供たちを掻き分けると、中心に蹲っていた子供にたどり着く。


それは…やはりぷらすだった。



「ぷらす…っ。」

「あ…あこんさん?」


傷ついた表情で一人小さく蹲っていた少女。
その掌には自分の良く吸うタバコがしっかりと握り締められていた…。



「うわ!コイツ角があるぞ−!!」

「鬼だ!鬼だ!!」


冷やかしと怖いもの見たさの子供達は口々に自分を指差した。
周囲の大人たちも黙って窺うが、止めに入る事も無い。



局長がぷらすを自分に預ける上で出した条件は三つ。



一つ目、
余計な知識や研究の手伝いなどは一切させない。

二つ目、
仕事中局長には会ってはいけない。

そして三つ目…



――「外部との接触も好ましくないネエ。」




(ああ…そうだったのか…。)




局長の言っている意味が、ようやく全て解けた気がした。


自分は何と愚かな勘違いをしていたのか。
全ての条件は彼女を護るための物だった

…自分はその大役を任されていたのに…



彼女をこんな顔させてしまったのは自分の責任だ。



「ぷらす。行くぞ。」


せめて頭を撫でてやろうとすると、ぷらすは自分を振り払って前へ出た。


「鬼なんかじゃない!!」

「!」


大粒の涙を零して少女が吼えた。


「うわ!涅マユリの娘が怒った!」

「殺されるー!」


子供達は走って逃げて行った。







この世には真の正義など無い。
光があれば必ず闇が出来る。
光を光として存在させてやるには、自分達の様な闇がマイノリティが必要不可欠なのだ。



きっと、この少女も…ここに居ればその烙印を一生涯背負い続ける事になるのだろう。

今日この子はそれを知って、どう思ったのだろうか?


自分の様に

誰かを

何かを

呪ってしか生きられないと覚悟するだろうか?




初めて出合ったあの雨の酷い午後の日。
局長から手渡された幼子は凄く凄く軽かった。

数年経った今、背負っているがやはり軽い事には変わらない。


だが、何故だろう…あの時感じたような戸惑いは自然となかった。



道中、周囲からの視線は一向に変わらない。
むしろこんな鬼のような死神が、泣いている子供を背負って白昼堂々歩いているのだから先ほどより視線は痛い。

クスンクスンと耳元で聞こえる声に、自分はこれから一体どんな面を下げて技局に戻れば良いものかと途方に暮れていた。


「おい、いつまで泣いてるんだよ。」

「ぐず…っ、」


一向に泣き止まないぷらすにいい加減苛立ってきて声をかける。


「何だよ、殴られでもしたか?」

「違う…。」

「じゃあなんだ。」

「だって…、」

「?」


鼻水を啜る色気の無い音の後に言われた言葉に、心臓が跳ねた。


「ぷらすさんは、オニなんかじゃないもん…!」


思えば子供達の群れから救い出したとき、ぷらすは酷く怯えてはいたが泣いてはいなかった。
と言うことは…つまりこの涙は自分の…、


「お前…、俺の事嫌いなんじゃないのか?」

「何で…?」

「なんでって…―っ」


自分は子供の扱いが苦手だ。
そもそも子供が苦手だ。
子ども向きの優しい言葉をかけてやることも、笑ってやることも出来ない。
言葉に詰まれば飴玉をやってタバコを咥えて逃げることしか出来ない自分を、局長の言いなりに縛ってばかりの自分を、きっと彼女は嫌っているのだと思っていた。


「俺は…、」

「優しくしたいとき、あめ玉くれるの…。」


負ぶさったぷらすは顔こちらに優しく微笑む。


「解ってるよ。あこんさん。」

「…――っ!」


太陽の光に照らされ藍色に透けた髪がフワリと舞って…不覚にも、どこか女の香りを感じてしまった。


(おいおい…それは、)


「反則だろ…。」

「はんそく?」

「…いや…、;」


一瞬にして全身の血が沸き立つのを感じた。
どんな女を抱いた時よりも、実験に成功した時よりも心拍数の上がった心臓。


きっともう自分は他人を愛する事などできなくなってしまっているんだろうと諦めていた。
なのに、自分の内側に染み渡ってくる笑顔があった。
愛だの恋だのは出来なくとも父性”本能”くらいは欠片でも残っていたのかと解釈したがそれも違う気がしていた。

では、つまり。
その気持ちはなんだったのか?


(有り得ないだろ…。)


この自分が、一回り以上も年の離れた子供に?


(局長にぶっ殺されるぞ…。)


ゾワリと脂汗が額に滲む。
脳裏に局長のおぞましい姿が浮かんだ。



「あこんさん?」



ぷらすが何か感じ取ったのか、宙ぶらりになった足をバタつかせる。


「あこんさん、大丈夫?具合悪いの?」

「あ…、いや…っ;」


ビー玉の様な澄んだ瞳に写ったのは、年甲斐もなく顔を真赤にさせた自分の姿。

美しい瞳に写るには、余りにも…


(…年の差とか、局長云々じゃない…。)


余りにも、自分は汚い。


「……。」


歩いていた足を止めた、初夏の生暖かい風が突き抜けて目を細める。



「ねえ、あこんさん見て!キレイだよ。」

「あ?」



短い指が差した方向には、紅色で溢れんばかりの芙蓉の花が咲いた丘が広がっていた。
普段仕事終わりの夜しか外をうろつかない自分には初めて見る光景だった。


「…芙蓉の花か。」

「ふよう?」


芙蓉の花は一日花。
朝蕾を開かせ淡紅色の花を咲かせると夕刻には枯れてしまう。
故に、清らかで高貴なその花は簡単には手を出せない神聖さを纏っている。


「ぷらす。」

「何?」


「お前は、今日の事…あのガキ達の事怒ってるか?」

「…。」


誰かを

何かを

呪って…。



「あこんさんは?」

「?」

「あこんさんは、あの子達のこと怒ってるの?」

「俺は、もうそれくらいじゃどうも思わねえよ。」


周囲の視線など、今更だから。


「じゃあ、怒ってない。」

「え。」


「怒ってたけど、あこんさんが怒って無いなら…もう怒らない。」

「…――っ、」



「私は、あこんさんとお父さんとネムちゃんが居ればそれで良いもの。」


籠の中に閉じ込めた小さなひな鳥。
自分はずっとこのひな鳥は外に出たいものだとばかり思っていた。


「わたし、いつか立派な死神になりたい。それで、技局のみんなの役に立ちたい。」



羽を縛られ、
目を覆われ、
知識も希望も無く嘆いているのではないかと思っていた。


「あこんさん、わたしそんな死神になれるかな?」

「……。」


事実は予想から遥かにズレたところにあった。

ひな鳥はまだ自分が羽を縛られていることにも、目を覆われていることにも気づいてなどいなかったのだ。

死神は本来、真央霊術院を出なければ一人前とはいえない。
すなわちそのカリキュラムを省いた者は死神とはいえない。

しかし彼女は知らないのだ。

純粋故に。
全ては父である涅マユリを信じて。



咲き乱れた淡紅色の芙蓉を見つめ話す少女の瞳はどこまでも輝いていた。

それは自分が知るどの死神達よりも清らかで強く、聖女のような輝きだった。



(ああ、こんな死神がもし居るのならば…)




案外、死神も悪くない。





死神嫌いの死神は、白衣を纏って殻に篭っていた。
だけれど、そこに一筋の光を見たのだ。



「……。」



今しがた気づかされたばかりの恋心に何か諭すかの様な芙蓉の香りは、微量に感じた少女の髪から香る女の色香を記憶から掻き消してくれた。



触れてはならぬ

全ては少女が熟した時に

自分にはそれまでにやる事がある。




そう、伝えられた気がした。




芙蓉の花は一日花。
朝蕾を開かせ淡紅色の花を咲かせると夕刻には枯れてしまう。



(そうか…寝かせれば良い。)



もし、自分も心のどこかに芙蓉の幹を持っているのならば、一度枯らして夜を待とう。

そして今はまだまだ青い蕾のこの少女の芙蓉が、やがて咲いても良い頃合に成長するまで傍らで眠ることにしよう。



花は一日で枯れようと、
幹さえあれば朝日と共に美しい花を咲かす事ができるから。


いつか共に同じ花を咲かせる頃合まで。




長い夜は仕事柄慣れている。

それでも明けない夜は無かった。



「あこんさん?」


太陽ならきっと、この少女の笑顔がまた連れてきてくれるから…。


「ぷらす、帰ろう。」


自分達の居場所に。


「うん!」


(つまみ食い、しないようにしなきゃな…。)



無防備な少女に耐えうる理性。今後の課題はそこになりそうだ。
想像し、その流れで懐にあるタバコに手を伸ばしかけたが、気づいてそれを止める。


「おっと、危ね…。」


クシャリと握りつぶしたタバコを再び懐にしまうと、いつの間にかスヤスヤと寝入ってしまった少女の吐息に無意識に笑みが零れた。



(絶対、守ってやる。)


二度と彼女がタバコなんて買いに一人で出ることが無い為に。

今日のこの日を忘れない為に。



彼女の前では絶対禁煙。




ずっと昔。
暗闇の穴の中で、まるでちっぽけな蛆虫の様に蹲って怯えながら世界を呪った。

少し前。
やっと穴から這い出し眩しい光に目を晦ませ、全ての元凶である死神を呪った。



そして今。
背中に感じる小さな温もりの中、信じられないくらいに心は穏やかだった…。



***




そう、だからついつい心地よくて

数十年も眠ってしまっていたのだと思う。






「阿近さん。それ男性死神協会の?」

「なんだ戻ってきてたのか?」


聞きなれた少女の声に反応して阿近は振り返った。


「うん、リン君沢山領収書溜め込んでたからまとめるの大変だった〜…午後全部それに使っちゃったよ。」

「アイツ相手がぷらすだからと思って真面目に管理してねえな。」


そうぼやきながら男性死神協会発案の実際の所どうでも良い物の試作品の最後のネジを留めた。


「よし、完成。全く…無茶な要求ばっかしてくるから女性死神協会にも目の敵にされんだよな。」

「ふふふ…凄い柄だね。」


本人達曰く、男気溢れるそのデザインに苦笑したぷらす。
文句を言いながらも請け負った仕事は、注文書通り正確にこなすのだからその信頼度は周囲にとってかなり高いのだろう。


技局員だからと軽蔑されていた時代は既に昔の事だった。


(子供を育てる環境は、大切だ。)


全ては、羽を縛られ目を覆われたひな鳥がいつか翼を広げた時、その空が蒼く澄んだままである為に。
彼女の属するこの機関を、技局を、第二の蛆虫の巣窟等と周囲に二度と言わせぬ為に自分はがむしゃらに働いた。

アレだけ嫌っていた他の死神達との交流を深め、今では阿近も男性死神協会なんてものに属している。
涅マユリの真意は今も謎のままだが、彼もまた瀞霊廷に多大なる貢献と影響を及ぼしていた。


蛆虫の巣から這い出た二つの蛆は師と弟子の関係をそのままに、今や瀞霊廷には無くてはならない期間の重要基盤として機能している。


その姿が例え蝿だろうが蝶だろうが、もう誰の文句も届かない。
たった数十年でここまでの地位を築いた背景にこの少女が関係している事はきっと阿近と涅マユリ以外誰も知らないだろう。





あの酷い雨の日から局長は、

そして阿近は白昼の芙蓉を見た日から…

随分変わったと思う。






「ぷらす、コーヒー淹れてきてくれ。」



阿近は揃いのマグカップを手渡すとぷらすは笑顔で頷き棚からカップをもう一つ取り出した。


その、カップに阿近は違和感を覚える。


「そのカップは?」

「え?」


いつもぷらすが使うマグカップは自分のものと色違いのもの。
しかし少女が取り出したのは来客用の物だった。


阿近の問いにぷらすは綻ばせた笑顔で言う。



「ウルキオラにもね、飲ませてあげようと思って。」

「…っ。」



平然と、残酷に、ぷらすは阿近の聞きたくない名前を笑顔で紡ぐ。




災厄は豪雨の中で、

幸せは懐の温もりが育てる。



一度は咲き綻んだ芙蓉の花を

無理矢理眠らせたこの数十年間

自分は確かに、

少女の隣で幸せだった。




「ウルキオラに、食べ物の事何にも知らないから色々教えてあげたいの。」

「…そうか。」



だがそれは本当に正しい決断だったのかと、今更になって暗い部分からもう一人の自分が囁く。



(俺は…少し眠りすぎていたとでも言うのか…?)



今にも咲き出しそうな少女と共に表れたのは太陽どころではなく。
暗雲立ち込め再び豪雨をもたらすなどと、誰が予想できた事か。



(それでも、アイツは時期に消えるのだから…。)



「じゃあ淹れて来るね。」

「…ああ。」


きっと大丈夫、
自分を励ますように
そう呟いて
目を瞑るのだ。







ぷらすは笑顔で二つのカップを持って給湯室に向かった。
共有の給湯室には二人専用といっても過言ではないコーヒーメーカーがあるのだがそれを研究室に置けないのは阿近が扱う繊細な薬品たちに影響を及ぼさないため。
早歩きで進んでいた足がふと止まる。


「そうだ、ウルキオラってお砂糖とか入れるのかな?」


砂糖やミルクをいちいち持ち歩くのも面倒になるので、先に甘いのと苦いのどちらが好みか聞いておこうとウルキオラの居る治療室へ向かう。
ウルキオラは初めて飲むこの黒い液体に一体どんな反応を示すのだろうとワクワクしていた。

日に日にお互いを知って近くなる距離がたまらなく楽しい。
小さな発見を積み重ねて関係を築くという事は、長年技局の中でしか生活してこなかったぷらすにとってとても新鮮だった。


「今日は午後会えなかったからな〜…。」


きっと本でも読んでるんだろうとノックもせずに扉を開くと、見たことも無い人物が彼のベッドの横に座っていた。


(え?)


栗色の長い髪…

その人物は親しげに、翡翠の青年に話しかけている。




「……だれ?」




思わず漏れた言葉と同時に手からマグカップが滑り落ちた。

阿近専用に昔二人で揃いで買った大切なものなのに。


陶器の割れる音で、和やかだった場の雰囲気の二人が一斉にこちらに向く。


今までウルキオラの隣の人物が自分を見るなり弾けた笑顔で言った。


「あ!もしかしてアナタがぷらすちゃん?」

「…!;」


キレイな顔
大人っぽい体型
なのに、何だか擦れてない印象の女の人。



「あ…あの、…ごめんなさい。お邪魔しました!;」


ピシャンと扉を閉めるとぷらすは元来た道を全力疾走で駆け抜けた。

割れてしまったマグカップの破片などお構い無しに…。



(何だろう…何だろう…この感じ…!!;)


ざわざわと胸の奥から風が吹いてくる、落ち着かないこの感覚。




チラリと見たウルキオラの顔。

それはぷらすの知らない、

何だか遠い

彼のもう一つの表情だった…。






夜明けは

刻々と

そこまで迫ってきている。







-------

発言通り書き直しさせて頂きました…。

本当はサイドストーリーとして連載終わった後に短編で書こうと思ってた前半の阿近さんネタ。
でもどーーしてもやっぱり入れたくって本編にぶち込みました;
(だって、裏テーマが”どこまでも報われない阿近さん。”と題するほどヒロインと親密な阿近さんを描きたかったので…。)
もう絶対あと二話で終わらないよね…っていう;;

どうでしょうか?阿近さんのロリ○ンの芽生えの瞬間に少しでもキュンとして頂ける方がいましたら、わたくしは幸いでございます。笑

蛆虫の巣って阿近さんにとってどんな所で、それが他の死神たちにとってもどんな所かって考えたらこんな過去話に行き着きました。
どんな時代でも少数派の、特に優秀な人種って周りからは冷たくされますよね。

ちなみに今回の話で決定的にしましたが、芙蓉は阿近さんとヒロインの花です。

では酔芙蓉は…?むふふ、今後の展開をお楽しみに。(^^)


そんでもって波乱の予感を見せる回になってます。
何気に織姫ちゃんをサイトで書くのは初めてなのですが…言っておきますが私アンチではないですよ(^^)
むしろ織姫ちゃんのおかげでウルキオラを更に好きになれた面がありますので、重要なキーパーソンとして彼女には働いてもらいます。



2012.04.28up
2012.05.03up…改良





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