酸素みたいにありふれた
音楽のように不可欠な
あなたにとってそんな存在になりたい


テレビから聞こえる黄色い悲鳴に振り返れば、神宮寺が画面いっぱいに映し出されていた。その画面の中で彼は笑顔を絶やすことなくファンの声援に手をあげる。

神宮寺がトップアイドルとしての地位をほぼ確立したと社長に認められたのは一年ほど前のことだ。
歌唱力はもちろん、演技力、トーク、おまけにあの圧倒的な存在感。そこにいるだけで他を魅了する力。
仕事はつきることなく舞い込み、神宮寺は休みなく働いている。
春歌はと言えばそこそこ仕事の依頼は来るし、それなりに忙しく過ごしているが神宮寺には遠く及ばない。
だから当然二人は滅多に会えない。(春歌が寝ているときにたまに神宮寺が帰ってくることもあるようだが)神宮寺と最後に会ったのは三週間前だ。

もちろん彼を見たいと思えばテレビをつければいい。そんなことはわかっている。しかしやはり直接会って、触れたいと思うのは仕方がないことだろう。
(欲張りに、なったなあ)
初めは歌を聞かせてもらうだけでよかった。その次は練習出てもらうだけで、それがいつの間にか恋人となりより多くのことを望むようになってしまった。

神宮寺を映し出す画面に向かって手を伸ばす。そのまま握っても空をきるだけ。
以前は手を伸ばして掴めば神宮寺は居たのに、画面を隔てる彼がひどく遠い存在になってしまったと思うなんて。
(本当に、我が儘になったな私)


神宮寺の部屋の簡単な掃除を済ませ、自分の部屋に戻ってきた春歌は勢いよくソファーに体を沈めた。いつも側にいられないから、部屋は好きにしていいと神宮寺は言う。つまりそれは春歌が一人で泊まっても良いとのことなのだが、今日はどうしてもその気になれなかった。普段なら神宮寺の匂いが染み付いたシーツにくるまって寂しさを紛らわすのだが、胸の中で燻るこの感情のまま彼の匂い包まれたら確実に泣いてしまう。だから今日は片付けが終わるなり急いで部屋を出てきたのだ。

(ダメだな、私)

小指で光るルビーを見つめながらため息をつく。
神宮寺は今、夢のどの辺りに来たのだろうか。

「ハニー?」

短いノックのあとに聞こえた声に春歌は一気に現実へと引き戻される。

「ダッ、ダーリン!?」

急いで開けたものだからドアにチェーンをつけたままだったが、外には何時間か前にテレビで観た神宮寺が立っていた。

「ダーリン…仕事は?」
「今日ははやく終ったんだよ。メールの返事がないと思ったらみていなかったのか」
「あ、ごめんなさい…」
「謝らなくていいよ、急だったからね。それより、ハニーはいつまで俺を外に出しておくつもりかな?」
「へ?」
「部屋。入れてくれないの?」
「…あ!ごめんなさい!ただいますぐ!」

一度ドアを締めガチャガチャと音を鳴らしながらチェーンを外す。再びドアを開けて神宮寺を招き入れれば彼は短く礼を言ったあと額に唇を落とした。

「…っ!」

額を押さえながら神宮寺を見上げれば、彼はとても楽しそうに笑う。

「もう…!ダーリン!」
「ん?」
「いきなりこういうことは…」
「何?嫌なの?」
「嫌、ではないんですが…その、心臓がもたないです」

どんどん小さくなる声に神宮寺はくすくすと笑ったあと、遠慮することなく部屋へとあがった。
慌てて彼を追ってリビングに行けば、付けっぱなしにしていたテレビからは「恋人にしたい芸能人!」なんて明るい声が聞こえ、続いて映ったランキングに神宮寺の名前がでかでかと書かれていた。
(…あ)
ちりっ、と胸が焦げる感覚。
神宮寺がこうやってアイドルとしての地位を不動のものにしていくことは嬉しい。本当に嬉しい。彼の夢は春歌の夢でもあるのだから。
それなのに内から競りあがるこの感情についつい視界が歪む。

寂しくないわけがない。
不安があるにきまってる。
人気になっていく彼に置いていかれ、いつかそのまま捨てられるのではないか。隣にいられなくなるのではないか。
でも、それより怖いのは―

(…ダメだ、)
泣いちゃう、春歌が目をつむるよりも一瞬はやく視界が闇に覆われる。

「…え?」

テレビから聞こえる声もなくなった。
じんわりと神宮寺のぬくもりが伝わってきて彼の大きな手で包まれたのだとわかった。

「寂しい?」

図上から聞こえる柔らかな声に、春歌の体は強ばる。
(…言っちゃだめだ)

「寂しく、ないです」
「…本当に?」
「はい」

声は意外にも震えていなかった。
必死で涙を押さえていること意外、春歌はいつもと何もかわらない。
暫しの沈黙が流れたあと、神宮寺がふっと息を漏らした。

「俺は、寂しかったよ」

その言葉と同時に塞き止めていた涙がこぼれだす。
(この人は、どうして…)
いつも欲しい言葉をくれるのだろう。

「なんで…ダーリン…」
「君に会いたかった」
「…「ハニーは?俺に会いたくなかった?」
「会いたいに、決まってるじゃないですか…!でもあなたはアイドルで、私は作曲家で」
「それから、恋人だよね」
「…っつ!」
「ハニーは何を怖がってるの?俺たちの関係がバレること?」
「ちがっ、ちがいます…!私はっ、例え関係がバレても、恋人じゃなくなっても…そんなことより、あなたとっ…あなたの夢を、アイドルとして活躍するあなたの夢を、一緒にみられないことが…!」
「俺はハニーと別れることもつらいけどね」
「ダーリン…!」
「ねえ、春歌…」

「結婚しようか」

柔らかな声だった。
神宮寺レンという人間は物腰の柔らかい人物で、女性には特に優しい。星の数ほどいる女性の中から選んだ春歌にはさらに優しく接している。
その春歌でさえ、聞いたことのないくらい柔らかな声色にボロボロと流れていた涙が止まった。

「…結婚?」
「うん、当たり前のように君が隣にいる世界が欲しいと思ったんだ」
「あなたの隣に…」
「もちろん今だって君は俺の隣にいる。だけど、もっと近くにいて欲しい。同じ場所から同じ夢を見て欲しい」

事務所を説得するのに一年かかったよ、耳元で神宮寺はそう囁いた。

酸素のようにありふれた、音楽のように不可欠な、

「あなたの世界を構成する、一つになりたいです…!」

再びせりあがる涙をこらえながらそう言えば、君が俺の世界を構成する全てさと柔らかく微笑まれた。

















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