「お前のその小太刀は実に良いものだな」 刀の手入れを教えてくれと頼まれたものだから、斎藤は縁側に腰掛け千鶴に手入れの仕方を教えていた。 先祖から継いだものだと彼女が言うように随分と時代を感じさせるその刀は、新品のようなものとは言えないがよく手入れをされていたのだろうか太陽の光を受け鈍く光を発していた。 「ありがとうございます。…でも、私には勿体無いですね」 「なぜだ?」 「…私は刀を振れません。振りかぶることはおろか、振り落とすことなど絶対に」 「…」 「宝の持ち腐れ、ですよね」 自嘲気味に笑う彼女に斎藤は思わず眉をしかめた。 そんなことはないと。果たしてそれを軽々しく自分が言って良いものだろうか。斎藤にとって刀とは人を殺めるものであり、千鶴が刀を持つ意味とはかけ離れている。そして千鶴は少なからず人を殺めることを嫌悪しているために、そのことを十分に理解している斎藤は言葉に詰まってしまった。 (ただ、) 願わくば彼女の持つ刀が曇ることがなければ、とは思う。 その小さな背に、細い腕に、人殺しという罪はあまりにも重いものであろうから。 時おり吹く風が生ぬるい夜であった。 土方から極秘任務を受けていた斎藤が屯所へと戻ったのは月が天辺になった頃で、屯所は静まりかえっていた。 迷うことなく土方の部屋へと向かい簡単な報告を終えたあと、部屋へと戻ろうと腰をあげる斎藤を土方は引き留めた。 一体どうしたのだろうか。 珍しく歯切れの悪い土方の口振りに、先を促せば千鶴が人を殺めたと。土方はそう言った。 何故、そう問えば彼女は一番組の見廻りに同行した際に浪士に絡まれ戦闘になった。一人一人の力は大したことがなくとも人数が多く、かつ市中であったために民衆が混乱し逃げ遅れた者もいたそうだ。そしてその逃げ遅れた子どもを守るために咄嗟に剣を振ったと。 人を殺めたことのない人間がどのくらいの力で命を奪えるかなど知るはずもない。牽制のつもりで降ろした刃は命を奪ってしまったのだ。 「殺らなきゃあいつが殺られてた」 先ほどの歯切れの悪さはどこへ、淡々と言う土方の声からは彼の感情は伺えない。 斎藤は一瞬唇を噛み締め、そうして二人の話は終わり彼は部屋へと戻るべく再び腰をあげた。 風は変わらず生ぬるかった。しかし空を見上げれば見事な月が浮かんでいる。上弦の月だ。 暫く立ち止まって月を見上げていた斎藤の耳に、風の音が聞こえる。風は一緒に女の呻き声も運んできた。 (…千鶴) 視線を上から戻すと遠くに千鶴の姿が見えた。その姿はまるで許しを乞うかのように頭を下げ、祈るかのように両手を体の前で握っていた。 それをみて斎藤は近づくか迷ったものの、このまま他の者に見られても面倒なことになるだろうと思い彼女のもとへと向かう。何より、斎藤は千鶴のことが心配でならなかったのだ。 「千鶴…」 静寂を切り裂くかのように呼び掛ければ、彼女はその小さな肩を震わせたあとゆっくりとこちらに顔を向ける。 予想外に彼女は涙を流していなかった。 「…」 「…」 一体何を話せばよいのだろうか。 気にするな?お前は悪くない?何と言えばいいのだろうか。所詮自分も人殺しであるというのに。 言葉に詰まった斎藤は黙って彼女の横に腰を下ろす。 生ぬるい風が音をたてて吹けばよいのに、そうしたらこの沈黙も塞がるのにと斎藤らしくないことを思う。 「斎藤さん」 弱々しい声であった。 いつもの彼女からは考えられないほど頼りない声。震える彼女の指先か嫌でも視界に入る。 「…なんだ」 「私、わたし…っ。人を、殺してしまったんです…!」 懺悔のように吐かれた言葉に斎藤は思わず強く瞼を伏せた。 指先の震えは体全体まで広がり、カタカタと音がするほどである。 それでも千鶴は涙を溢すことはない。 「人の命をっ、わたしはっ、この手で…!」 聞きたくない。 そう思ったときには斎藤は腕の中に千鶴を抱き締めていた。 強く強く、彼女の声を体ごと奪ってしまうかのように。 息を飲んだ千鶴は暫く斎藤に体を預けたあと、今度は彼の背に腕を伸ばした。 「…っ、うっ…」 斎藤の体温に安心したのだろうか。明らかな嗚咽が聞こえる。 斎藤が彼女に言えることは何もない。 初めて人を斬った日など思い出せないほどに、彼の手は血で汚れていた。 彼女を慰める言葉など持っているはずがないのだ。 (それでも、) この月明かりが、生ぬるい風が、自分のぬくもりが彼女にとって優しいものであるようにと祈らずにはいられなかった。 |