2020/01/17
子供の頃、魔法使いになれると信じていた。十一歳の誕生日に手紙が来て、そこには波のように滑らかな字でこう書かれているのだ。 魔法学校へのご入学、おめでとうございます……。 手紙は来なかった。魔法使いになり損ねた私は、だから、この胸の痛みを消すすべを知らない。ただ膝を抱え、うずくまるくらいしか。 泣きじゃくる私のせいで、校舎の屋上へ繋がる階段には、小さな水溜りができていた。 「オブリビエイト」と、私は唱える。 オブリエイト、失恋の記憶よ、消えろ。 ……何も起こらない。夕陽の色が、階段の床や壁を、ひっそりと照らすばかりで。 もう一度口を開く。 「オブリエイト」 私の声ではなかった。 顔を上げて驚いた。同じクラスのサボくんが、そこにいた。彼は階段の手すりに凭れながら、階下から、私を見上げている。 「って、なんだ? 食いもんの名前か?」 「……違うよ」 ふうん、と気のない返事をして、サボくんが上ってくる。私は慌てて顔を伏せた。膝と膝の隙間に鼻先を埋めていると、足音が真横で止まった。 「で、なんなんだ、それ」 「……魔法の呪文」 「なんの?」 真横に座り込むサボくんを知らんぷりして、床にある涙の跡を見つめ続ける。けれどサボくんは見逃してくれなかった。 「お前、振られたんだって?」 「どうして……」 「ちょっとな。それで、呪文? 記憶でも消してェのか」 ため息が落ちてきた。 「だから言ったろ。見込みねェって」 言い返す余裕なんてなかった。出てくるのは嗚咽ばかりで、また涙が溢れる。 「……すごく好きだったから、」 「そうか」 「ほんとうに、好きで……」 落ち着いた物腰も、笑うとできる目尻の皺も。私を妹のようにしか思えないと言った、声の低さも。 丸まった私の背中を、サボくんはずっと撫でていてくれた。 声が枯れた頃、涙も止まった。 「落ち着いたか?」 尋ねる声に、私は小さく頷く。サボくんは幼子にするように、私の頭をぽんとして、「そんなに辛いならよ」と、付け足すように言った。 「記憶消すの、手伝ってやろうか?」 「どうやって?」 「まあ見てろ」 気楽な声を出すと、私の横髪をそっと耳にかけた。温かい指先。吐息が耳朶をくすぐる。 「 」 ぱっと顔を上げれば、間近に青い双眸があった。 彼は指先で私の耳の輪郭を、ゆっくりとなぞりながら、続ける。 「ほらな。今一瞬、忘れただろ?」 夕陽を背負ったサボくんの笑顔は、あまりにも眩しくて、それなのにどうしてだか、目を逸らすことができなかった。 まるで魔法にかけられたように。 |