茜色の教室
下校時間間際の、誰もいない教室。
傾きかけた夕陽が窓から差し、視界を照らす。私は机に腰かけて足をぶらぶらと遊ばせながら、黙って日が暮れていくのを見ていた。
「ここにいたのか」
音もなく教室に入ってくる気配。静かな声。
いたのか、とは言っているけれどなんとなく、彼は私がいることを知っていたような気がした。そしてまた、私も。
「偶然だね」
会えるような気がしてた、なんて野暮なことは言わなかった。言葉にしなくてもお互いに、考えを分かり合っている確信があった。
「こんな時間に何をしていた?」
彼はそんなふうに問う。私が外を眺めるのが好きなのを、ずっと前から知っているくせに。
「外を見てた」
見たことがあるのだろうか。夕方から夜に変わりゆく時間、茜色と藍色が混じりあった空を。
「…何が、見えた?」
それには答えず、私は黙って手招きをする。隣に来るよう促せば、彼は素直に従った。
「これ、は」
はっとしたように彼が息を呑む。
視線の先には、彼が3年間通い続けたテニスコート。
「一番、綺麗に見えるの」
この時間、この場所から見るあの場所が。毎日努力を積み重ねていた彼が。
「ねぇ柳。結果だけがすべてじゃないよ」
部外者の戯れ言と笑われるかもしれない。あるいは、簡単に言うなと罵られるかもしれない。でも。
「柳が重ねてきた3年間を、私は見てた」
ありきたりな言葉しか言えない。全国大会連覇の夢が潰えたときでさえ。そのことをもどかしく思いながら、一生懸命言葉を探す。
柳はずっと黙ったまま、私の言葉を聞いている。
「うまくいかないこともある。それでも、努力は消えたりなんかしないよ。ほら」
私は外を指さした。テニスコートに浮かぶ人影。
どうしても見て欲しかった。夏が終わり、秋が来ても、何かに追われるように日々を過ごしていたから。
暗くて顔までは見えないけれど柳なら、シルエットで誰か分かるだろう。
「柳の、柳たちの意志は、ちゃんと受け継がれてる」
「……ああ、そうだな」
そう言ったきり、柳は何も言わない。教室もだんだんと暗くなり、近くにいるのにその表情は分からなかった。
余計なことをしたかもしれない。不安に思い始めた頃、不意に視界が覆われた。
「やな、ぎ?」
「…すまない。少しこのままでいさせてくれないか」
聞いているようだけれど、私に拒否権はないのだろう。
初めて感じる、シャツ越しの柳の温もり。細身のわりにしっかりとした胸板。頭に添えられた手は思っていたより大きくて、少し骨ばった感触だった。
「言いたいことがあって、お前を探していたんだ」
とくんと鼓動が早くなる。この心音は私のものか、それとも柳のものだろうか。
「俺は、これからもお前に見ていてほしい」
すっかり陽が落ちた教室。鼓動と共に耳に届く、いつになく自信なさげな柳の声。
そんなところも愛おしくて、私はゆっくり頷くと、彼の背中に手を回した。
Fin.