あついのは好きじゃないから
もやもやする。あんな中途半端な感じで会話が終わってしまって、っていうか私が終わらせたようなもんだけど。そのまま新開悠人とは一言も話す事なく放課後になり、颯爽と部活に行く姿を横目に私は真っ直ぐ帰る気になれず図書室で今日出されたプリントを片付けていた。窓から見えるグラウンドでは運動部が汗を流しながら部活に勤しんでいる。遠いから本当に汗流してるかなんて見えないけど。まぁでも、もうすぐ夏休みに入るし日に日に外は暑くなってきているから、あながち間違ってはいないだろう。
最初は疎らにいた生徒も時間が経つにつれて減っていき、いつの間にか図書室には私一人。プリントもとっくに終わったし、ずっとここに居ても意味がない。机に広げたままだったプリントと筆記用具を鞄に仕舞い立ち上がって図書室を後にする。この学校の図書室って無駄に広いから誰もいないとなんか怖いな、なんてどうでもいい事を考えながら下駄箱で靴を履き替えて外に出れば日が沈み始めている割に蒸し暑くて、それだけでじわりと汗が滲み始めた。
「なにしてんの」
不意に昼間に聞いたきりだった声が後ろから聞こえ、ビックリして振り返ると、そこには訝しげな表情で私を見る新開悠人が立っていた。サイクルジャージを着てロードバイクを引いているところを見るとまだ部活中なのか、それとも自主練でもしていたのか。
「なにって、今から帰るとこだけど」
「遅くね?」
「宿題やってた」
おい待て、なんだその「意外」とでも言いたげな顔は。今まで宿題を忘れた事もなければ授業態度が悪かった事もない筈だぞ。寧ろそっちの方が授業中に隠れて寝てたりするの知ってるんだからな。
「あんたはまだ部活だったの」
「や、まぁ、そんなとこ」
どっちだよ。濁すって事は多分自主練なんだと思うけど。素直に部活後に自主練してたって言いたくないんだろうな。変なとこで見栄っ張りだなこいつ。校門に向かう私と、自転車競技部の部室に向かう新開悠人。方向が同じだから自然と隣を歩いている。何か変な感じ。特に会話が弾む訳でもなく、無言で歩いている間ちらりと視線だけ新開悠人に向けてみると汗が頬を伝っているのが見えた。
「なに」
新開悠人が汗を流しているのが珍しい気がして盗み見るつもりが、まじまじと見つめていたらしく視線に気付かれてしまった。
「あんたが汗かいてんの初めて見た気がしてさ」
「は」
「部活、頑張ってるんだなって思って」
これまで気にして見た事がなかったけど、私の記憶では新開悠人は体育の時でも汗を流してなんかいなかった。いつも澄ましてて、どこかつまらなさそうに適当にやっていたような気がする。そんな新開悠人が汗を流すほど真剣に部活をしていたんだと思うと、それだけロードが好きなんだと勝手に解釈してしまう。
「別に、汗ぐらいかくだろ」
私が汗の話なんかしたからか、ふいっと目をそらし首に掛けていたタオルで汗を拭う。そういうの気にするお年頃なのか。女子じゃあるまいし気にしなくても良いのに。汗かいてまで部活に打ち込むのがダサいとか、そんなつもりじゃなかったんだけどな。思った事を口にしただけだったのに、新開悠人からしたら気分の良いものではなかったようだ。
「え、ごめん、何か嫌だった?」
「苗字は気にしないわけ」
「なにを?」
「俺、今めちゃくちゃ汗かいてるけど」
何言ってんだこいつ。なんであんたが汗かいてて私が気にする必要があるんだ。意味が分からなくて「なんで」と聞き返せばまたそっぽを向いてしまった。いつにも増して何考えてんのか謎で首を傾げ、部室が見えてきたところで声を掛けようと口を開く。
「じゃあ、お疲れ」
「着替えてくるからそこにいて」
目も合わせずにそう言って部室の方へ歩いて行く新開悠人に、更に訳が分からず困惑したまま立ち尽くす。なに、なんなんだ本当に。ここにいてって言われても暑いんですけど。いくら昼間より日が差していなくてもこんな所に突っ立っていたら暑いだけだし、せめて日陰に身を寄せようと部室へと近付き屋根の下でしゃがみ込む。
待ってる間暇すぎないか。自販機で飲み物でも買っておけば良かった。ぼんやりと暑さに耐える為に別の事を考えようとしてみても少しずつ浮かび上がる汗は誤魔化せない。
「うわ、なんでここにいんの」
部室の扉が開き顔を出した新開悠人は、さっきの場所じゃなく扉の横にしゃがんでいる私に気付き目を丸くしている。いやだって暑いんだもん。何で待たされてんのかも、何を大人しく待ってんのかも分かんないのに。
「暑いんだけど」
「あぁ、ほら」
限界だと言うかのように訴えれば手に持っていたペットボトルを差し出さしてくる。自然と手を出して受け取ったは良いけど、これあんたのじゃないの。
「まだ開けてないやつだから」
「いいの?」
「暑いんじゃないの」
「うん、暑い」
封の開けられていないペットボトルは表面に水滴が浮かんでいて、冷たくて気持ちが良い。貰って良いのか。でも私がこれを飲んだら新開悠人は自分のが無いんじゃないのか。くれるって言ってんだし素直に貰わないのもどうなのか。心の中で葛藤し「俺まだ残ってるやつあるから」の一言で有難く貰う事にした。
「ありがと」
「ん」
お礼を言ってペットボトルの水滴を親指でなぞる。ぽたりと地面に流れ落ちるそれが、少しだけ汗を流しタオルで拭っていた新開悠人の姿と重なった。