簡単じゃないなんて知ってる
自転車競技、競技と言うからには何かいろいろと小難しいルールがあるのかと思っていたけど、意外にもレースに関しては単純明快で頭を捻る事もなかった。ただ、ロードバイクの部品とかについては聞き慣れない言葉ばかりで覚えるのは難しい。そもそも私はロードレースというものがイマイチ理解出来なくて教えてもらっていた訳で、部品の名前まで覚える必要は無いんじゃないか。
「あんた凄い険しい顔してるけど」
自分の席で新開悠人に借りた雑誌と睨めっこをしていれば、前方から聞こえてきた声に顔を上げる。自分の眉間を指先でトントンと叩きながら私が顔を顰めている事を知らせてくる彼女に溜め息を吐きながら開いていた雑誌を閉じて机の端に置いた。
「部品の名前とか覚えらんない」
「そこまで覚える必要あんの」
「や、知らない」
無いと思う、いや、絶対必要ない。なんでこんなにも必死になって覚えようとしてるんだ私は。頬杖をついて今は席を外している隣の机をちらりと見て、さらに大きな溜め息を零す。
「あいつがそれぐらい覚えろって」
その方が葦木場さんとロードの話もしやすいんじゃないの? なんて言われて単純な私は躍起になって覚えようとしているけど、葦木場さんとロードの話をする機会なんてやってくるのか。そんな話実際にロードバイクに乗っている人としかしないんじゃないの。それか部のマネージャーとかさ。
「私マネージャーになれば良かった」
「何言ってんの」
「マネージャーだったらこんな無理矢理頭に詰め込まなくても自然に身に付いたかもしれないじゃん」
「運動部のマネを甘く見るなよ」
もし自転車競技部のマネージャーだったらもっと早く葦木場さんに出会えていただろうし、すんなり会話も出来たはずだ。安易な思いつきを口にすれば机に置いた雑誌を取られ頭をべしりと叩かれた。わかってる。いくらマネージャーとは言え、見ているだけでも暑くてしんどくなってくる運動部のサポートだなんてそう易々と出来る訳ない。例え私が自転車競技部のマネージャーになれたとしても、あまりの暑さにひぃひぃ言いながら汗を流してるんだろうな。そんな状態でどうやって葦木場さんに近付けるんだ。無理ゲーすぎる。
「そもそも下心しかない奴がマネージャーやるとか無理でしょ」
確実に痛い所を突いてくるなこの子は。でもほんと言う通りだし、大人しく知識を付けて話せる機会を伺うしかない。なんかストーカーみたいな発想だな。後を付け回したりしてないだけまだ大丈夫か。
「なに、苗字マネージャーやりたいの」
「うわ戻ってきたよ」
「ここ俺の席なんだけど」
このタイミングで戻ってくるなよ。しかもちゃんとマネージャーの話聞いてるし。隣の席に腰掛ける新開悠人を最悪だと言わんばかりの顔で見る。そこはあんたの席だけど、そうじゃないよ空気読んでよ。
「で、なに? マネージャー?」
ほらきた。どうせコイツも「甘く見んな」とか「出来る訳ないだろ」とか、いつもの三割増しでネチネチ言ってくるんだろうね? 想像しただけで腹立つわ。
「新開くんに怒られろ」
「おい」
ぼそっと前から聞こえた声に勢い良く反応する。なんでだよ。しょっちゅう喧嘩ばっかする私達を不思議そうに見てたクセに怒られろってなんだ。って言うか私の数少ない友達なんだから私の味方であれよ。
「マネージャーでもやれば葦木場さんともっと話せるとか思ってるんでしょ」
「それは、そう、だけど、別に本気じゃないし」
「やってみれば良いんじゃないの」
「……は」
完全に見透かされていて、たどたどしく認めながらも若干の反論とかガキか。バカにされても仕方無い程に子供っぽく軽い逆ギレをかましたのに、それに返ってきた言葉が意外すぎて一瞬時が止まった。澄ました顔で放った新開悠人に私だけではなく前に立って私を見下ろしていた友人も口を開けて驚いた表情をしている。
「新開くん、大丈夫?」
なんの心配してんだよって突っ込みも出てこないぐらいに私も吃驚していて、何て返せば正解か分からず口を開いては閉じてまるで金魚の真似をしているみたいだ。
「まぁ、葦木場さんに近付く前に俺がこき使うけど」
椅子の背凭れに背中を預け、呆気にとられている私の方を見て笑う。楽しそうに、とか無邪気な感じじゃなく馬鹿にするように鼻で笑った。そうだ、こういう奴だ。やれるもんならやってみろって言いたいらしく、その性根の悪そうな表情に思いっ切り顔を顰めた。
「うっざ」
「そんな下心丸出しの奴がマネージャーやったところで役に立つとは思えないし」
「やっぱ新開くんだね」
「だから本気で言った訳じゃないから」
的確に図星を突かれて余計に腹が立つ。小馬鹿にする態度の新開悠人に感心してる友人はこの際スルーして、ムキになって本当にやるつもりでは無いと吐き捨てるように言い顔を背けた。普通に会話が出来れば悪い奴ではないと思っていたからこそ、なんだか無性にムカついてしまう。臍を曲げた私に友人は笑って肩を叩くけど、それ以上何も言わなくなった新開悠人は机の上に置きっ放しになっていた雑誌を取り上げ無言のまま読み始めてしまった。あんなくだらない事を口に出さなければ良かった。これならムカつくけど言い返してきて喧嘩した方がまだマシだったかも、なんてやり場のない気持ちをグッと飲み込んで次の授業の準備を始めた。