ただなんとなく気になっただけ



この間葦木場さんに言われた事を思い出す。ぐるぐると頭の中で回る「仲良くしてあげてね」という言葉。それに加えてあの優しいのにどこか悲しそうな目が忘れられなくて、いつも休み時間に読んでいた本もただ眺めるだけになってしまっている。普通に考えればたったそれだけの事なのに、なんでこんなにも思考をいっぱいにされているんだろうか? 胸の辺りがモヤモヤとして気持ち悪い。

「ねぇ」
「なに」

自分で自分に耐えられなくなり、目を滑らせるだけで全く頭に入らなかった本を閉じて溜め息を吐いて声をかければ隣で携帯の画面を見たまま返事をする。いや、こっち向けよ。声掛けてんだから返事ぐらい顔見てしろよ。ここで思ったままに言葉にしてしまえば、また口喧嘩に発展してしまうと、勝手に動きそうな口を一度ぎゅっと引き締め飲み込むと聞きたかった事を尋ねる。

「……自転車、楽しい?」
「は? なに急に」

私でもそう思うよ。ずっと関係無いし興味も無くてそう口にしていたのに、突然なんだよって思うのは当たり前だ。パッと顔を上げて驚いた表情で私を見る新開悠人と目が合い「なんとなく」と呟く。そう、なんとなくだ。他意は無い。あの時葦木場さんに言われたし、少しぐらい普通に会話しても良いんじゃないかと思っただけ。クラスメイトだし。席も隣な訳だし。自分にそう言い聞かせながら返事を待つ。

「わかんねー」
「なにそれ」

少しの間を置いて机に頬杖をついて言った新開悠人は、今自転車の事を考えているんだろうか。つまらないと言わんばかりの目で、分からないと答えた。楽しくてやってるんじゃないのか。自転車で走る事をわざわざ競技としてやるぐらいなら好きで始めたはずだ。それなら最初は楽しかったんだと思う。なんで今は分かんないのか、聞かなくても理由はきっと何度も聞いたお兄さんなんだろう。

「じゃあ、部活は?」
「なんだよさっきから」
「楽しい?」
「…楽しくない、こともないけど」

なんだその回りくどい言い方は。自転車に乗る事は楽しいのか分からなくなっていても、部活は楽しいらしい。それもこれも葦木場さん達のお陰なんだろうか。いや、間違い無くそうなんだろう。優秀な兄がコンプレックスで、自分を理解して支えてくれているのが兄弟ではなく部の先輩達だというのは何とも複雑だ。それでも少なからず楽しめているのならいい事なんじゃないか。

「素直に楽しいって言いなよ」
「うるさいな」

膨れっ面で拗ねた顔をする新開悠人は普段の落ち着き払った様子なんて更々無くて年相応の子供っぽさが滲み出ている。そんな顔も出来るんだ。あのブッサイクな顔よりもよっぽど良いと思うその顔に少しだけ安心した。いや、安心したってなんで? 何に安心してるんだ私は。

「まぁ、でも、楽しいなら良いや」
「……苗字、頭打った?」
「打ってねーよ」
「あ、いつもの苗字だったわ」
「どゆこと?」

喋ってれば相変わらず無愛想で腹は立つし、あの時突然キレてきた事も全く許してなんかいない。でも案外普通に会話が出来てるのは少なからずコイツを見る目が私の中で変わったからだ。誰かに何か言われても全てを皮肉と受け取るようなこの男が、意外にも部の先輩達から大切にされているという事が分かったから。これが分からないままだったら、私はコイツの事をただの弄れた意地の悪い奴だと思ったままだったかもしれない。

「ってかさ」
「今度はなに」
「自転車の事、教えてよ」

今日一番驚いた顔をする新開悠人は、元々大きなそのたれ目を開きすぎて今にも目玉が落っこちてしまいそうだ。女子からしたら羨ましい限りの目の大きさだな。交換してくれ。「は? なに、なんで?」と口をぱくぱくさせながら戸惑った様子で言葉を零している姿が面白い。

「ちょっと、興味が沸いたから」

自転車に、というよりは自転車に乗っている葦木場さんにだ。今後大会とかあったりしたら是非とも応援に行きたい。そうなった時に自転車競技の事を何も知らないままでは応援なんて出来る訳がないし、ちゃんと理解しておきたいと思った。それに、新開悠人がどんなふうに走っているのかも一度くらいは見てやっても良いかもしれない。

「どうせ葦木場さんだろ」
「まぁ、そりゃ切っ掛けはそうでしょ」

早速見抜かれてしまい、下手に誤魔化して嘘を吐けばコイツの事だから教えてくれなくなってしまうと思い素直に答える。興味が沸いた切っ掛けは葦木場さん、これは嘘ではない。じとり、と私に目を向けて訝しげな顔をしてから片手に持っていた携帯を閉じて仕舞うと体ごと私に向ける。

「教えてやっても良いけど」
「ほんと?」
「葦木場さんの邪魔すんなよ」
「別に邪魔なんてしないし」

どんだけ邪魔しそうな奴に見えてるんだ。ルールも何も分からないから知りたいだけ。流石に練習中に突撃して声を掛けて邪魔をするつもりなんてない。見に行く事は今後もあるかもしれないけど……。とりあえず邪魔はしないと言う私の言葉を信じてはくれたようで、「わかった」と頷いた。


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